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首都高をハックせよ! - メイキング(その1)

現在第二話、隅田川をハックせよ!を作成中ですが、その間に第一話「首都高をハックせよ!」のメイキングを載せたいと思います。この首都高をハックする「東京G-LINE」構想は、実は10年前から国土交通省、東京都、首都高速道路、その他各関係者とディスカッションを続けていて、様々なデータ分析も行っています。つまり、単に夢物語を語っているわけではなく、実現可能であり、そのプロセスも提案しています。このメイキングでは、その一部を複数回に分けて紹介していきたいと思います。今回はまず、この「東京G-LINE」構想が生まれた背景を話したいと思います。

日本橋の衰退は高速道路が原因?

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東京G-LINEを考えるきっかけになったのは、日本橋上空の高速道路の地下化の話です。私は学生の頃、国土交通省の支援の下、地域と一体となって設立された「日本橋学生工房」という街づくり団体の代表を務めていました。日本橋室町に事務所を設け、複数の大学の学生がほぼ住むような形で地元の方々と交流を深めながら日本橋という地域のあり方、そして実現のための行動の仕方を議論し提案していました。その中で違和感を一番覚えたのは、「日本橋は高速道路が上空に架かってしまったから衰退したんだ。高速道路さえなくなくなれば日本橋は復活する。」という意見でした。

でも実際に日本橋の街を見てみると街は川に背中を向け、誰も日本橋川に注意すら向けていませんでした。素晴らしい文化や老舗が数多く残っているにも関わらず、その魅力を感じられる状況ではなく、中央通りは多くの銀行が15時以降シャッター街を形成し、周辺からのアクセスも魅力的なものではありませんでした。つまり、日本橋の再活性化において高速道路の議論をする前にするべきことが多くありました。

日本橋川でボートレースを企画

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そこで我々はまずはみんなの意識に日本橋川の存在と可能性に気づかせようと、日本橋川でボートレースを行いました。日本橋川を挟んで南北でライバルが多く、一の部連合町会VS六の部連合町会、三越VS高島屋、大和証券VS野村証券、常盤小学校VS城東小学校など街を巻き込んでボートレースを企画し、1万2千人が集まる一大イベントになりました。結果、街の方々が日本橋川の魅力に気づき、周遊船が走り出したり、日本橋の麓の船着場が設置されたり、少しずつ川に向いた街づくりが始まるきっかけになりました。

少し話が脱線しますが、このイベントを開催するにあたって一番苦労したのは行政、警察の許可を得る事でした。「川は遊びに使うものではない!」という謎の前提条件があり、中々許可が降りませんでした。そこでスタート地点が常盤橋防災船着場であった事を逆手に取って、イベント出なく「避難訓練」を行うという趣旨に企画書を作り直したところ、企画が通ったという裏話があります。

このボートレースを通じて我々も漁船をお借りして、観光客と一緒に周遊する様になり、実は日本橋川と隅田川、神田川がループになっていることに大きな可能性を感じました。都市の魅力になるものが点でなく線(ループ)や面で繋がった時、その相乗効果は想像しただけでワクワクするものがありました。

ニューヨークを生まれ変わらせた「ハイライン」

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時は過ぎて僕はハイラインができたばかりのニューヨークに移住し、ミートパッキングデストリクトと言われる地区に建築事務所を構えました。ミートパッキングデストリクトは元々精肉工場が集積していた場所であり、ニューヨークで一番治安の悪い場所でした。元精肉工場のオーナーに話をしたところ、ちょっと前まで道端にある血の水たまりが肉のものなのか、人のものなのか分からなかったと言っていた程でした。しかし、そこにあった廃線になった高架橋が突然公園「ハイライン」という空中公園に生まれ変わった瞬間、その周辺の街が激変、ミートパッキングデストリクトはセレブの集まるレストランやクラブ、高級ブティックの街に一変しました。僕がそこにオフィスを開いたのはちょうどハイラインのフェーズ1がオープンしたばかりの頃で、周辺はまだ高級ブティックに混ざってアートギャラリーやバイカーの集まるバーがあったり新旧の入り混じる状況でした。そして、そこからハイラインがフェーズ2、3と拡大するにつれて、たかが公園の存在がその周辺地区を面としてどの様に生まれ変わらせていったのか、その過程を正に目の当たりにしました。

たかが公園、されど公園。極度に美しく整備された植栽、ランドスケープに加えて、程よく多様なアクティビティが実施されているハイラインは、周辺の不動産価値を極端に高め、それまで誰も近寄りたくなかった危険地帯をセレブ達が訪れるマンハッタンで一番住みたい場所の一つに仕立てあげたのです。この変化は恐らくハイラインが一箇所に「点」として整備されていた公園であれば、これ程の影響は与えられなかったと思います。「点」でなく「線」つまりネットワークとして空中公園ハイラインが整備されたことによって、その影響力は何倍にも増幅され街全体のブランドを押上げることに成功したのだと思います。

東京G-LINEの誕生

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ハイラインが街を革新する様子を体感して、「これこそ都心環状線のアップデートに求められているものだ」と確信しました。東京でも多くの開発が行われていますが局所的な開発をいくら繰り返しても何かが大きく変わることはなく、本当に生まれ変わりたければ、何か東京が都市としてライフスタイルそのものが激変する程の迫力のある仕掛けが必要であり、その仕掛けとして都心環状線一周14.7km全て公園にしてしまえばいいのではないか。それが「東京G-LINE」構想でした。

