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kumagusu - 処夏神経 作品解説

はじめに

 2021年7月1日、kumagusuはライブカセットテープ「処夏神経」をリリースした。サックスパートの富烈(プエル)が加入して以来初めての音源作品だ。
 
 本作には "晴れたら空に豆まいて" で行った深夜の無観客ライブ演奏が収められており、収録10曲のうち6曲は映像作品として編集し、同題"処夏神経"のタイトルでyoutubeに公開している。カセットは、当日の録音とmixをお願いした澁谷君のバンド、Klan Aileenが運営するJolt! Recordingsからリリースした。

 ざっくりとした制作経緯や、kumagusuとKlan Aileenの関係、その周辺のインディシーン等については Jolt! Recordingsのインタビューをみてもらうとして、この記事ではkumagusuの作詞作曲を務める自分自身(井上Y)が収録曲の解説を行う。
 
 処夏神経は主に、サックス加入後にリアレンジした過去のフルアルバム2枚の収録曲で構成されている。このリアレンジは元の楽曲イメージの延長線上で行われるように意識した。そのため解説は、オリジナル音源制作時の着想や意図を思い起こして書き出す形式を基本としている。

 曲は漠然とした情景イメージをもとに作っている。このイメージのほとんどは、自分の経験や感覚が頭の中でいつの間にか変形し、じんわりと浮かび上がってきたものだ。

 kumagusuに興味を持ってくれている人のイメージ喚起を補助するものとして、この解説が機能したら嬉しい。

  

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kumagusu / 処夏神経
10曲入りカセット(限定100本/DLコード付き) / デジタル音源
bandcampで購入可能


『処夏神経 / Summer Nerves』
撮影: 白岩義之, 川辺崇広, 堀切基和, 日景明夫

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kumagusu
左から 佐藤モジャ(Ba), 山﨑熊蔵(Gt), 井上Y(Vo.Gt), 富烈(Ts), 鈴木UFO(Dr)
写真撮影: こいそ


1. 海まで

オリジナル音源は、2016年にリリースした1st Full Album「夏盤」に収録。

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kumagusu - 夏盤 (2016)
自主レーベル "無呼吸ファンクラブ" を立ち上げリリース。

 <海まで - イメージと詞>

 "抑圧された男が真夏に都市近郊をさまよい海にたどり着く風景" を思い浮かべながら作詞した。「夏盤」は"怠い夏のアルバム"というコンセプトをもって制作しており、このアルバムコンセプトは4人編成時の「海まで」の完成から具体的に思い描くようになる。

 "夏"は自分にとってイメージ喚起しやすい言葉だ。突き抜けるような青空を思い起こしもするが、その背後には必ず、汗がまとわりつく逃げ場のない蒸し暑さのようなイメージが同居する。
 恐らくこれは自分が汗っかきだから出てくる想像だと考えている。馬鹿らしくもあるが、実際、昔から生理的不快感は創作者の個人性を強調するキーポイントになってきたのではないだろうか。

 とにかく、"夏"に対しては愛憎といえるような感情を抱いていた。そしてこの愛憎は、何かに抑圧された男が汗をだらだら垂らして炎天下を歩いているイメージを脳内に作り上げ、それがそのまま歌詞に反映された。
 男が海にたどり着き波に捲かれている情景は、この抑圧からの逃避先として喚起されたものだ。

 思えば、"抑圧された男"というイメージ創出には、当時の金のない生活も大きく影響しているかもしれない(今もないが、今より断然なかった)。時間をおいて詞を見ると、制作時の自分の状況や心境が客観的に思い起こされることはよくある。
 

kumagusu - 海まで

ああ、怠惰な表情
このリハビリのような散歩は続くだろう
おれがその気になれば、
もう言うこともなしの太陽を感じたり

もっとしっかりやれナレーションを

どうでもないことも、くだらない話も見据えてくれ
漂う反復を忘れる前に
もっとしっかりやれナレーションを

夜の到来はまさに曖昧、曖昧、曖昧だった

黄昏の海まであと少しだけ
もうちょっと息を止めて
海まであと少しだけ

おれはしっかり捲かれていたい
波にしっかり捲かれていたい
おれはしっかり捲かれて、おお


 <海まで の 作曲>

 「海まで」はバンドで表現したい形が徐々に見えはじめた時期に作られた曲だ。ギターのコード進行が分断されるようなリズムアプローチを組み込みながらも、しっかりと歌をのせたら面白いんじゃないか、と考えて作曲した。 
 具体的な分断の方法として、バスドラムのキック連打を要所要所にアクセントとして挟むことにした。これは井上陽水の「リバーサイドホテル」冒頭部分のドラムフレーズを参考にしている。リバーサイドホテルでは歌が入ってからキック連打が登場することはないが、「海まで」ではボーカルメロディとの兼ね合いを考えながら繰り返し登場させた。

