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ほんのちょっとの遊びが大事ということ

自動車の教習所で習うことがある。ブレーキを踏む時、「少し遊びがある方が良い」と教わる。遊びの定義は以下となる。

工学における遊び(あそび)とは、接合部(→接合法)などに設けられた隙間や緩み。遊間とも呼ぶ。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3_(%E5%B7%A5%E5%AD%A6)

要するに余裕の事だけれど、人間も遊びがないとヤバいというお話。

遊びがないとどうなるか。ちょっとの動きに敏感に反応してしまう。例えば他人に何か言われた瞬間沸点に到達し怒り出す、傷付き落ち込むなど。ブレーキやアクセルがガチガチの状態を想像して欲しい。少し力を加えただけで一気に加速したり一気に減速したりする。あぶねぇ。それと一緒で遊びがない状態の人間も、周りの刺激から過剰に反応する。周りからすると、え?これだけで反応するの?となってうざがられたりする。

何を隠そう自分自身がそうだったから、そういう気分がよくわかる。少しでも否定の意を感じたら過剰に反応して相手を言い込めたりしたし、とにかく過剰に反応していた。遊びがなかった。余裕なかったよなぁ。

なんで余裕なかったかというととにかく色々な事を考えて、グルグルループしていた。無限ループってやつです。会社、仕事のこと、将来のこと、現在のこと。考えてもどうにもならないことばっかり考えていた気がします。遊びないわー。

どうやって抜け出したかと言うと、やりたかったことをした。会社をやめる。入社して十数年、ずっとやめたかったけど、会社やめたら生活できないんじゃないか、周りから変な目で見られるんじゃないかとか色々考えた挙句、でもやっぱりやめたいからやめた。そしたらストレスなくなった。案外なんとかなったしね。もちろん仕事はしてますけれど。あー、怖かった。

今、ストレスからは解放され、遊びが出てきて思うのは「みんなそんなに考えて言ってないよなあ」ということ。相手を不快にさせるために何か言う人なんてほぼいないし、いたとしたら、もうその人とは関わらなくていいと思う。

もし、余裕がなくて、自分が嫌になるほど他人に過剰反応してしまうなら、自分のやりたいことをやってない可能性が高い。怖くても、やってみたら少し余裕が出てくるかもね。

ではまた。


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