見出し画像

書き手として、兄弟を受け入れることにした

一時期に比べて文章を書かなくなった。単純に忙しくてそれどころではないというのが大きな理由だ。

いつもならここからもう考えない。特段考える理由もない。
悲しいことに労働が前提の社会なのだから「忙しい」その一言ですべてが片付く。みんな大好き不労所得がほしいよお母さん。

そう、僕は忙しいのだ。でも今日は魔が差した。

******


目の前がくすんだ色で覆われている。世の中的にはきっとベージュという色に分類されるのだろうけど、そんないいものでもない気がする。だってトイレの壁だもん。(お食事中の方はなんかごめんなさい)

くすんだトイレの壁を見てるうちになんの前触れもなく考えていた。普段ならトイレの壁を見ながら到底考えないようなことだ。

「文章を書かなくなったの、本当に忙しいだけ?」

びっくりした。ほら魔が差したって言ったでしょ。
トイレの壁を見ながらこんなことを考える日が来るなんて、そもそもトイレでこんなことを考える人になるなんて。ジーザス。

話が明後日の方向に行く前に話を戻そうと思う。

確かに忙しい。「仕事が終わる」という概念はなく、「仕事に折り合いをつける」といったほうが正しい。「忙しいってあんまり言わないほうがいい」とSNSでいう人がいるけど知らん。うるせえ知ったこっちゃない。忙しいものは忙しいのだ。

******


近頃、忙しさのどさくさに紛れて「読まれたい」「伝えたい」「バズりたい」の虚栄心三兄弟が頻繁に心のドアをノックしてくる。僕の心のドアをノックしていいのは本田翼だけだとあれほど言ってるのに。

それにも関わらず、PCを開いてタイピングし始めた途端、意気揚々とやつらは話しはじめる。

「読まれたいよね。わかるわかる。じゃあここをこうしたら?」
「伝えたいよね。それは大切なことだもの。タイトル変えてみない?」
「バズりたいよね。SNSって素敵だし。構成こうしてみたらどう?」

文章を書こうとすると必ず現れる三兄弟。なにかを書き綴ろうとするたびに「読まれたいよね!」「伝えたいよね!」「バズりたいよね!」と言われるのはやかましいことこの上ない。それに、この三兄弟は僕の虚栄心そのものだ。なぜだか苦手意識のある彼らと対峙し続けるのも疲れる。

そんなこんなしてるうちに気づけば文章を書かなくなっていた。

******


人に良く見られたい気持ちは誰にだってある。けれど、僕はそれを陳腐で醜いものだと感じていたのだろう。だから、文章を書くことから遠ざかった。自分の嫌いなところと向き合うのは疲れるものだ。

でも「読まれたい」「伝えたい」「バズりたい」とやっぱり思ってしまう。もうこればっかりは僕が僕であるために仕方ない。尾崎豊もきっと許してくれると思う。虚栄心に飲み込まれて誰かを悲しませたり、困らせたりしなければいい。きっと自分の一部として受け入れれば良かっただけだ。

ウェルカムだぜ兄弟たち。今日からよろしく。

「読まれたい!」「伝えたい!」「バズりたい!」と愉快な兄弟たちとともに今日も元気に唱えよう。そして、僕が僕であるためにまた文章を書こう。


この記事が参加している募集

noteのつづけ方

noteの書き方

いただいたサポートは我が家の愛猫のおやつにして英気をやしないます!