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【インテルの上層部を知ろう!】アントネッロ、アウジリオ、マロッタの情報をまとめみた

こんにちは!TORAです🐯

今回はカルチョお休み期間にぜひインテリスティへお届けしたい記事!

「インテルの上層部を知ろう!」と題しまして、

アレッサンドロ・アントネッロ

ピエロ・アウジリオ

ジュゼッペ・マロッタ

の情報を簡単にまとめてみました。

知っているようで意外と知らないインテルの上層部たち。

この機会にさわりだけでも覚えてみませんか?

それではいってみよう!

日頃「著作権なるべく守るマン」でやらせてもらっていますが、本記事は”制約と誓約”なしでやらせて頂きますm(__)m
というのも、画像がないと諸々ピンと来ないと思うので笑
インテルを想う無償の愛ゆえの記事ですのでご容赦ください!!!


Alessandro Antonello(アレッサンドロ・アントネッロ)

メガネがチャームポイント

●見た目

完全にカールおじさんである。

一致

●役職

CEO。つまり、最高経営責任者でお偉いさんです。

ビジネス戦略のトップに立ち、すべての商業、マーケティング、メディア、企業活動を実行する権限を持ちます。お偉いさん。

●キャリア

元々ベルガモ大学で経済学を学び、資格を取り、デロイト・トウシュ・トーマツで社会人キャリアをスタート。

尚、デロイトは世界四大会計事務所の一つと言われておりまして、そこで社会人としてのスタート切った彼は、つまりそう、スーパーエリートです。

その後、2011年にプーマイタリアのファイナンシャル(財務)ディレクターを経験し、2015年に同ポジションでインテル入り。

蘇寧がインテルの買収したタイミングで最高執行責任者に昇格(FDと兼務?)。2017年7月にCEOに任命され、9月から実務がスタート

同年12月にレガ・ナツィオナーレ・プロフェッショニスティ・セリエAの取締役に。

2021年9月には欧州クラブ協会(ECA)の執行委員に選出され、2023年9月、最近行われたばかりの再編成の選挙で再び理事会入り。

セリエA組ではアントネッロとローマのダン・フリードキン氏の2名のみ。よく分からないけど、なんかすごい。

●最近のお仕事

かの「DigitalBits」とスポンサー契約した実績(責任)あり。

DigitalBits後のスポンサー探しについては「パートナー候補は必要な査定をしなければならない」となんとも重みのある発言をしています。

現在も「結局DigitalBitsとはどうなってるの?どうなったの?」のニュースはないんですが、2022年10月の段階で「あいつらがこのまま金払わないならあらゆる法的救済措置を発動するぜよ」と言っているので絶賛水面下でデュエル中なんだと思われます。綺麗に着地するのはおそらく何年かかかりそうですね。。

ポジティブなところを挙げれば、NIKEとのスポンサーシップの更新
ちょっと前に記事にしているのでぜひ。

ちなみに日本ツアーにもいらっしゃていたのは気づいておりましたでしょうか?
ファンイベントにも普通にいましたね笑

来日の際、日本経済新聞のインタビューを受けています。差し当たりない内容ですがw

その他、新スタジアム問題に日々頭を悩ませています。ここに触れるととんでもなく長くなってしまう為、丸っと割愛します。いつか記事にしたい。

Piero Ausilio(ピエロ・アウジリオ)