中央環状、外環、圏央道がどんどん完成していく中、更に自動運転等により自動車の台数が減るだけでなく効率も最適化されていくことを考えたら、都心環状線の様な直径2.2km程度しかない環状線は要らなくなると思います。もしこの環状線を人々に開放された公園にできたら、都心の中心を一周囲う緑のループが出来上がります。そうするとオフィス街であって、特に家族が快適に住む様な環境でなかった東京が面として一気に生まれ変わり、子供からお年寄りまで安全に暮らせて、地球環境にも精神環境にも優しい都市になるかと思います。一周走ればクォーターマラソンの距離であり適度な運動にもなり、次世代の都市のあり方として世界のモデルケースとなり得る可能性が「東京G-LINE」にはあると思います。

同時に「東京G-LINE」の半分を「未来モビリティの実験場」にすることも大きな可能性があると思います。トヨタがウォーブンシティと名付けて富士山の麓で実験都市の建設を始めましたが、都心のど真ん中で実験できれば、それが一番理想であると思います。都心環状線は交差点も何もない一周14.7kmのループであり、モビリティーの実験としては理想的な環境。そこをイノベーション特区にすることによって通常の道路交通法等の規制の適応外となり、自由に最新モビリティー・パーソナルモビリティーの実験ができるようになれば、世界中のスタートアップが集まる環境を創出することができるようになり、東京が改めて世界の注目する都市になり得るかと思います。

アフターコロナの都市像

もう一つ考慮すべきことは、今回の新型コロナの影響を受けて人々のライフスタイルが大きく変わるきっかけになっていることです。多くのことに気づかされている今、これを契機に変われるのか単に元に戻ってしまうのか。ここが今後の大きな別れ道になるかと思います。働くと住むが一体的になり、移動というコンセプトそのもの意義が問い直されている今、都市はどう変わるべきか。

今後住宅は元よりオフィスも含めて、その価値は立地よりも環境が重視されるようになると思います。リモートワークの有効性がある程度実証された今、「どこでも働ける」ということがキーワードになってくるかと思います。家でもいいし、カフェでもいいし、オフィスでもいい。在宅が便利な時もありますが、皆さんも今長時間在宅で仕事して気付かれていると思いますが、今の住環境は長時間の労働には向いていないと思います。子供がいたり、機材が足りなかったり、何気に快適な椅子の重要性に気づいた方も少ないくないのではないでしょうか?その環境を全て自宅で環境を整えることは容易ではなく、また効率的でもないかと思います。

つまり、今後はどんな物件であれ、リラックスできるような環境であったり、そこで偶発的に起きる出会いであったり、そう言った環境を提供できる物件に人々は住み、働き、遊び、付加価値がつくようになると思います。それは、建物内で完結する小手先の魅力でなく、周辺環境として自然に囲まれていたり、美味しいカフェやレストランの存在、もしくは最先端技術が常に見れるような環境なども非常に大事な価値を決める要素になってくるかと思います。今正にこれまでの働き方や職場の環境が根本から変革を始めていて、世界は既に動き出しています。それに対して日本は変われなかったと後から日本の体制を嘆くのか、逆に世界が日本に視察にくるような状況になるか、今こそ別れ道だと思います。

「東京G-LINE」はアフターコロナの都市のあり方の象徴としての可能性があると思います。周辺のオフィスや住宅の付加価値を最大化するだけでなく、東京の都市としての魅力を引き上げ、更には災害時にはそこがライフラインとしても機能する、その経済効果は計り知れず、世代を超えた価値を生むと思います。

分かりやすい例としてはニューヨークのセントラルパーク。日本の皇居、新宿御苑、日比谷公園を足しても足りない341haもの面積を有するセントラルパークをマンハッタンのど真ん中に設置することによって、その周辺の住宅やオフィスの付加価値を高めているだけでなく、ニューヨーク全体の都市としての魅力を支える根幹を成しています。今回の新型コロナにおいては臨時の医療拠点になるなど緊急時にも大活躍できることが証明されました。こう言った機能を都市の根幹に持っているかどうかは、今後より重要なものになるかと思います。

誰も反対しない。けど動かない。

「東京G-LINE」構想は、メイキング(その2)以降に示すように様々な調査やデータに基づいて裏付けを行いながら、国土交通省、東京都、首都高速道路、その他各関係者とディスカッションを繰り返しました。しかし、一番のフラストレーションは「誰も反対しない」ということ。もちろん色々な議論はありつつも、最終的には「まぁ、そうだよねぇ。。。」と。しかし、かと言って何も動かない。なんとも歯痒い状態が続いていました。

その後時間をかけて日本橋にも多くの再開発が完成し、街も大きく変わりました。そして今、川沿いの再開発事業と合わせて日本橋上空の高速道路を地下化するという事業が都市計画決定し、来年から始まる事になりました。その投資額は日本橋周辺の工事だけで3,200億円、それに伴うKK線の拡張等を合わせると5,000億以上とも言われ、その工期が20年近くになると言われています。

僕は日本橋に青空が戻ることは賛成です。ただし、そのためにこの莫大な費用をかけて地下化する必要があるのか、そして更に工期が20年近くかかるとのこと、完成する20年後の都市を想像した際に、完成した瞬間にいらない過去の遺産になる可能性が大いにあるのではないかという疑問があります。そんな公共事業はこれまでも数多くありました。日本橋上空の高速道路は撤去、地下化は行わない、とすれば5年もあれば青空が取り戻せるのではないだろうか?そして、同じ3200億円掛けるのであれば、都心環状線を全て公園にすることすらも可能になるかと思います。

これまでのテクノロジーの発展による世の中の変化に加えて今回の新型コロナの影響でよりその変化が加速する中、現状システムの維持に捉われすぎた世界で議論するのでなく、真剣に20年後の東京のあり方を想像し、その未来に覚悟を決める時がきているかと思います。

それでは、具体的にどう言った手順でやればいいのか?そのことについてはメイキング(その2)以降で記していこうと思います。

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