Angra, Dream Theater, Parvāne についての断章


・何故だかここ数日ずっと Angra(ブラジルのヘヴィメタルバンド)ばかり聴き直しており、今まで一番良いと思っていた楽曲『The Shadow Hunter』(←本当に素晴らしい。なんかミョンミョンしたシンセとギャギギャギしたギターの音を一生懸命長引かせただけの「プログメタル」が電卓の打鍵音にしか聴こえなくなるほどに演奏の説得力がある)以外にも数多の関連性が見出されてきた。

・まず、このバンドのバイオグラフィを見ていると、マトス(初代ボーカル)の次にエドゥ(2代目ボーカル)が控えていた事実ばかりが取り沙汰されるのだが、そのひとつ後のタイミングでフェリペ(ベース)とアキレス(ドラムス)が同時に来たことのほうがどう考えても凄いと思う。この2人が同時ってあなた。

・さらには、「大航海時代」を専ら白人の目線から全肯定するが如きテーマの『Holy Land』を初期の代表作として持っていた彼らが、新体制後の2枚目で『Temple of Shadows』を出したことも凄まじい。『Holy Land』所収の『Carolina IV』は、「新世界」の「発見」に繰り出す白人の心的高揚感をコロコロコミック連載漫画さながらの無邪気さで唄い上げる曲なのだが、その8年後に新体制で出した『Temple of Shadows』では、11世紀末の十字軍によるエルサレム占領(殊に、同じ一神教徒であったはずのムスリムとユダヤ教徒虐殺)が題材とされている。

(ちなみに、『Carolina IV』の曲名由来について検索すると「コロンブスがアメリカに着いたときの船の名前」と解説する日本語文が見つかるのだが、いやその船はサンタ・マリア号だろうと思いさらに詳しく検索してみると、『Carolina IV』とはブラジルを初めて「発見」したペドロ・アルヴァレス・カブラルの小型操縦線──そもそも乗組員は7人──に由来するというポルトガル語の Facebook 投稿が出てきた。しかしカブラルについての英語版 Wikipedia 記事を読んでみても『Carolina IV』なんて名前の船についての記述はどこにも見当たらないのである。なんなの、このたらい回し感。おそらくブラジル国内の「記念館」にでも行ってみれば詳しい船名についての案内が得られるのだろうが、上述のように誰もが好き放題な想像を巡らせて一向に正鵠が射られないまま放置され続けるこの感覚は、キリスト教徒どもがインドインドと言いつつ全然インドじゃない場所にばかり行っていた「大航海時代」の不毛さをそのままトレースしていると言えなくもない。)

・『Temple of Shadows』の実質的1曲目である『Spread Your Fire』は、十字軍のなかでも特に異端な(しかもユダヤ教のラビ経由で感化された)思想に取り憑かれた主人公が出陣する歌であり、「間違った思想への盲信によって得られたトランス状態」が表現されているのだが、おそらく殆どのヘヴィメタルヘッズはそんなことなどお構いなしに「グロリアー」とか「ルシファーってのはただの名前だ」とかシンガロングし、主人公と全く同質の誤った高揚感を共有してしまっているのだろう。今更ブルース・スプリングスティーンの『Born in the USA』あたりを引き合いに出しても始まらないが、音楽に「物語」を担わせてしまったばかりに発生する意図の誤伝達として典型的な例ではある。もちろん、『Temple of Shadows』ではこの高揚感に駆り立てられて虐殺した地で主人公が懊悩するくだりが中盤から後半を支配するため、『Spread Your Fire』での異教徒虐殺的トランス感はこのアルバムにおいて全く本質的なものではない。

・ちなみにだが、11世紀末の十字軍によるエルサレム占領の顛末を Wikipedia レベルでもいいから追ってみていただきたい。ほとんど大日本帝國の真珠湾攻撃と同程度の、屁みたいなイキリ戦勝でしかなかったことがおわかりいただけるはずだ。というか、イスラーム世界からすれば100年も空けずにエルサレム奪還からモンゴル西進を食い止めるまでの諸戦争が続いたので、十字軍のみを殊更に拡大解釈する視野などそもそも西欧人にのみ許される狭窄なのではないかと思われる。そこから世界史の中心を東方へ向ければ、13世紀以降のモンゴル絡みの史実は本当に面白い。チンギスの孫が何の前置きも無しにムスリムになってるあたりとか。

・さらに脱線しよう。私はモンゴル出身のヘヴィメタルバンドとしてノリにノっている The HU に対して何らの嫌悪も抱いていないが(ヴォーカライゼーションとレコーディングとミキシングの質が良いので)、しかし『The Great Chinggis Khaan』という曲を大真面目に演っているのを聴かされ、さすがに「う、うわあ」とは思わされた。モンゴルの人たちには12-13世紀以降なにも誇るべきものが無かったのだろうか? 世界進出した日本のバンドが「源頼朝はヤバいぜ!」って曲を演ってたとしたら、相当な数の憐れみの眼を国内外から向けられて然るべきなのではないか?(安土桃山や幕末がテーマだったとしても相当イタいけど。) さらに Wikipedia の情報によると、The HU は "モンゴル文化を世界に広めた功績により、モンゴル国の最高栄誉であるチンギス・カン勲章を授与された" らしいので、国家ぐるみでそんなことやってるのだとしたら流石に調子こきすぎではないか。ここはインドネシア出身のムスリマ3人組バンド Voice of Baceprot と、『Bloodmeat』でモンゴル軍の残虐さを告発していたProtest The Hero と、さらに私の Parvāne の3組で The HU を迎え、「調子こいてるモンゴルを懲戒するためのライブイベント」でも開催したら面白いのではないかと思う。「音楽に政治を持ち込むな」とはもちろん阿呆の言うことだが、既に盛り込まれている政治性に解離したままボケーッと音楽を聴き続けるのもまた阿呆の業であるからして。

・さて Angra についての話に戻すが、『Holy Land』から『Temple of Shadows』への8年間で、なぜ彼らはこれほどまでに反省的な態度を身につけることができたのか。についての疑問など、そもそもメロディアスで疾走感さえあればなんでもいいやという日本語圏メタルヘッズの平均的な知性では意にすら介されないだろう。筆者としては、「初代ボーカルのアンドレ・マトスが西欧人の平均基準でも下に位置するほど頭の悪い輩で、そいつが作詞やアルバムコンセプトの主導権を握っていたから」という見解を示しておきたい。マトスは既に死んでいるので反論する口も持たない。2代目エドゥが加入して以降、ようやく彼らは『Unholy Wars』を先鞭として「でも、よく考えたら一番悪いのって白人のキリスト教徒じゃあ……」という根本的な視座を獲得し、ついには名盤『Temple of Shadows』を収穫したのだろう。藝術的発達と正しき智慧の伝達とは必ず同時に来る。


〔後略〕



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