イタリアの江口さん

●見た目

「どぶろっくの江口さんがイタリアに生まれていたら」

日本のアウジリオ

●人物

とーーーにかく名前(苗字)の日本表記が定まらない。

アウジリオとアウリジオの二大派閥による一騎討ちで、もはやジハードに突入している。誰も悪ではない

●役職

いわゆる、SD(スポーツディレクター)。

イタリアでは「DIRETTORE SPORTIVO(ディレットーレ・スポルティーヴォ)」と表記されるのでDSだけど笑

名の通りスポーツ部門の全てに関する人事権を持ち、監督も例外ではありません。

ビジョンを明確にし、戦力と経済の両側面を成立させながらチームを運営・強化していく総責任者

●キャリア

ミラノ生まれ。現セリエCのプロ・セストのユースチームに所属していましたが、18歳のときに膝の大怪我で選手生命を絶たれてしまいました。

その後、セリエC2のクラブでスポーツマネージャーとして下積みをしながら、ミラノ大学の法学部を卒業。努力の人、アウジリオ。

インテルには1998年から所属。実は超古株なんですよね、アウリジオって。

最初はユース部門のアシスタント。その後、出世を繰り返し、2010年にマルコ・ブランカとともにSD(スポーツディレクター)に就任

サクセスストーリーだ、アウリジオ。

●実はこんなこともやってたよ、お仕事

インテルの育成部門を強化した一人

ジュゼッペ・バレージが2001年にプリマの総責任者になった際、その右腕として暗躍したのがアウリジオです。

その注力っぷりは当時としては前衛的

おらが町のライバル、ミランと比較すると大きさな差があった…らしいです。”らしい”、ね。

三冠選手のパンデフ、おじさんインテリスタ寵愛のオバフェミ・マルティンスらは彼らが着手しての初期代表例。

バク転とgettyのロゴが被るオバオバマルティンス

そして、その後に続くバロテッリはその原石を発見する慧眼っぷりと、それを磨くアウジリオらの育成計画がめちゃくちゃ評価されてました。メンタル面の育成もして欲しかったんですけど。

Giuseppe Marotta(ジュゼッペ・マロッタ)

左手で右耳に電話を当てるスタイル

●見た目

例えば、こんな濃いメンツの中でも、一層際立つ”ホンモノ”感がある。

黒幕はインテル

●役職

CEOと言われており実際間違いではありませんが、公式には「Chief Executive Officer Sport」、略すとCEOS。スポーツ最高経営責任者。アントネッロとは棲み分けされています。

ビジネス面はアントネッロ、スポーツ面はマロッタという立て付けですね。

もちろん業務がクロスすることは日常茶飯事でしょうが、規模が規模なので縦割りしているということだと思います。

対して、アウジリオとは横割りですね。つまり、同じスポーツ部門だけどマロッタが上司に当たります。

海外では国はもちろん企業で役職の定義付けがまちまちなのだ一概に言えませんが、”エグゼクティブ”が付いているのでレイヤーは間違いなく違うでしょう

ということで、マロッタとアウジリオはスポーツ面での責任者ということで一括りにもされがちですが横関係ではありません。アウリジオはマロッタに”さん”を付けましょう。

●キャリア①:セリエAまでの道

個人的に興味が強かったので、他の二人よりもガッッツリ掘り下げます。

マロッタは現在66歳ですが、なんと20歳からディレクター業を務め、いや、ディレクター業に手を染めます

地元ヴァレーゼのユース部門のディレクターアシスタントを務めてキャリアをスタート。

残念ながら2019年にクラブは解散

たった1年でディレクター、その次の1年でGM(ゼネラルマネージャー)に昇格し、クラブをセリエBに昇格させました(が、その後立て続けの降格でC2に)。島耕作もびっくりの出世劇

ヴァレーゼの後はお馴染みモンツァのGMに。さらにコモやラヴェンナでDG(ディレクターゼネラル、GMの上の役職?)を務めます。

1995年には「クビ切り将軍」の異名でお馴染みマウリツィオ・ザンパーリ会長に雇われて当時セリエBのヴェネツィアのGMに。

3年後の1997−98シーズン。

僕たちのミラクルレフティ、アルバロ・レコバが冬のメルカートでヴェネツィアにレンタル移籍すると二つ名を証明するハイパフォーマンスを発揮。

19試合で11ゴール9アシストとスタッツを荒稼ぎをし、当時の監督だったワルテル・ノヴェッリーノは彼を使いこなした数少ない監督と評価されています。

名波選手のセリエA初アシスト相手だったフィリッポ・マニエーロもエースとして存在感を示し、見事、30年ぶりとなるセリエA昇格を果たします!

レコバとマニエーロのコンビ。画質の荒さもエモい。

地元クラブからついにイタリア最高峰の舞台へ。島耕作もびっくりの出世劇です(2回目)

