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目に注射を刺す「痛い」映画

近代の作家が、小説の神様として崇めた西鶴の「語り」は、まるでマジックのように、一つの「秘密」を設定しては、それを謎説くと同時にまた新たな「秘密」を生み出してみせる。その展開も意外性に満ちている。あの、疾走感を生み出すのは、次々繰り出される「秘密」の展開にあると確信する。


周到に計算しただけで、あれはできない。やはり「天才」というべきか。それと現代語では冗長になってしまうところを、言葉の連想力を信頼して省略を効かせている点が、文体の魅力でもあり、構成の鮮やかさにもつながっている。これは俳句・俳諧の力。動画は視覚と聴覚に特化しているが、触覚や嗅覚、距離の体感などに向いていない。それはむしろ言葉の連想に賭けた小説でこそできるものである。


昔「タモリ倶楽部」で、史上最低ホラー映画場面BEST10という企画を観た。一位は眼球に注射針を刺すという、ゾンビ映画の古典「ゾンゲリア」のシーン。これも眼に特化した映画だから文字通り「痛い」。


むしろ。写真の「マラソンマン」の拷問で歯を抜くシーンの方が、触覚の描写から入って、光と音を使いながら、連想によって痛さを表現していて、「文学的描写」に近い。
https://www.youtube.com/watch?v=2xBJERznOgA

たとえば、「100m歩いた」で言語なら済むところが、動画では、非常に表現しにくい。動画に慣れ切った世代には、こうして小説にしかできないことを実感してから、西鶴の描写の凄さを原文で味わってほいしいものだ。

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