 「海まで」のリードギターアレンジは、「一聴するとミスったりタイミングがずれているようにも感じるが実は再現性がある」ものになるよう意識した。
 kumagusuの曲は、ウワモノを乗せる上でのイメージ共有が特に難しく、メンバー全員で共有できるギター像を模索していた時期でもあった。山﨑(山﨑熊蔵 / Guitar)はもともと、彼自身の造詣が深かいノイズや実験音楽的なアプローチを積極的にkumagusuへ持ち込もうとしていたので、その要素をイメージ共有できるレベルで言語化したいと考るようになる。
 個人的に「実験音楽」という"言葉"に対して疑問があった。実験音楽として発表されたものが成果に繋がる瞬間はいつなのだろう、と。
 そもそも実験的に新しい音像を生み出すこと自体が成果なわけだから、今思えばただの理解不足なのだが、当時は、"構築された曲"へアレンジ活用できる形で導入されることが初めて実験の成果になるのではないか、と割と本気で考えていた。
 そういう妙な、言いがかりともいえるような思考から、「ペロンッ」「ピィ〜ン」みたいな、完全なフレーズとして固定されにくいギターアレンジを取り入れるようになる。
 
 作曲に限らず何かを制作していると自分の"好きなもの"と"実際にやれること"が合致しないタイミングが来る。
 制作当初、この曲はyoung marble gaiantsのようなスカスカした音像にしたいと考えていたが、スタジオで合わせた際、UFO(鈴木UFO / Drums)の力強いドラムを改めて体感し、元のイメージのまま完成させることは不可能であると理解した。
 元のイメージで作ることが難しいとわかったところで、ネガティブになる必要はない。バンドという集団で(少なくともソロプロジェクトではなく)創作をする以上、各メンバーの個性は発揮されていた方がいいと考えている。各曲に対してどの程度、それぞれの個性をむき出しに表現できるかの擦り合わせがあって良い。
 
 当初無機質な音像をイメージしていた楽曲は、徐々に独特の酩酊感を持つグルーヴに変形していき、富烈加入後のサックスアレンジがそれをさらに推し進めた。



2. 夜はアルカリ

オリジナル音源は「夏盤」に収録。

 <夜はアルカリ - イメージと詞>

 現実と、空想的な浮遊感が混ざるような夜の情景を思い浮かべながら作詞した。

 自分は創作において何かイメージする際、近しい間柄の人間を思い浮かべることが皆無に等しいのだが、この曲には珍しく隣に人がいる。
 「5分黙ってて、深夜徘徊楽しい」は作曲初期段階の鼻歌で出てきた。ふざけ と 若干のシリアスさ が混在したようなバランス感が気に入り、歌詞はこれを発展させていくことになる。
 こういうふと出てきた言葉は、案外どのような距離感で接するのかを考える必要がある。明らかに、近しい誰かに問いかけをしているこのフレーズについて、実際に深夜徘徊しながら考えた。
 結果として、見えてきたイメージは「5分黙ってて」と言ったまま"隣の人"の心情は置き去りにしたものだった。問いかけはするが、一方的に思ったことを述べながら徘徊をしている人物像が浮かんできて、どこか感想文のようにつらつらと言葉を並べた歌詞になった。

 「夜はアルカリ」という言葉は曲中に登場しない。"アルカリ=溶ける"という、朧げな認識を、この曲のイメージに当てはめてタイトルとした。感覚で選んでつけてしまったので正直、アルカリ性って本当に溶けるの?という不安があった。
 今「アルカリ 性質」でググったら"アルカリ性はタンパク質などを溶かす性質があります。"と出てきた。
 正解だった。

kumagusu - 夜はアルカリ

5分黙ってて、深夜徘徊楽しい
悪いが5分黙ってて、深夜徘徊楽しい

不通の友人に傘がない
歯が浮くくらいセット爽やかな散髪屋前の灰皿が
関係ない煙を吐くのを見て考えている

何を見にいく?
君は夜の中毒で浮遊感を感じている

さまようだけのテンプテーション
誰かとすれ違っても感覚はゼロに近いし
錆びた青白い夜に消えていく気がしたみたいだった

5分黙ってて、深夜徘徊楽しい
悪いが、5分黙ってて、深夜徘徊楽しい 


 <夜はアルカリ の 作曲>

 中盤のミニマルな繰り返しを活かすことで没入感が生まれるようにしたかった。改めて考えると不思議な曲構成をとっている。
 kumagusuではフック的な位置付け以外で同じメロディラインを再登場させて歌うことが少ない。この曲はそれが極端な形で出ているので、各展開をAメロBメロといった名称で区切るのが難しいが、ベースラインで切り分けると考えやすい。

