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英語が話せないと入れないのか?

子ども:小さいうちは、話せなくても多分何とかなる。

おチビの行っているインターは、確か小学校2年生位までは子どもの英語力を問わないと書いてあった気がします。事実、この方も入学時は「言っていることは本当に何となくわかるけれど、自分から発話はできない」状態だったと思います。そりゃ話せるに越したことはないと思うけれど、英語力ゼロだからってハイ、もう見込みナシ、みたいな状況ではないと思います。

話せなかったおチビの今:何とかなっている

約1年通った今、結構話せてるっぽいです。それから、自分でストーリーを作ってノートに書いたりしています。そりゃ英語家庭から来ている子とは雲泥の差だと思うし、実際成績表は「もう少し頑張りましょう」的な評価がつけられているけれど、いやホント、親の独断(に近い)で入れられた謎の言語の学校でよくやっていると思いますよ、親バカながら!

先生との学期の区切りなどで行われる先生との面談で、Englishの評価が上述の通り「もう少し頑張りましょう」みたいにつけられていたことに若干悲観した私が「これ、家でももうちょっと何かしたりした方が良いのですかね?」と相談したところ、「おチビは大丈夫。学校でもとても頑張っていますよ。」とおっしゃっていただけ、それを鵜呑みにしている私。子どもの潜在力は計り知れないはずだから、無理にこれ以上勉強させたりしないで、この方の伸びしろに期待しようと思っています。

親:話せなくてもOKの学校と、NGの学校があると思う。

うちのインターは、昔は親も話せないとダメと言っていたようですが、おそらく昨今のコロナで駐在員が減ったりしたせいで定員割れ(?)を起こし、もうそんなこと言ってられない!ってなって、親が英語を話せなくてもOKに転じたような気がします。

実際、私は英語が話せますが(とは言え、ネイティブレベルではぜんっぜんないです)、話せた方がやっぱ色々良いんだろうな感はあります。

だって、当たり前だけれど、その学期ごとの先生との面談はもちろん英語だし、「すみません、今日おチビすごい鼻水出てるんですけど、これ風邪ではなくて花粉症/アレルギー症状なんです」みたいな些細なことも英語で言わなきゃいけないので、やっぱできると便利だなと思います。すぐ言えるから。

それから、学校からの手紙(ほとんどオンライン上の専用ページに上がるだけだけど)も英語なわけで、「〇〇日は200円程度の募金を持って来て下さい」みたいなのがサラッと、しれっと書いてあるから、こういうinformationをサラッと読めないと、重要な情報を汲み取れないのでしんどいかもしれません。

悲観はまだ早い!:英語ゼロのお父さん・お母さんの技

でも、うちの学校にもいらっしゃいます、英語が苦手な保護者の方々が。どうしているのか聞いてみると、今はポケトーク的はアプリとか、Zoom面談の際に画面上に日本語訳が出る?サービス的なのもあるそうで、そういうのを駆使しているようです。あとは、Google翻訳に学校からの手紙類をぶっこむ。今は精度が上がっているようで、重要情報の汲み取りには問題ないそうです。スゴイ!

通訳をつける、英語のできる家族や友人を連れてくる、っていう古典的な手段も未だ健在。例えば自分の弟とかに頼むとかだったら比較的頼みやすいのかもしれないけれど、弟だって仕事があるだろうし、always availableっていう訳じゃないから、やっぱりひと手間かかってしまうよなぁ。

問題は学校とのコミュニケーション以外にある気がする

この通り、親が英語を話せなくてもOKと言っている学校に関しては、親の英語力を気にして出願しない/諦めるっていうのはもったいない気がします。

が、私が思うに、問題は学校との連絡だけじゃなくて、お友達のお母さんとの連絡や、子どもの宿題を見るなど、目に見えないタスクにも当然ながら英語が絡んでくるので、英語が話せない保護者に関してはこちらの方が厄介な問題である気がします。

だって、「いいんです。私は一匹狼で行くんです。」と川平慈英風にママ友とかを作らない宣言をしたとしても、やっぱ絡みゼロはなかなか難しいと思います。小さいとね、〇〇ちゃんのセーターを間違って持って帰ってきちゃったりするんですよ…。あと、お母さん同士はそんなに仲が良くなくても、子ども同士は仲が良くなることってあるんですよ…。で、「ママ、〇〇と遊びたい」とかなるわけですよ。そしたらさ、〇〇ちゃんのお母さんと話さざるを得ないっしょ!?お休みの日に公園に一緒に行こう!みたいな流れになるでしょう?こういう場面で英語力ゼロだと、かな~り厳しいのではと思うのです。

実際おチビの学校にも、こうした親のコミュニティに一切関与しない親御さんがいるのも事実。ある意味スゴイし、私もそこまで社交的じゃないというか、ママ友とかは作るものじゃなくて自然とできるものだと思っているので、総論賛成、各論反対(あ、逆か、総論反対、各論賛成か。どうでもいっか)みたいなところがあるのだけど、ある程度は社交しないと自分で自分の首を絞めることになると思います。

宿題もさ、イースターとか、アダムとイブがとか(?)が出てきてさ、英語だけでなくて国やキリスト教的な背景とかを少し理解していないと難しいところもあると思います。「英語を勉強することは、その文化を勉強することです」なんて中学の英語の先生が言っていたけれど、あながち間違っていまい気がします。今おチビは絶賛、このアダムとイブのところで引っかかっていて、「最初に生まれた人間はさ、お父さんもお母さんもいないのに、どうやってごはんを食べたの?どうやって生きられたの?」と繰り返し私に質問してきます。そして私の答えは「それは聖書の先生に聞きなさい。」(爆)あぁ、私もミッション系の学校に行って聖書の勉強をしておくべきだったよ…!

実際親が必要な英語のレベルはどれくらいなのだろう?

これも青天井だと思うけれど、私個人的にはこんな風に思っています。

①その学校のホームページが、ほとんど辞書なしでサラサラと読め、出願に際しての必要情報を収集できること。

②想定される質問のみならず、変化球の質問にもある程度対応できる会話力。

③英語を学ぶ姿勢と向上心があること。

①は、ある意味、これである程度ふるいにかけられていると思います。やっぱこの基礎情報は、Google翻訳に突っ込むことなく、自力で収集できないと辛いと思うなぁ。だってさ、自分の子どもが通う学校のこと、親が分かってなかったらヤバいでしょ?

②は、おチビの時の面接もある程度は準備して行ったけれど、それでもやっぱり「あちゃ~!そんな角度から投げてくる?」みたいな質問もあったわけです。面接の時だけでなく、普段の先生とのやりとりやお母さん同士の立ち話、学校行事での保護者参加など、「どんな話がされるか全く不透明」な状況でもある程度話せる力が必要…って、もうこれ、もう元も子もないですね!話せた方がやっぱり良いです!

③つまり、親が英語力ゼロで入れたとしても、上に書いたようなunofficialな場面を親もどれだけ楽しめるか…もちろん子どもが主役だけれど、せっかくなら親も楽しめた方がいいと思うので、もし英語ゼロだったら、子どもが卒業するまでに、親自身の英語力も向上させる気持ちと姿勢が必要だと思います。私も、毎日勉強しています!


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