見出し画像

子供として、父親として。

朝ドラのスカーレットの第107回を見てて、ちょっと…ちょっとたまらなくなって泣きそうになって今これを書いてる。ヒロイン喜美子の息子武志が離婚した父親の八郎に電話するところで終わる回だ。この回では喜美子と八郎が離婚した事や、武志が進路に悩んでいる事が描かれていた。なんだか、たまらなくなって、泣きそうだった(妻が隣にいたので我慢した)。武志にも、八郎にも自分を不意に重ねてしまった。

僕も両親が離婚しており、別々に暮らすことになった父親はその数年後に他界した。もうあれから20年が経つ。僕も結婚し、父親となった。

不意に重ねてしまったのは息子としての自分、父親、夫としての自分。中学生の頃に始まった父親のいない生活は、正直言うと、すぐに慣れた。元々父親は忙しい人で、長期出張なんてざらだったので、家にいないことも多かった。キャッチボールをしたり、野球の話をしたことは覚えているし、優しかったことは覚えている。お酒を飲まなければ。僕が高校一年生の時に病気で他界した。葬式の時に泣くのを我慢した。離れて暮らしていたので、父の実家近くで行われた葬儀が終わって、家に帰ってから泣こうと思った。周りの大人からかわいそうとか思われたくなかったから。帰ったら、泣けなかった。泣こうと思っても涙ひとつ出なかった。わからなかった。なんで、あれほど泣きそうな気持ちを堪えて我慢したのに、泣けないのか。あれ以来、僕は泣いてないわけではないけれど、多分、その部分の気持ちは蓋をされたままだ。

それ以降、父の遺した借金の問題やなんやかんやあり、父に対するいいイメージというものはなくなっていた。就職し、関西から東京に来たこともあり、墓参りも15年ほど前に行ったきりだ。

20年経って、自分に息子ができて、慌ただしい1年半が過ぎた。その間に僕は会社員から奇しくも父と同じ自営業者となった。ずっと、父の姿を思い出しては自営業なんて無理だと思っていたが、なってしまった。まあそれはいいとして。30歳を過ぎる頃から、もし、父親が生きていたら聞きたいことがたくさん出てきた。どういう思いで仕事をしてきたのか、会社を経営するのは大変だったのか、子供が生まれてどう思ったのか、等々。もちろん生きていたとしても聞けたかどうかはわからない。話してくれたかもわからない。それでも父親と話をしたいんだと思う。ああ、僕は子供の頃の、父親への自分の気持ちに蓋をしたまま、この歳まで生きてきたのだなと、書きながら気づく。蓋をしていたのは既にいなかった事だけではなく母親への配慮もあったけれど。

自分に子供ができたことは本当に大きな事で、こんなにも愛おしい存在があるんだろうかと思っている。できる事なら片時も離れたくない。現実問題、ずっと一緒にいるとイライラすることもあるけれど、大原則はずっと一緒にいたい。もし、万が一離れることになったら、寂しすぎて、苦しすぎて、辛すぎる。想像だけでも苦しい。離れて暮らすことになった時の父親の気持ちを想像できた(気がする)。つらかっただろうなあ。父親は酒に走ったけど、その気持ちはわからなくもない。同じ事になったら、僕も酒に走るかもしれない(飲めないけど)。

もうなんだか、感情がぐちゃぐちゃに入り交じって何を言いたいのか分からなくなってきたけど、息子がもう少し大きくなったら、おじいちゃんの話をしようと思う。そして一緒にお墓参りに行こう。その前に一人で行って、父親と少し、話をしよう。

ではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?