 以下がベースフレーズをパートごとに分けた構成。同じ英字ブロックで同一のベースフレーズを弾いている。

夜はアルカリ - ベースによる展開

A (イントロ)

B (5分黙ってて〜)

C (不通の友人に〜)

A (散髪屋前の灰皿が〜)

C (何を見にいく?〜)

A (錆びた青白い夜に消えていく〜)

B (5分黙ってて〜)

 中盤のミニマル展開(Cパート2回目)では、すでに登場したベースフレーズを再び弾いているだけだが、そこから同時にギターフレーズのループがはじまり歌のメロディラインが変わる。その上これが長く繰り返されていくので妙な展開に迷い込んだような感覚になる。 
 
 この曲はコード進行をもとにする作曲方法では生まれなかったように思う。もともとkumagusuではギターリフをモチーフとして作曲に取り組んでいたが、「夜はアルカリ」の制作頃から、ギターリフとベースリフが組み合わさったアンサンブルの成立をデモ段階で狙うことが多くなった。
 この作り方で曲の断片が出来ると以降をコード進行で展開していくのが難しくなるため、新しいリフの登場が曲を展開していくことになる。その際の整合性は、既出いずれかのセクションが芯を保っていることで成り立つ。

 多くのバンドと同じように、kumagusuにとっての芯はベースだ。「夜はアルカリ」で得たベースへの意識は、夏盤リリース後の作曲でよりシンプルなループ的アプローチとして表出されることになる。


3. 温泉街

オリジナル音源は2019年リリースの2nd Full Alubm「夜盤」に収録。

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kumagusu - 夜盤 (2019)
「夜盤」は"さびれた夜のアルバム"というコンセプトで制作した。

 <温泉街 - イメージと詞>

 ひなびた温泉街の情景を思い浮かべながら作詞した。
 「すごくいい雨、酸性雨 骨になるまで達者で暮らす」はデモに鼻歌を繰り返し吹き込みながらメロディラインを考えているときに出てきたフレーズだ。すごくいい雨、からの連想として酸性雨、酸性雨からの連想として骨、骨からの連想では 死 を思ったが、 達者で暮らす というナメたような"生"へ反転させた。

 曲中主観の人物が実際に温泉街にいるのか、温泉街を空想しているだけの存在なのか、これについては自分の中でも曖昧なまま作った。
 つげ義春の漫画が好きなので、温泉というモチーフはそこからの影響があるかもしれない。ただし、この曲に出てくるのは、つげ作品に登場するある意味ストイックな単体の温泉"宿"ではなく、観光地の自覚はあるが完全に過疎っている、といった中途半端な立ち位置の温泉"街"だ。もし自分がどこかに雲隠れするならこういう、ある程度まぎれこむことのできる場所を選択する。

 イメージの中の温泉街は、湿気を含んだアスファルトの上に立ち現れた。kumagusuのMV制作では過去に2度、雨のあとの野外撮影を経験している。カメラをとおしてみる夜の濡れた道路は、どこか誘い込むような不思議な質感をもつ。「温泉街」で雨を歌ったのはその時の印象が作用したからかもしれない。
 
 無意識的に出てきた歌詞も、あとあと考えると還元できそうな印象的な記憶や経験に思い当たることが多い。夢を思い出す時に、忘れていた現実での出来事がふと想起される感覚に似ている。

温泉街 - 歌詞

すごくいい雨、酸性雨
骨になるまで達者で暮らす

温泉街のように

本当は形無し
怠惰な誘惑もだるいし、発光をしようよ
ボー然と街は温泉街のように立ち尽くす
立ち尽くす

すごくいい雨、酸性雨、骨になるまで
清々する、骨になるまで、温泉街のように

 <温泉街 の 作曲>

 「夜盤」の制作では、ループ的なベースを横軸の一本線として、その周辺に隙間を取りながら点を配置していくイメージで作曲を進めた。曲構成を俯瞰してみた時に、視覚的とも思えるバランス感覚が喚起されるように作りたいという、妙な気持ちがあった。

 「温泉街」はふたつのベースフレーズを順番にループしている。構成はA→Bのベースパートの流れをキメで繋ぎ、再度A→Bに戻るシンプルな形をとった。

温泉街 - ベースによる展開

A (イントロ、すごくいい雨〜)①ブロック

B (温泉街のように〜)①ブロック

キメ

A (本当は形無し)②ブロック

B (怠惰な誘惑もだるいし〜)②ブロック

キメ

A (すごくいい雨〜)③ブロック

B (骨になるまで〜、アウトロ的ギターソロ)③ブロック

キメ

 A→Bの流れは、①ブロックではAの方が小節数が多くなるように、②ブロックからはBの方が多くなるよう比重を逆転させている。
 ②ブロックのBパートでは、①ブロックでフック的に使ったボーカルのメロディライン(温泉街のように)には回帰せず、フックの要素を含んだ新しいメロディラインの流れに発展する。この展開を目指すため②ブロックのAパートはあくまで繋ぎ的なワンクッションとして短く切り上げた。
 ループ的ではあるが、その上で歌が有機的に作用するようにアイディアを練り込みたかった。