●キャリア②:地位確立へ

残念ながらヴェネツィアはAに定着はせず。1999-2000シーズンに降格の憂き目に。しかし、マロッタ自体はAの舞台に残ります

次なる職場はアタランタ。2年間GMとして働き、クラブは7、9位と当時的には十分な成績を残すもサンプドリアへ籍を移します。

就任当時、サンプドリアは1946年のクラブ創設以来最低となるセリエBで3シーズン連続10位と凄惨たる結果。

しかし、地元ジェノヴァの石油産業家リッカルド・ガッローネに買収され、財布が潤うとマロッタの手腕が炸裂

ⅰ)共にヴェネツィアA昇格を果たしたワルテル・ノヴェッリーノを監督に招聘

ⅱ)これまた共にヴェネツィアA昇格を支えた黒子役セルジオ・ヴォルピやインテルにも在籍していたマッシモ・パガニンといったベテランを獲得

ⅲ)後に主将として400試合以上に出場することになる(そしてインテルでは散々だった)アンジェロ・パロンボら有望な若手を獲得

チームを刷新するとこれが大当たり。2002-03シーズンにセリエAに復帰します。

この功績が認められ、2004年にCEOに着任(GMとGDの兼任との情報もありましたが真偽は追いませんw)。

早速の仕事はフランチェスコ・アントニオ―リとクリスティアーノ・ドニの獲得。後者はアタランタ時代を経ての引き抜きで、マロッタが高く評価し熱望したとのこと。

太陽の子ことドニ。といえばアタランタだけど、サンプでもしっかり活躍

2004-05シーズン。チームは6位で着地し、UEFAカップ(ELの前身)の出場権を獲得。マロッタにとっては初の欧州への挑戦でした。

翌シーズンからはインテルの覇権の裏で、サンプドリアは低空飛行。

テコ入れをすべく、マロッタはノヴェッリーノ監督をマッツァーリ監督へと変更する『ワルテルすげ替え』を行い、さらにレアル・マドリードからアントニオ・カッサーノを獲得します(買取OP付レンタル)。

昔はこんなに仲良し

至極当然、話題となりましたね。

個人的にマロッタのことを完全に認知したのはこのタイミングだったかな。もちろん名前は見たこと聞いたことありましたが、情報収集が今ほどイージーでない当時、他クラブのGMやCEOまで覚えられませんでした笑

ご存じの通り、カッサーノはサンプドリアで復活を遂げます。

インテルが三冠を達成した2009−10シーズンにはジャンパオロ・パッツィーニとのコンビでイタリアを席巻。2人で28ゴールを叩き出し、なんと4位でフィニッシュ。翌シーズンのCL権を獲得します。

✔︎勝手知ったる監督や選手たちを現チームへ招集し、フィットさせる。

✔︎実力ある選手を巧みな交渉の末に格安で獲得する(カッサーノは足元を見た買い叩き、パッツィーニはフリー)。

そのスタイルは完全に確立、さらに高まるマロッタの名声。触手を伸ばしたのはユヴェントス。

当時マロッタは沈黙を守りましたが、ガッローネは「ユヴェントスがマロッタを求めるなら、移籍を喜んで許す」と男気発言。

というわけで、2010年5月、新会長に選出された(厳密に言えばこの段階ではまだ取締役会の共同議長だけど)アンドレア・アニェッリによってユヴェントスに招聘され、同10月にCEOに任命されます。

●キャリア③:そしてインテルへ

ユヴェントスでのキャリアは彼の名前をさらにマスに広げたことと思いますが、これは主にインテリスティが見るであろうインテリスタが書いたnote。

はい、割愛しますw
気になる方はwikiをご参照くださいw

インテルに加わったのは2018年12月13日。

ネドヴェド「彼は本物のプロだよ」

ここからのお仕事はもう本記事のニーズ的には不要かと思いますので、代わりに昨季CL準決勝。ユーロダービー直前に行われたマロッタへのインタビュー記事をご紹介します。

特にフレッシュ、スペシャルなことは書いていませんが、現インテルの「”イマ”を戦う」歩みの背景を窺い知ることができます。

イタリアサッカー界を支配しているビジネスモデルの不安定さに警鐘を鳴らしている。

マ「財政的な持続可能性とスポーツの競争力を両立させることが今、必要不可欠。収益とコストのバランスを保証する新しいビジネスモデルの確立が必要である。」

マ「イタリアサッカー最大の問題は組織コストではなく人件費だ。」

イタリアで最も裕福なクラブであるユベントスとインテルは、それぞれ84%と82%の収入に対する賃金の比率を持っていることが、デロイト・フットボール・マネー・リーグ2023によって明らかになった(=収入に対してお給料が占める割合が多い)。

