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マハティール元首相にお会いしました

先週のことです。
私がいつも仕事をいただいている国際大学にマレーシアのマハティール元首相が来校されるイベントがあり、通訳に行ってまいりました。

夏休みに小学生が英語で学ぶGlobal Campというイベントがあり、子ども達に対する講演をその場で文字起こしする、という通訳者としてはちょっとイレギュラーの案件がひとつ、そして記者からの囲み取材の通訳がひとつ、という仕事量としては比較的少なめなご依頼でした。

講演を聴きながらその場で文字起こしする、というのは、見た目より手のかかる仕事です。だって普段は言葉としてその場に出したら出しっぱなしでよいのですが、翻訳文にする、となると、読んで分かりやすい文章にしなくてはなりません。

おまけに講演を聴きながら作る、という通訳者の仕事なんだか、翻訳者の仕事なんだか分からないミッションでした。

でもやっぱりこれは通訳者向き案件ですかねぇ。
だってその場でほぼ仕上げて欲しい、というご依頼でしたから。講演を聴いていた小学生にはそれぞれ一人ずつ大学生のTA(注:Teaching Assistant)が付いて補佐してるといっても、子ども達の英語力はバラバラだったということなので、終了後すぐに内容を書いたものが必要だったのです。録音して後から英語を日本語に文字起こしなら翻訳者向きだろうけど、その場で即納品、となると通訳者向きでしょう。

もちろん、一言一句起こすのではなく、おおまかなところを書いて欲しいということでしたが。

そうなるとスキルとして必要なのは、
・全体の内容を大雑把にとらえ
・即座に分かりやすい文章を出す
になるでしょう。

あとは補足スキルとして、ブラインドタッチでの入力スピードでしょうか。最近はMacのPCを使ってるので、ひさびさのWindows機だったので少々手こずりました。

さて、講演の内容です。
マハティール元首相は、「マレーシア近代化の父」とも呼ばれ、1981~2003年の長きに渡り首相を務め、1980年代には日本や韓国の経済成長に学ぶ「ルック・イースト」政策を提唱し、マレーシアの経済を発展させた方です。さらに2018~20年に再度首相に返り咲いた時は既に御年92歳! 90代の人物が選挙で民主的に首相などの国家の重鎮の座に着くのは、ギネス級の出来事でした。

マハティール元首相が生まれたのは第二次世界大戦の前です。
講演でもおっしゃっていましたが、マレーシアは当時イギリスの植民地でこそなかったものの、支配下にあったそうです。どうして政治家になろうと思ったのですか? という問いに対して、「マレーシアは昔とても貧しく、戦後はイギリスが植民地にしようとしていたので、それに対抗して、さらに国を豊かにしようと政治家を志した」とお答えされていました。

マレーシアは最初からイギリスの植民地か、と思っていましたが、違ったのですね! 支配していたイギリスを日本軍が占領し、戦争終結後に戻ってきたイギリスが植民地化を試みたところに反抗運動が起き、国として独立した、ということらしいです。

Campに参加している子ども達は、世界平和や環境問題について話していたようで、それに関する質問にもお答えされていました。

「世界平和のために、私たちのような小学生にできることはありますか?」という問いに対しては、

「世界中に友達を作りなさい。世界のあちこちに友達がいれば、その国と戦争しようとは思わないでしょう」

とおっしゃっていたのが印象的でした。
世界はそんなに単純でない、と大人なら思ってしまうところですが、実はそれぐらい簡単なことなのかな、と感銘を受けました。

感心しながらも手はキーボードを叩いてたんですけどね?笑笑

講演が終わった後は大学の学生に対する質疑応答が続き、記者の取材は地元の新聞社1社だけとなり、大分県に関する話をして終わりました。なんと大分の平松元知事にも会ったことがあり、大分の一村一品運動もマレーシアで実践しようとなさったとか。ビックリです! ご本人も親日家で知られていますが、色々なご縁が日本とあるようです。

そんな感じでとてもいいお話を仕事とはいえ聞かせていただきました。世界の偉人と言われる方のひとりから直に話を聞くとても貴重な機会となりました。

地方に住んでいるとなかなかこういう機会はありませんが、通訳は時折有名な方に出会う機会があります。といっても、通訳者はあくまでサポート役。自分がその場にいてもそれは自分の力ではない、ということを肝に銘じておく必要があります。

それでも嬉しいものですし、やりがいも生まれるのですけどね。


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