 ③ブロックに登場するBパートは、アウトロのソロに合うよう、ベースの音価が長くなるようなピッキングニュアンスを意識して展開をつけた。
 細かいリズムアンサンブルは、スタジオで合わせながら、モジャ(佐藤モジャ / Bass)とUFOが具体化していく。
 
 バンドで曲を作っていく楽しみはこういうところにあると思っている。

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4. 芝浜

 オリジナル音源は「夜盤」に収録。

 <芝浜 - イメージと詞>

 漠然とした悲しみ(≒虚無感)をもった人物が夜をうろついている情景を思い浮かべて作詞した。虚無感からの逃避として "芝浜" を求めるが、それ以上解決のための模索や提示はなく、「不条理なこともどうやらある」と連呼しているうちに、主観的な視界が半ばやけっぱちに、サイケデリックにゆがんでいくような曲にしたかった。

 "芝浜" は落語の古典演目だ。落語は噺家それぞれの様々な解釈で演じられるが、曲中の人物は、三代目桂三木助の芝浜を求めているものと想定した。三代目桂三木助は芝浜を人情噺に練り上げた落語家として知られている。
 人情噺は虚無感の対極にあるような気がした。

 新しいアイディアが放置していたアイディアと結びついてひとつの形を成すことがある。もともと、「不条理」という言葉は別の曲で使おうとしたアイディアだったが、イメージを言葉以上に膨らませることができず完成しなかった。しばらくして別の曲のアイディアで、「芝浜」という言葉をどうしても使いたい気持ちが湧いてきた。
 このふたつのアイディアは
" 悲しいから芝浜を聞きたい ↔︎ 悲しい ≒ 不条理 ↔︎ 不条理なこともどうやらある "
 という連想によって結び付けられ、曲の具体的な着想となった。
 
 歌詞と詩は異なるものだと考えている。これは作詞と作曲を同時進行的に行なっている自分のもつ、個人的な見解だ。メロディや曲構成の制約をうける歌詞は、単体の詩としては成立せず(もちろん詩も種類によって制約はあるが)、あくまで楽曲との関わり合いをもって完成していく。
 「不条理なこともどうやらある、悲しいから芝浜一席頼む」という着想は、楽曲のアイディアや音像と結びつき、サイケデリックなイメージへと変形していった。

kumagusu - 芝浜

もっと冷たい汗をかくまで成仏しない

ストレスと雑念、都会
ロングランの甲斐性もないし
夜、がらんどう

街とその他の錯覚
不条理なこともどうやらある
悲しいから「芝浜」一席たのむ

アテもマップもないし感覚もない

不条理なこともどうやら、どうやらある
夜が溶ける前に一席頼む「芝浜」

 <芝浜 の 作曲>

 4拍子の曲だが、イントロは山﨑ギターの3拍子でひとフレーズのリフレインが入ることによってポリリズムの形をとっている。このリフレインは曲の中盤やアウトロで再登場させ、ひっかかりとなるようにした。

 ベースは一拍目以外を裏拍でとった1小節をひとまとまりの基本フレーズとしてループしている。ボーカルはこのベースのノリを意識した上で、流動的にリズム構築に加わるようなイメージでのせた。

 「不条理なこともどうやらある」は3小節をまたぐ歌い方が一番気持ちよかった。小節数を大きくとる歌詞は、サビ的なメロディラインに落とし込むのがなかなか難しい。この曲では展開の要になるようなパンチラインとして使うことにした。

 「芝浜」は富烈加入後の既存曲アレンジの中で、唯一小節数を変更した曲だ。後半の間奏部分が、4人編成時の構成に比べて長くとってある。作詞の項で触れた、"主観的な視界が半ばやけっぱちに、サイケデリックにゆがんでいくような"イメージにするには、フリーキーなサックスソロを長く取る必要があった。

 富烈はソロ展開でのサックスアレンジを毎回変えてくるので、もしライブなどで見てもらえる機会があれば、今作「処夏神経」とは異なった音がのっていることと思う。
 そういう意味でも、5人編成後、肉体的ともいえるアプローチが特に備わった曲だと思っている。

