見出し画像

天皇?皇帝?どちらが有用?

The Last Emperor(1987)。私の同世代の女性は一世一代の美男子ジョン・ローンの魅力にやられたのだが、確かに美術と音楽の映画。ドラマは弱いし、史実の改変も多い。

でも、中国のことを考えるとき便利な映画だ。東アジア3000年の歴史で、中国がつまずいたアヘン戦争、そして日清戦争から100年余りを当たり前と思ってはいけない。

溥儀が3歳で即位してから、ロンドン大学のレジナルド・ジョンストン教授に教えを受けるあたりまで。皇帝の孤独な儀式の世界を、浮かび上がらせる視点は、「暗殺の森」のコミュニスト、監督ベルナルド・ベルトルッチらしい視点だが、今習近平が個人崇拝の対象になりつつある点にを考えれば、中国のような巨大な国は、強大な権力支配が必要で、皇帝が共産党トップに変わっただけとも言える。

映画でも描かれるように、溥儀は徹底して政治に利用された人生だったが、彼も日本を利用し、東京裁判ではソ連のシナリオ通り証言した経緯は映画に出てこないので補足しよう。王政とは、儀礼によるフィクションであり、利用し/される関係は運命的に付きまとう。

溥儀が日本の傀儡というなら、占領統治のため利用された象徴天皇制も広義のパペットではなかったか?ある意味、大政を委任しながら、危機には切り札として登場する「天皇」というしかけは、「皇帝」より巧妙だ。溥儀という「鏡」は、変数を伴いながら天皇制を考える材料なのだ。

映画に重みをもたらしたのが、ジョンストン教授を演じたピーター・オトゥール。溥儀から出身を聞かれてスコットランドだと答えるあたり、英国の主流でない東洋学者のスタンスが浮かぶ。オトゥールの名前の通り、彼はアイルランド出身でジョンストン以上に英国の傍流である。なるほどロレンス大尉が似合うわけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?