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トルド・グスタフセン(Tord Gustavsen) ロングインタヴュー「ECM を代表するノルウェー人ピアニスト、その誉を新作とともに語る。」


Tord Gustavsen ©Caterina Di Perri / ECM Records

ECMを代表するノルウェー人ピアニスト、その誉を新作とともに語る。

interview&text:佐藤英輔

 2000年代ECMの欧州ジャズ表現をリードするピアニストが、トルド・グスタフセンだ。1970年、ノルウェーのオスロ生まれ。子供ころからクラシック・ピアノを学んだ彼は教会でも演奏。大学では複数の場で音楽を学び、卒業後はシンガーのサポートをするとともに、自らの表現も研鑽していった。そんな彼のデビューは2003年、第一作『チェンジング・プレイス』はECMからリリースされた。
 以降も、彼はトリオ、アンサンブル、カルテットと複数のフォーマットを介して、ECMからリーダー作を発表し続けている。そんなグスタフセンのECM2022年新作『オープニング』は前作『The Other Side』と同様にピアノ・トリオによるものである。Covid-19のパンデミックを経て送り出された新作はどんな思いとともに語り作られたのか。いかにもECM 的とも感じさせる北の何か/美点を感じさせるイマジネイティヴな音の連なりはどのような知見のもと築き上げられたのか。ツアーで英国に滞在するグスタフセンにズームで話を聞いた。画面の向こうの彼は、おっとりしつつも知性が溢れ出る人だった。(2022年5月18日に収録)