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5. 有意義

 「処夏神経」が初収録の新曲。

 <有意義 - イメージと詞>

 立ち尽くした人物のもとに、夕暮れが訪れ去っていく情景を思い浮かべながら作詞した。人物は一定の場所から動かないが、思考や意識が時間とともに変化していく様子を描きたかった。
 程度の差はあれど人は躁鬱の波の中を生きていると思っている。周りの世界に意味を見出しづらいタイミングと、世界がひらけているように感じるタイミングに揺られている実感が、少なくとも自分にはある。

 中盤のサックスフレーズが入るまでは、している、生きている、ディテール、みている、と、各文末の韻を揃えてある。こうすることで、思考が同じところをぐるぐる回っているような印象を、説明的ではない形で出せるのではないかと考えた。
 
 ふとしたアイディアそれ自体が自分の視界に輝きをもたらすのか、それとも躁的な波が先行して運んできた輝きの先にアイディアがあるのか、どちらだろうか。

 無意味に街を眺めている曲中の人物は、夕間暮れの中でいつの間にか個人的な真理を得る。
 「おれを左右する感情は静かな波を漂う豆腐」というフレーズは、作詞に行き詰まった自分の視界にも輝きをもたらしたが、あくまでそれは、極めて曖昧に、どこからともなく現れたのだった。

kumagusu - 有意義

退屈、ずっと無防備
夜までは考えないようにしている

感じたいのは今日の感性
とりあえず、夜までは晩酌せず生きている

曖昧なディテール
有意義とも思えないが街をみている

夕間暮れが身を溶かしてゆく
息を吐く合図

おれを左右する感情は静かな波を漂う豆腐

揺られては描くカーブが有意義

あがってはさがって
感傷も消えて、どうやら

 <有意義 の 作曲>

 富烈加入後の5人編成で作った初めての曲だ。
 テーマになるようなフレーズはサックスが担う形にしたいと考え、最初に中盤のサックスフレーズを作った。以降はそれを基軸に曲前半部と後半部の構成を考えながら作曲した。
 
 「有意義」は制作当初から3分前後で納まるよう意識し、結果として2分半程度の曲になった。長い曲ならその長さを忘れさせるよう、短い曲ならその短さを意識させないように作りたいと、常々考える。
 中盤のサックスフレーズ終わりからは、有機的なアンサンブルに推移するようなイメージで展開した。前半部とは異なる時間の経過感覚を表現したかった。

 pixiesの「Allison」という曲が好きだ。1分18秒しかないこの曲は、その短さの中で十分すぎる構成が極めて自然に展開される。今でも聴くたび、時間の経過がバグったんじゃないかと感じる。
 音楽は時間の芸術だと言われる。この言葉の真意は知らないが、たしかに自分には、聴いた人の時間感覚を歪ませたいという気持ちがある。


6. エッセイ

 オリジナル音源は「夜盤」に収録。

 <エッセイ - イメージと詞>

 創作でイメージが拡がっていくような真夜中の時間を思い浮かべながら作詞した。
 "随筆"という言葉を使いたいという漠然とした気持ちが、「誰にも見せないエッセイ」という一文でのアイディアへ発展し、具体的な着想となった。
 
 創作は必ずしも他者への共感、共有を求めて行われるものではないと思っている。自分の内向的な部分の考えを示せば、完成した創作物が共有されたときの世間的な評価や結果はある程度どうでもよくて、創作を行う過程の中で見えてくるその人の個人性それ自体が既に意義をもっているように思う。
 もちろんこれは考えの一面であり、制作物を広めようとする動きへの否定では決してない(だからこそ、自分も今回こうやって作品解説を書いている)。共有された時にそれまで以上に作品を客観視できることもあるし、外界との繋がりによって新しいアイディアやイメージが形成されていくこともあると思っている。

 ただ、「エッセイ」では自分の考えの、内向的な側面を形にしたかった。もしかしたら何かを作るという行為に対しての自戒的な気持ちがあったのかもしれない。
 曲の前半部分では登場人物の創作に対する考えを、中盤から後半にかけてはイメージが深まっていく様子を少し引いて捉えるように描いている。
 
「窓の外は暗いが酸素を満たすらしい」というフレーズは、クローズドな歌詞観の中で唯一の対比的な情景として喚起された。

kumagusu - エッセイ

コントラスト
なんとなく場違いな素行も良くなりそう

目を凝らし、訴求はやめて
誰にも見せないエッセイを書けよ
形はないぜ

もう少しおれは透明になる
伝え難い感覚も大概は人たらし

妙な映画みたいな熱を持っておどる
窓の外は暗いが酸素を満たすらしい

夜はドープ
寄せては返す何かがある
籠城しようか、今夜、もっと

誰にも見せないエッセイ、
エッセイ、エッセイを書けよ

形はないぜ

 <エッセイ の 作曲>

 製作者の"部屋"を感じ取ることのできる創作物が存在すると思っている。ECDの「失点・イン・ザ・パーク」「Crystal Voyager」という2枚のアルバムが好きで、特に影響を受けた。内宇宙的な方向に向かう意欲を机に向かって発散させている姿を、部屋の外から透かし見ているような気持ちになる。

