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ノモンハン慰霊の旅2019④


1939年8月20日、ノモンハン地区におけるソ連・モンゴル側の総反攻が始まるとフイ高地に布陣する日本軍は猛烈な砲撃に見舞われ、その後、兵力差10倍以上のソ連歩兵の攻撃に晒された。日本側の約800人の兵員に数門の野砲、速射砲、数挺の重機関銃、軽戦車と装甲車2両ずつの捜索連隊にソ連の増強された歩兵旅団1万余と戦車、装甲車1個大隊(30両程度)が襲いかかったのだ。フイ高地には、今も日本軍の塹壕跡や日本軍戦車(九五式軽戦車と九二式重装甲車)の残骸である車輪や履板(キャタピラー)が残されている。


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