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【エッセイ】22時、私は虎になる。

こんばんは。


私はいつもなにか考えていたい。なにかしていたい。

noteでも、ゲームでもいい。
「なにもできない」が怖いし、なによりつまらないから。


ただ、身体に染み付いたことをする時は、頭のスペースが残っている。
その空白を埋めるように、私はつい考えごとをしてしまう。

特に考えごとをしてしまうのが、夜の歯磨きの時間

1日の終わりが近づく22時頃、

「今日はこんなことがあったなー」
「明日はこれをしないと」
「noteでこういうの書きたいなー」

と、疲れた頭でいっぱい考えごとをしてしまう。
ただ、うまくまとまらないから、頭の中が曇っていく。

その時、私はついうろうろしてしまう。
そうして歯を磨きながらなにかを考えてる。
心が晴れるまでの10分・20分も、ほんの一瞬に感じる。

はたから見れば、歯ブラシを加えてうろついている変なやつ、と思われる。

実際、親から
「動物園の虎みたいw」
と言われた。

たしかに…

無機質な檻の中に閉じ込められた動物園の虎が、狭い草原の中を行ったり来たりする様に似ている。


この癖がついてしまったのは、ここ数か月。
その前までは考えごとはしても、うろうろすることはなかった。

なんでうろついてしまうのだろう?
この癖は直すべきなのか?


正直、私はこの癖を直す必要はないと思ってる。

この時間は、私にとって「思考と感情の整頓」の時間にあたるから。
これが日常生活のルーティンである「歯磨き」に無意識のうちに組み込まれていった。

ちょっとしたもやもやを、客観的な視点で考えることで、気持ちが楽になったり、気付きが得られるかもしれない。
そのもやもやが肥大化しているために、私はうろうろしてしまう。

それをしないと、感性が暴走して、理性を失った虎になってしまう。

虎の鋭い爪で他人の気持ちを引き裂いたり、凶暴な牙でむやみやたらに噛みついたらどうしよう?
それで自分が「獣」として銃口を向けられたいのか?

それは私の望む結末ではない。
自分も他人も傷つくのはうんざり。

だからこそ、自分の感性を理性によって圧縮→保存をする時間をとる必要がある。


「私」を保つために、自分の感性を飼いならさなきゃいけない。

そのために、今日の歯磨きの時間も、私は虎になる。





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