 他にもこういう感覚を得られる曲はいくつかあるが、バンド形式の音源からこの印象を得た経験があまりない。そもそも宅録とか、ある程度チープさのある音像とかが、内向的な印象を作り出しやすいのだろう。

 「エッセイ」はバンド演奏での曲だが、一聴したときに "部屋感" を感じられるように作りたかった。

 初期段階のデモはベースと歌だけのシンプルな形で作った。シンプルなデモには、まさに"部屋感"が現れやすい。
 そこからは感覚的な話になる。肉付けは「夜盤」制作における、横軸への点配置のイメージで行ったが、それ以上になにより、バンド演奏に落とし込むことで "部屋感" が極端に損なわれることのないよう注意をした。



7. たばこを

 オリジナル音源は「夜盤」に収録。

 <たばこを - イメージと詞>

 寝付けない夜にベランダでタバコを吸っている人物を思い浮かべながら作詞した。何かから逃れるようにベランダに出てたばこを吸い、そのまま緊張が緩んでいく様子を描きたかった。
 たばこを という言葉をリズムで区切りながら繰り返して歌ったところ気持ちが良かったので、そこからイメージを膨らませた。
 
 たばこの連呼のあと、人物の緊張は緩和される。「くだらない、くだらないし、その通りくだらない」は、その状況を考え、少し投げやりな気持ちで書いた。

 後半部は、人物が空想している"何か"を探しながら作詞を進めた。行き着いたイメージは「やさしいあの人も灰だらけ うなされてつかれている」という、どことなく不穏なものになった。

 最後の詞については、曲自体がリラックスした雰囲気を保って展開されていたからこそ採用できたように思う。
 少しでも感覚の異なる何かが組み合わさって生まれる、新しい感覚に興味がある。
 

kumagusu - たばこを

風景をそっと遠ざければ苦悩しない
また虚無と焦燥感の募る夢をみたい

めまい、ぞっとする

たばこを、たばこを、たばこを、たばこを
たばこを、たばこを、たばこを、たばこを

着火したなら油断したりする
くだらない、
くだらないしその通り、くだらない

まぼろしも善し悪しさ
何が見える?

優しいあの人も灰だらけ
うなされて疲れている

 <たばこを の 作曲>

 4小節でひとまとまりのベースフレーズのループが基軸になっている。
 制作初期段階ではベース弾き語りのような形で歌の乗せ方を探した。"たばこを"の連呼パートは、ベースフレーズへのアプローチとして出てきたアイディアだ。大きく小節をとって展開しているループに対し、短い尺での言葉のループを噛み合わせてみたくなった。
 1回目の間奏は緊張から緩和に入る瞬間をイメージしている。吸って吐き出した煙が空中を漂っていく情景が見えるようにしたかった。
 
 後半の間奏部分ではギターソロ的な展開をいれているが、曲の盛り上がりとして機能することのないように注意した。ベースだけがフレーズを保つ中、ドラムがテンポキープをやめるような形で抜け、山﨑は6拍子でひとまとまりのフレーズをポリリズム的にいれている。危うさのあるアンサンブルの中、ギターの単音をヘロヘロと紡いでいくようなソロがイメージに合致した。

 この曲はデモの時点ではもう少し軽快なテンポ設定だったが、スタジオで合わせながら曲を作っていく過程でどんどん遅くなっていった。kumagusuの曲は大体どれもデモより遅くなる。

 その曲にとっての有効なアレンジは、テンポを体感として理解できたときにふと浮かんできたりする。


8. 彷徨

 オリジナル音源は「夜盤」に収録。

 <彷徨 - イメージと詞>

 街をさまよう人物は kumagusuの曲によく出てくるモチーフだ。「彷徨」もタイトルの通り、さまよう人物の視点を描いている。
 この曲では人物の心持ちや設定などをあまり考えずに手をつけ始めた。それまで繰り返し登場させてきたモチーフに、一番自然な形で取り組んでみたいという気持ちがあった。
 今思い返せば、歌い出しに「考えもなく」という言葉が入っているのは、この意識が影響してのことだったのかもしれない。
 
 「俯瞰した街の様子」というフレーズが出たことで歌詞の具体的なイメージがみえはじめた。さまよっている人物の視点ではあるが、どこか客観めいた質感のあるものにしたくなった。
 長い文だと、不必要な感情まで見えそうな気がしたので、なるべく短い文を繋げて作詞している。「たゆたうのもいいぜ」「感傷なんてないぜ」という念押しの終助詞は一見感情的ともとれるが、全体が短い文の連続で構成されていることで逆に軽薄というか、空元気というか、そんな印象に聴こえるのではないかと考えて採用した。

