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これでいいのか防衛省の"情報流出"〜自衛隊幹部の靖国参拝でわかった本当の危機/ 松崎いたる


【画像① 防衛大学校の学生有志も、しばしば靖国神社の参拝を実施している。国を守るために命をささげた先人の事績をふまえ顕彰することは、身をささげて国民と民主国家を守る宣誓をした自衛官にとってごく当たり前の営みである。】



◆陸自「航空事故調査委員会」メンバーの靖国参拝が槍玉に


1月9日、陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長ら22人が靖国神社に参拝した。彼らは陸自の「航空事故調査委員会」のメンバーで、年始にあたっての「航空機安全祈願」として「実施計画」を策定したうえでの参拝だった。


参拝の事実が明らかにされると、新聞各紙は一斉に社説に取り上げ、自衛隊を非難した。


◎「陸自幹部ら靖国参拝 組織的な行動は不適切だ」(毎日新聞 1月13日)


◎「陸自靖国参拝 旧軍との『断絶』どこへ」(朝日新聞 1月13日)


◎「陸自靖国参拝 戦争への反省、疑われる」(京都新聞 1月17日)


◎「陸自靖国参拝 歴史観問われる軽挙だ」(北海道新聞 1月21日)


唯一、「靖国神社 陸自幹部の参拝は当然だ」(1月16日)との社説を掲げたのは産経新聞で「陸自幹部の靖国神社参拝は公的、私的を問わず何の問題もなく、むしろ推奨されるべき話である」としている。



◆陸幕副長らの靖国参拝は私的行為で政教分離原則に抵触しない


産経以外の社説はどれも「憲法が定める『政教分離』の原則に抵触する」(朝日)、 「公人による組織的参拝は、政教分離原則との整合性が問われるだけでなく、『不戦の誓い』を政府がないがしろにしていると見られかねない」(毎日)、など、憲法上の疑義を表したものとなっている。


憲法20条には「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」(同条1項)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(同条3項)との規定がある。また憲法89条には公金を宗教団体や宗教活動に支弁してはならないとする規定がある。これらの憲法上の原則が「政教分離」と呼ばれている。


だが宗教に関係する事柄すべてに国(政府)が関与してはならないというわけではない。公立学校でクリスマス会を開いても、正月に役所の玄関に門松やしめ縄を飾っても「政教分離」違反にはならない。


国民の信仰の自由を保障するために現行憲法に盛り込まれたのが政教分離の原則であり、「神」と名のつくものを国事行事から機械的に排除する趣旨のものではない。戦後、政教分離を争点にした裁判がいくつもあったが、最高裁は違憲かどうかを判断する「目的・効果の基準」を明示している(「津地鎮祭事件」1977年7月13日大法廷判決)。それは①問題となった国家行為が、世俗的目的をもつものかどうか。②その行為の主要な効果が、宗教を振興し、または抑圧するものかどうか。③その行為が、宗教との過度のかかわり合いを促すものかどうか…以上の三つの基準である。


「目的・効果の基準」に照らせば、今回問題にされた陸幕副長らの参拝は、靖国神社という特定の宗教を振興する目的も効果もなく、政教分離の原則に抵触するケースにはまったく当たらない。そもそも私的な参拝なのだから「国家行為」とも言えず、憲法違反などという非難は論外だ。




【画像② 「赤旗」によってスクープ撮影された1月9日に靖国神社に参拝した際の小林弘樹陸上幕僚副長。】



◆公用車は「私用と公務を結ぶ手段」~私用での理由が許容される以上、神社に行っても問題はない


それでも何とか「違憲」「政教一致」に持ち込みたい論者は、参拝に公用車が使われた、計画書があった、集団で参拝している等の事実から、私的な参拝ではなく、自衛隊の組織ぐるみの、したがって国家行為として参拝だったと強弁しようとしている。


公用車は主に高官クラスの幹部の自宅と勤務場所を往復する通勤のために使われている。私用と公務を結ぶ手段ともいえる。勤務後に複数の飲食店をハシゴするような利用は禁じられるが、自宅以外の私用の場所に行くことは許容される。こうした公用車の運用は、防衛省以外の省庁や自治体でも同様だろう。つまり、防衛省と靖国神社の往復に公用車が使われたとしても、参拝が「公務」だとはいえないのである。


計画書の存在も、ただちに私的参拝を否定するものではない。22人という人数が短い休憩時間内に参拝をすまし、業務に復帰するには、私用であっても事前に行動計画を立てることは必要だったのだろう。その際、普段業務で使用している計画書のフォーマットを私的な計画に利用してしまったということだ。その是非は私的か公的かという問題とは別だ。


集団で参拝したことが、防衛省は宗教の礼拝所を部隊で参拝することなどを禁じた1974(昭和49)年の事務次官通達に反しているとの指摘もある。上官の命令に基づく部隊参拝であるならば、国家行為として「政教一致」にもなりかねないが、今回の参拝では、41人に参拝の案内を出し、そのうち実際に参加したのはほぼ半数の22人であったことからも、命令ではなく、断ることも可能な、各人の自由意志による参拝だったといえるだろう。


産経の社説が唱えるような「むしろ推奨されるべき話」かどうかはともかく、靖国神社の参拝そのものにはなんら問題がなかったことは明確だろう。


「実力組織である自衛隊の隊員は、厳しく自らを律する必要がある。国民、そして近隣諸国の不信を招くような行動は厳に慎まなければならない」(毎日)との社説のように、今回の靖国参拝で国民の不安や諸外国の不信をあおるような主張は後を絶たないが、国民が今回の件で真剣に考えなければならない問題は別にある。



◆なぜ「赤旗」と毎日の記者は、防衛省高官の靖国参拝の予定を知っていたのか?




【画像③ 左派勢力には「軍国主義復活のたくらみの巣窟」の如く言われる靖国神社であるが、戦後、一宗教法人に改編されつつもGHQなども「戦争犠牲者の追悼施設」と認定し存続してきたのが事実だ。戦没者遺族らが多く集うと共に、東京港に寄港する外国海軍艦艇の乗員らも上陸してから、親善と日本の戦争犠牲者に対する哀悼の意を示す意味で靖国神社参拝するケースもしばしばある。】


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