見出し画像

強要されない世界

最近の働き方をいろいろ考える中でスッキリしたいので考えていることをつらつらと書いていきます。言い切れるほどの研究もヒアリングもしていませんし、誰かに何を強要するものではありません。ただの個人の雑記ということでお読みいただければと思います。

最低限と最大限はやっぱり違う

たとえば飲み会の話。以前こんな話をしました。

もちろん飲み会は義務ではありません。昔はなかば強制的に参加させたられていたかもしれませんが、現代においてはかなり少なくなったのではないかと思います。少なくとも僕のまわりにはそういった企業はない認識です。

これは「最低限」の話。つまり、飲み会に参加しなくても罰則はないし、とくにそれが評価に響く話ではない。むしろそんなことがあってはいけないと思います。

一方でXのつぶやき(上記の画像)にも書いたとおりで、その飲み会で得ることがあるのも事実。これは飲み会に限定された話ではなくて、ランチに一緒にいってもいいし、会社のひととオンラインゲームやったっていいし、休憩時間におしゃべるするだけでも良いと思います。

現代は「自分が働きやすい、もしくは成果を出しやすい環境を整えることが個人の仕事の要件に入ったきた」のだと考えています。これまでは強制という形である種平等に整えられていたのですが、それがNG行為になったことで「あとは自分でよろしく」というルールに変わったということです。

ルールが変わったことで我々には選択する権利が与えられました。他人との接点を極限まで減らして成果を出す方法や、これまでのように人との接点強化によって環境を整える方法、場合によってはそれらをうまく使い分けてハイブリットでうまくやる人など、ひとそれぞれに選択権があります。ですが、多くの人が急激に変化できるわけではありません。少なからずこれまでの慣習に従って仕事を進めていくひともいるということを考えると、一見非効率とも思える旧来の働き方は、もう少しの時間有効な方法である可能性があります。

ルールとして強制はされないけど、それをうまく活用した人が多くの機会を得る。これは現代の働き方においては至極当然の結果とも言えます。「4,000円払って上司の説教に付き合うのはつらい」という何かがありましたが、それは上司が悪いと思います。ですが、だからといってすべての飲み会という場を否定してしまうのは早計だと思いますし、仕事が円滑にまわり、社内の情報を集める対価としては価値があるとも思います。

加齢と成長と年収と

今井さんの投稿を引用する形でこんなことをポストしました。

ほぼ書いたままなのですが、終身雇用ではない企業が増えたことで年功序列型の評価も姿を消しつつあります。勤続期間<成果という評価構造になったことに加え、年齢<能力で役職が決まっていく世界線では加齢というのは一定のリスクとなったと言わざるを得ません。

つまり「プラスマイナスゼロはマイナス」という公式に変わったということです。以前であれば経験を重ねることで知識が増え、人との関係性が強化されていました。ですからスキルが増えずとも、資産が積み上がっていたのです。しかし、現代ではデジタル化されたことで知識は広く共有され、むしろ最新のテクノロジーを使うことができなければ生産性を維持することすら難しくなりました。社内の関係性も転職することでゼロクリアされてしまいますし、社内にとどまっていたとしても、前述したとおり積極的に自分から動かなくてはその関係性構築も難しい時代になりました。

すごくシンプルにまとめると「加齢というリスクからもう誰も守ってくれない。現状維持はマイナスなので常になんらかのリスクを取る(時間や資産の投資を含む)ことで成長を機会を得ない限り、年収を維持することすらままならない」かもしれない、ということです。

マネジメント層が気を使う世界

上司を顔色を伺って働く。こんな会社嫌ですよね?僕も嫌です。皆さんの会社はどうですか?そんな上司はいないですよね?もしそうならよかったです。

と、シンプルには言い切れません。ここで元メジャーリーダーのイチロー・スズキ選手の言葉を引用させていただきます。

「今の時代、指導する側が厳しくできなくなった。僕が初めて高校野球の指導にいったのが2020年の秋。このとき智弁の中谷監督もそんなこと言っていて「なかなか難しいよ、厳しくするのは。これは酷なことだよね。高校生たちに自分たちに厳しくして自分たちでうまくなれって、酷なことなんだけど、でも今そうなってしまったから」と。でもいまは自分たちで厳しくするしかない。ある時代までは、遊んでいても監督・コーチが厳しくしてくれるから、自分で厳しくできないやつも上がってこられた。やらないとしょうがなくなるから。でも、いまは自分で自分に厳しくできない子上がってこられないんだよね。自分でやるって、これはなかなか大変」(一部要約)