 「暮らし」という言葉が登場したのは、我ながら意外だった。当時それまであまり意識してこなかった "生活感" みたいなものがいつのまにか自分の中に発生しているのかもしれないという、不安ともおかしさとも取れる妙な感覚になったことを覚えている。
 

kumagusu - 彷徨

どこか遠く
考えもなく
俯瞰した街の様子

スローに回る暮らしをみて
たゆたうのもいいぜ

感傷なんてないぜ
風景が眩んでいくムード

感じたまんまでいいか
風景、ムードは皓々と空疎

どこへ向かう?
どこかへ向かう

 <彷徨 の 作曲>

 夜盤制作の終盤にアルバムの2曲目にいれる、という想定で作り始めた。特徴的な短い曲にしたいという気持ちがあり、和音をスライドさせるギターフレーズを繰り返し多用する形をとった。

 ボーカルは、細かいハイハットと極力抑えたベースの上にのる、新しいリズムアプローチとしても作用するよう意識した。言葉数は多くなくても、パーカッション的な側面で声を捉えてある程度リズム構築に参加できるようなイメージでボーカルを考えることが多い。

 出来上がったデモをもとにスタジオで曲を合わせる日、ちょうどネットでboboさんのインタビュー記事が公開され、そこには"54-71はほとんどの曲のサビ前でブレイクをいれている"といったことが書かれていた。なるほど、と思いデモにはなかったブレイクをいれて合わせたところかっこよくなり、メンバー全員でかっけぇ〜と言って彷徨は完成した。


9. 精進

オリジナル音源は「夜盤」に収録。

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2017年リリースの「夜来たる / 精進」にはシングルver.を収録している。

 <精進 - イメージと詞>

 "酔っ払って精進する" というフレーズは、先行して出来たデモに鼻歌をのせているときに思い浮かんだ。この言葉の馬鹿らしさは、幾分かストイックにまとまりそうだったデモに新鮮なバランス感をもたらし、そこからイメージが拡がった。
 
 喜怒哀楽から一歩踏みはずしたような感情が好きだ。
 精進では"漠然とした苛立ち"を持った男をイメージして作詞をはじめたが、同時にこの苛立ちを、他者に届く前に違う何かに変換させたい気持ちがあった。酒を飲みながら「精進する」と連呼している人物は、苛立ちの延長線上で一歩感情を踏み外しているように思われ、何か余白めいた隙のある印象を自分にもたらした。

  "街"と、人物のいる"街灯の下"は対比的なイメージで描いた。人物が苛立ちを向ける街が、ネオンやビル群の印象を持って曲中に立ち現れるようにしたかった。

 「精進」は夏盤リリース後、シングルとして制作した曲だ。もともと、夏のアルバムを作ったら、次は夜のアルバムを作ろうという構想を個人的にもっていた。
 "怠い夏"というコンセプトを廃した"夜の曲"を作りたいという気持ちの高まりが、夏盤制作の後半時点では既にあり、溜まっていたものが吐き出されるように出来た曲とも言える。

kumagusu - 精進

今年も街には
羽毛より軽い夜ばっかなんてふざけんな

酔っ払って街灯の下、精進する
おれは精進する

精進する、発泡酒今用無

潜っていく夜
星が闇夜照らしあつかましいし
どうするんだよ

今年も街には羽毛みたいな幻想
眠らない
みえないものがみたい

飲み込んだり、効いている

スペイシーな夜には酒を持ってこいよ、どうぞ
街灯の下で待つおれは酔っ払って精進する

精進する、精進する、精進

 <精進 の 作曲>

 ギターソロからCメロへ向かうようなひらけた展開のある、割と素直な曲構成になっている。夏盤の制作を経て、ベースフレーズを作曲初期段階のモチーフとして明確に意識するようになった頃の曲だが、曲を作り上げるまでのプロセスについては手探りの状態だった。
 初期のデモには歌い出しから1回目の「精進する」という歌詞の登場までを吹き込んでおり、そこからの発展はスタジオで繰り返し合わせながら練っていった。
 
 ドラムは2小節をひとまとまりの基本フレーズとして演奏しており、1小節4拍目のタイミングでスネアの2連打を入れている。スタジオでUFOがこのフレーズを入れてきた時のことをよく覚えている。自分一人のデモではしっくりまとまらなかったリズムパターンが明確化され、ボーカルの乗せ方の方向性も見えたタイミングだった。