この比率はフランスの強豪パリ・サンジェルマンを唯一の例外とし、世界で最も裕福なサッカークラブのトップ10をすべて上回っている

パンデミック(Covid-19)の到来によって、問題はさらに深刻化。

クラブの収入源のほとんどが停止した一方で、運営費はそのままだったため、クラブの収入に対して賃金が劇的に上昇した。

この不幸な出来事は、イタリアでサッカーチームを運営することがいかに持続不可能になっているかを浮き彫りにした。

マ「今日、クラブの総経費に占める給与の割合は高すぎる。」

マロッタは人件費が依然として高い一方で、イタリアのクラブが試合当日のチケット販売やホスピタリティをうまく活用できていないことを強調した。

セリエAの20チームの内、現在スタジアムを所有しているのはわずか4チームだけ(当時)で、残りの16チームは海外のスタジアムに比べれば、限られた現地サービスやささやかなマッチデイ体験を提供する時代遅れの会場のテナントに過ぎない。

しかし、新しい施設を建設したり、既存の施設をアップグレードしたりするのは、イタリアのクラブにとって非常に非常に非常に難しい。

セリエAの多くの外国人オーナー(そのほとんどがアメリカ出身)は、新しいスタジアム・プロジェクトを進めようとしたが、イタリアの官僚主義という頑丈な壁に頭をぶつけてしまった。

イタリアでスタジアム計画が承認されるには、市町村や州、地方、国レベルの官僚主義を通過する必要があるため、いくつもの階層をクリアにする必要がある。

さらに、古いスタジアムはその古さゆえに "国定記念物 "に分類されることが多く、簡単に取り壊したり改築したりすることができないとマロッタは説明する。

マ「イタリアの官僚主義は他のどの国よりもずっと、ずっと遅れている。」

マ「このような手続きの難度は、モチベーションのある投資家を落胆させる。」

インテルは新しい本拠地を建設し、サン・シーロから移転しようとしている。この歴史的なスタジアムは昨シーズン、過去最高の観客動員数を記録したが、マロッタは自分たちのスタジアムを民間で運営した方が、はるかに大きな収益を上げ、インテルの財政負担を軽減することに貢献できると確信している。

イタリアのサッカークラブは国際大会や国内大会の賞金によって『年間収入の大部分』を得ているため、収入とコストの不均衡から、クラブの財政はピッチでの成功に大きく依存しているのだ。

マ「スポーツの結果は、クラブの潜在的な総収入に対してあまりにも大きな役割を果たしている。」

マ「国内レベルでも国際レベルでも、収益分配はシーズン終了時のチームの順位に影響される。」

例えば今シーズン、インテルはCL準決勝に進出したことで(ダービー前の記事なのでまだ準決勝)、8000万ユーロを稼ぎ出し、さらに優勝すれば2000万ユーロを手にすることができる。

逆にセリエAのトップ4争いから脱落し、次回のCLへの出場権を逃すことは財政的に致命的な打撃だ。

マ「リーグ戦を4位ではなく5位で終えた場合、クラブの年間収入の30%か40%を失うことになる。」

マ「CLに出場しないということは約6000万ユーロか7000万ユーロの収入を見送るということである。これはクラブのビジネスプランの変更を意味する。」

クラブの年間予算においてスポーツの結果が果たす重要な役割を考慮すると、選手たちもクラブのビジネスリスクに積極的に参加すべきだとマロッタは考えている。

マ「具体的に、選手契約には "maluses"、つまりクラブがシーズン中に特定の成績基準を満たせなかった場合の選手への金銭的ペナルティを含めるべきだ。」

ボーナスの反対として機能するこのマイナスのインセンティブは、チームが欧州や国内のコンペティションで結果を残せなかった場合に、クラブが選手に対して負う金銭的な責任を軽減することを可能にする。

長期的に見れば、マロッタはサラリーキャップ制がイタリアサッカー界のコストを抑制する最善の策だと強く信じている。

時間と大幅な規制調整が必要であることを認めながらも、彼は3年以上前からこの方式を提唱しているのだ。

マ「現在のシステムがイタリアサッカー界の限界点に達しているということは明確だ。」

マ「イタリアでは、経済的、財務的な管理ツールよりもスポーツモデルが未だに主流である。あまりにも恣意的、もっと安定したシステムが必要だ。」

以上!

いかがでしたでしょうか。

好評だったら他の方も取り上げるかもしれません。特に有名どころは今回で挙げたので、さらにニッチな記事になりそうだけどw

最後までご覧頂きましてありがとうございました🐯





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