2023年11月6日、スポニチアネックスより引用

これは本当にそう思います。もちろん体罰や精神的に追い詰めすぎることはよくありません、断固として否定します。しかし、自分で自分を律することはかなり難しいですし、指摘しようと思っても「こんな言い方したら…」と思って口をつぐんでしまうマネージャーはたくさんいると思います。

昔は「可愛い子には旅をさせよ」と言ったものですが、現代では「厳しい道を自ら選べ」に変わってしまいました。自分で自分を厳しい環境におくことができないとそれだけ成長機会を逸する可能性もあるわけです。

ここでも冒頭の「最低限と最大限」という話になるのですが、最低限の練習をこなして帰宅してもまったく問題ありません。でもライバルは残って練習をしている。コーチの厳しい指導を避けていてもまったく問題ありません。ただライバルは「もっと上の指導をしてください!」と厳しい練習にみを置いているかもしれない。これがビジネスの場でも起こっているのだと思います。

人間の成長角度、という表現を使ったりすることがありますが、まさに角度なんです。より若い時代にグッと角度を上がられればその後は高いところに到達できます。高いところにいれば違う土地や世界に飛び込むこともできますし、高いところが嫌なら降りれば良い。でも低いところにいると行ける先が限られてしまう。価値を高く保つということは選択肢が増えることだと個人的に考えています。

売り手市場をうまく使う

いま(2023年12月)はまだまだ売り手市場です。売り手市場とは、とくに若手にとっては転職がしやすいという意味です。これは「どんどん転職して市場価値をあげよう!」ということではなくて、「どんどん挑戦して成長して本当にどうしてもその失敗を許容されないなら転職しよう!きっと挑戦するあなたをほしい企業はきっとたくさんある!」という意味です。※転職の成功を保証するものではありません。

個人的な見解でいえば転職回数は気にしません。ですが実績は気になります。具体的にいえば「成功体験より失敗体験と失敗回数」がとくに気になります。100%というわけではありませんが、大抵の場合、自分の能力以上のこと、前例がないことに挑戦していれば失敗するのは当たり前です。それでも成功体験しかないということは天才 or 挑戦していないということになります。

常に前を向いて挑戦している人は成長するので現状の能力がもし不足していても数年後には期待値を超えてきます。そしてそういった方は自ら厳しい環境を求めてきますので、こちらをある程度ストレートに指導することができるのです。

私は走る速度は相手に決めてもらいます。走る速度とは成長速度のことで、たとえば「マネージャーに1年でなりたい人」と「マネージャーに3年でなりたい人」にはかかる負荷が違います。それをこちらから強要するのではなく、本人に決めてもらうことで不要なストレスを減らします。生きていれば元気のないときやライフイベントで仕事に集中できないこともあります。ですからそういったことも含めて相手に速度を決めてもらいます。

一方でもうひとつ重要なことは、ひとりひとりの走る速度が組織のモメンタムを決めるということです。ですから、組織の大多数が日々挑戦していて成長機会をもとめるひとで構成されることが重要で、そのために失敗経験をしているひとを優先して採用する必要があるのです。

最後に

いまはルールに守られた働きやすい場所が増えたと思います。短期で考えればなんの問題もないですが、長期的には自分を律するひとが多くの選択肢を得る可能性が高いと思います。円安の影響で可能性は低くなったかもしれませんが、日本語の担当な外国の方々がライバルになるかもしれません。テレワークがOKなら時差1時間以内はすべてライバルになる可能性だってあります。

だからがんばりましょう!という記事ではなくただ思ったことを書いただけですので、読んでみて面白いと思ったらDMください。皆さんがなにを感じたのかとても興味深いです。シェアでもRTでも良いので感想が聞けたら嬉しいです。まとまっていませんが、雑記なのでご容赦ください。

しげの

告知:インサイドセールスプラスもぜひ読んでくださいね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?