 後半のギターソロの終わりから(スペイシーな夜には〜)は、新しいベースリフで展開した。ただし、歌い出しで入るベースは、その直前まで自分が弾いていたギターフレーズを踏襲したものになっている。Cメロ的なパートではあるが、完全に新しい要素で展開することを避けたかった。ラストの精進連呼パートでは2小節のベースリフレインに対し、山﨑が4小節のギターフレーズを被せる形でまとまった。

 精進はシングルでの発売後、夜盤にも再録版を収録している。MVはシングルバージョンのものだ。
 再録にあたりアレンジを変えた箇所はほとんどないが、シングル版では歪んでいたAメロ部分の山﨑のギターをクリーンな音に変更した。

 「夜のアルバムを作りたい」というイメージは、シングルリリース以降「さびれた夜のアルバムを作りたい」という具体的な着想に変わり、それに向けてバンドの音像も少しずつ変わっていった。


10. あなたの主張

 オリジナル音源は「夜盤」に収録。

KlanAileenKumagusu(ジャケ)

2019年にリリースしたKlan Aileenとのスプリット
「Kkluamnaagiulseuen」にはstudio take ver. を収録。

 <あなたの主張 - イメージと詞>

 「あなたの主張」はkumagusuで一番最初に作った曲だ。完成したのはもう10年以上前のことであり、正直どんなイメージで作詞したのか覚えていない。
 覚えていないというか、歌詞を書く経験自体がほぼ初めてだったので、とにかくどういうことを歌えるのか探していた時期だった。
 頭にぼんやり描かれるが、言葉として取り出すことのできないモヤがかったイメージを、当時住んでいた家の近くの川沿いで深夜に酒など飲みながら考えた。
 
 具体的な方向性を決めずに、とにかくバンドをやりたいという気持ちでkumagusuは始まっている。当時は詞も音楽も、それまで聴いてきたものが、今に比べて凄く並列的に頭の中にあった。つまりやりたいことが沢山あって、何をやっていいのか分からなかった。
 分からない先に、ある種の諦めをもったとき「煙を吸う 煙を吐く 空中を眺める」というフレーズが浮かんだ。
 自分なりの言葉と音の関係性が少し見えたタイミングだった。

 このとき喚起された漠然とした情景は、今も頭の中を転がっている気がする。

kumagusu - あなたの主張

旋回してるイメージ
引きずって歩く
突き刺さるイメージ
引きずって歩く

鼓膜にこびりついたあなたの主張
ウィスキーを飲んでひっぺがすので精一杯

煙を吸う
煙を吐く
空中を眺める

 <あなたの主張 の 作曲> 

 今のベースフレーズの原型、自分のギターフレーズ、前半で2箇所に分かれて登場する山﨑の単音フレーズはデモ段階で出来ており、中盤までの曲構成はかなり早いタイミングで決まった。
 そもそもどういう楽器編成でのバンドにするのかも曖昧なまま作りはじめた曲なので、最初期のデモにはよくわからないシンセ音がのっていたりする。

 中盤以降の即興は、曲をまとめあげる技術の不足に対しての悪あがきで生まれた展開だ。
 即興といってもベースは同じフレーズを繰り返している。作詞と同様に手探りで行った作曲だが、結果的に後のバンドのスタイルに繋がる手法を使っているのが今考えると面白い。

 メンバーのその時の趣向が垣間見えたりするので、いまだに演奏していて新鮮さがある。 

 空中を眺めた先に現れた情景が、メンバー全員の音に破壊されてはまた浮き上がる。この曲の演奏中、自分の頭の中ではこんなイメージが繰り返されている。




kumagusu

2009年末、井上Yを中心に結成。
どこか新鮮で、何故か形容しがたいものを オルタナティヴ であると解釈した上、作品制作に邁進。
メンバーは井上Y(Vo.Gt)、山﨑熊蔵(Gt)、富烈(Ts)、佐藤モジャ(Ba)、鈴木UFO(Dr)の5名。
自主レーベル"無呼吸ファンクラブ"からはフルアルバムを2枚リリースしている。
2021年7月、Jolt! Recordingsよりライブカセットテープ"処夏神経"をリリースした。

kumagusu HP
kumagusu Twitter


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。「処夏神経」はDLコード付きのカセットテープ、もしくはデータのみの音源がbandcampで購入できます。

 サックスの加入で、情景の強度が増したkumagusu。今後とも乞うご愛聴。

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kumagusu 『処夏神経』

1. 海まで
2. 夜はアルカリ
3. 温泉街
4. 芝浜
5. 有意義
6.エッセイ
7. たばこを
8. 彷徨
9. 精進
10. あなたの主張

Jolt! Recordings(JOLT-6)

カセット 通常版(Ltd.100) ¥1,500
カセット 限定版 (Ltd.50) ¥2,000
デジタル ¥700



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