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「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」

こんばんは。
表題の展覧会を見て、思ったことを書いていきます。

渋谷区立松濤美術館という、中々ディープなところで開催されている、
ニッチなテーマの展示会
気になってしまったので、足を運びました。

テーマはずばり、廃墟の絵。

時代は、大きく言うと2つ。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージという、
16世紀の版画家の巨匠の作品と、
現代の廃墟の画家、元田久治氏の作品。

「古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」1756

こちらの作品は、実際の廃墟をもとに描かれた(そこから多少のアレンジはある)もの。
感じるのは、過去の憧憬。かつて映えた時代もあっただろう建物のストーリーを感じる。

そして、

「元田久治 Indication: Shibuya Center Town」2005

こちらは、現代の渋谷が廃墟化したというもの。
感じるのは、未来への憧憬。いまある姿がやがて廃墟と化していく膨大なストーリーを感じる。

過去と未来、どちらにも感じるのは、膨大なストーリーだ。
1枚の絵であるからこそ、想像をかき立てる。

美術館では、絵を実際に見ている時間と、そこから自分の中で描く映像(あるいは絵)を見ている時間が、
このテーマにおいては、半々ぐらいだった。

ここにこそ、廃墟の魅力があるのではないかと感じた。

ストーリーは、本来、
「起承転結」を見せるもの。

しかし、廃墟は「起承転」を見せず、「結」だけを提示している。
そうすることで、「起承転」に想像の余地が生まれ、快感となって脳を刺激してくれる。

松尾芭蕉の句に、
「夏草や兵どもが夢の跡」
というものがあるが、これも「結」だけを見せるという手法ともとれる。

また、角川文庫の広告で、小説の最後の一行だけを並べた事例もあり、こちらも
同じ手法だ。

画家の最後の作品だけ、写真家の最後の作品だけをあつめた展示とかあったら見てみたい。

そこからは、きっと膨大なストーリーが感じられるはずだ。

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