―今はツアー中で、イギリスに滞在しているんですよね。
「はい。今週は6公演あります」
―順調でしょうか。最新作の『オープニング』を発表しての、ツアーですよね。
「すごくいい感じです。とにかく、お客さんを入れて再びライヴができるということがすごくうれしい。そして、バンドのヴァイブスもすごくいい感じです。レコーディングしたものをライヴ・コンサートで生命を吹き込むという作業が、僕はとても好きなんです。新しい素材の他にも最初のアルバムまでさかのぼって演奏してもいるんですが、どんどん新しいものを作っているという思いを得ています。インタープレイもより発展していくし、とても楽しいです」
―2011年9月の東京ジャズにおけるあなたのライヴが、ぼくはものすごい印象に残っています。美意識に満ち、美しい雫が宙に舞うような感覚を持つそれは本当に新鮮で、今も心に残っています。
「あのコンサートのことは僕も覚えているし、そう言ってもらってすごくうれしいし、それを思い出し改めて僕もすごく感動しますね。あのコンサートはすごく流れがよかったことを、よく覚えています。しばらく行っていないので、また日本との繋がりが持てるといいですね」
―早速、新作の『オープニング』についてお聞きします。今作は4年ぶりのアルバムで、ECMから出すあなたのアルバムとしてはこれまでで一番長い時間があきました。それは新型コロナのパンデミックが影響したんでしょうか。
「そうです。スイスで録音したのですが、2回のロック・ダウンの合間をぬってなされました。一方では生活が落ち着くとか、家にいる時間が増えるとかいい面もがありましたが、一番感じたのはやっはりリアルに人と一堂に会するということの大切さですね。だから、その部分をスタジオで録音しながら噛み締めつつ、周辺のストレンジな空気も感じながらレコーディングしました。それは、昨年の秋のことでした」
―今作ではベーシストがスタイナー・ラクネスに代わりましたが、彼は結構日本に来ていて、ぼくも何度かライヴを見ています。どうして、今回彼をトリオの一角に選んだのでしょうか。
「前作のベーシストは個人的な理由からもう旅ができないということで、参加できなくなってしまったからです。そこでどう前進するのがいいのだろうかとかなり迷い、3人のベーシストを試しました。それぞれに強みがあって素材に違う色彩を加えてくれましたが、そのなかで一番個性のあるヴォイスを持っているのがスタイナーでした。あと、僕にとって前任者とまったく違う個性の人とするチャレンジを持ちたいというのがスタイナーに決めました理由ですね。彼のアプローチが一番大胆で、僕のクリエイティヴィティがすごく刺激されました」
―一方、ドラマーはヤーレ・ヴェスペスタです。彼は、あなたのECMのデビュー作からトリオで叩いていますよね。やはり、彼はあなたにとって不可欠となるドラマーなのでしょうか。
「そうですね。彼の個性って悲しげながらグルーヴィなんですよ。そして、ダイナミクスも持っています。そんなに上下せず、わりと落ち着いた低い興奮度のなかにおいてものすごく存在感を彼は発揮します。言うなれば、音数が少なければ少ないほどドラムで多くを語る人ですね。低い音量のなかで存在感がすごくあるということが、彼が僕の音楽に合うところだと思います。そして、長年一緒にやってきたからこそ、インタープレイや人間関係もどんどん成熟し、今とても相性の良いドラマーですよ。サイドの企画においては他にいろんな人と組んでやっていますが、僕の名前を冠したものについては常に彼ですね」
―あなたにしてもスタイナー・クラウスにしてもヤーレ・ヴェスペスタにしても、歌モノのサポートも好んでやっていますし、民俗音楽にも興味を持っていたりもしますよね。そういうジャズ一辺倒ではないしなやかな音楽観というのは3人に共通していているとことであり、それは今作にも反映していると考えていいのでしょうか。
「ジャズというジャンル自体がものすごく幅広く、実は定義しずらいタームだと僕は思っています。ゆえにジャズのなかには様々なものが包括されると思っていて、僕がやっていることすべては一本の赤い糸で繋がり、メッセージ的にもクォリティ的にも一つの核を持つと感じています。だから、人の伴奏をしているときや他のミュージシャンとインタープレイをしている際もソロでやっているときも、すべてが同じように重要だと思って僕は取り組んでいます。とてもメロディ性のあるシンガーとやったり、全然違うジャンルのミュージシャン〜たとえばイランやトルコのミュージシャンと一緒にやったりすることで育まれる僕らしさのようなものは、この新作にすべて出ているんじゃないかなと思います。メロディの感覚とそれがもたらすサウンドスケイプ的なものが、今回はより抽象的になっていると自分では感じてもいます。言うなればポップ・ミュージック的に立つメロディをこれが一番大事なんだと気合いを入れて演奏しているところもある一方で、よく分からない抽象的なテクスチャーに凝っている部分もあって、その2つの相容れない世界のせめぎ合いみたいなところが今作にはあります」
―抽象的なテクスチャーと聞いて、ぼくは深くうなずきます。今回のアルバムっていろんな受け取りかたができ、ライヴだとより大胆な発展をするんだろうなと思わせますから。
「そうですね。まさに今のライヴをやりながら変化を遂げているところで、作ったアルバムはちょっとした小さなマントラみたいなものか、と。フォームとしてはすごくシンプルですが、そこにフリーなインプロヴィゼイションが入って行き、その一方ではトラディショナルなジャズのコード進行とか、あるいはソロをやってテーマに戻るという形式もある。それらを踏まえながら、曲が今ライヴでどんどん変わっているところです」
―多くはオリジナルを演奏しています。基本、あなたの表現は自分の曲を演奏してこそ成就すると考えているんでしょうか。
「そのようには、僕は思っていません。僕の場合は宗教の讃美歌が大きな源としてあり、加えてその他いろんなところから音楽を引っ張ってくるんです。アフリカン・アメリカンが伝承してきたものも大切ですが、教会音楽というのは僕からするとヨーロッパを代表する根幹となるものです。そして、そういうものとジャズのスタンダートをやることは僕のなかでは全く平等なもので、同じように重要なものと思っているんです。あとクラシック音楽だと印象派の影響が大きいんですが、一方では、子守歌とか古代北欧の民俗音楽とか、そういうものも同レヴェルにありますし、それらがすべて重なり自分の音楽宇宙となっていると思います」
―だから、2曲目の「ファインディングス/レットビークからの眺め」はノルウェーのトラッドをつなげたものだったりするわけですね。
「そうですね、それが僕の一つのやり方ということになると思います。自分の背景を示したいですし。あの曲に関しては結構自発的に出来上がっていったんですよ。自分の曲として作っていたところにそのトラッド曲のテーマが入り込んできたみたいな感じだったんです。トラッドが自分の曲に影を落とす……。そうしたことをどう発展させ、まとめ上げるかには醍醐味を覚えます」
―アルバム最後の曲「強くなれ、私の魂よ」も昔の曲ですよね。
「それはノルウェーの古い讃美歌、教会音楽ですね。その曲は嘆きの場、喪失感を味わう葬式とかの場で歌われるもので、英語だと“Be strong, my soul”というものです。ストロングと言っても物理的な強さではありません。人間として弱いところを見せるというのも強さであり、自分をさらけ出すというのも強さですし、そういうストロングさですね」
―それで今回、クレジットにエレクトロニクスという項目も出てきて、それは前作から入った事項だと記憶しますが、ここにきておおっぴらではないにせよエレクトロニクスの要素を活用したピアノ表現をやりたいという願望があるのでしょうか。
「この5~6年しているんですが、エレクトロニクスをピアノとともに用いることはピアノの幅を広げることに繋がると思っています。ライヴにおいてはまったく使わないときもあるし、ちょっとだけ使うときもありますが、翻ってエレクトロニクスをメインで使うライブをやったりもしてきました。ピアノの上に視覚センサー付きの電子インターフェイスを置いて、アコースティックとデジタルの融合を追求してもいます。もちろんそういうものが一切なくてもトリオとして僕たちは機能しますし、僕にとってもピアノは根本的な楽器であることに変わりはあません。しかし、エレクトロニクスを用いることによって、僕自身ピアノ奏者としてよりベターになっていく感覚もあるのです。というのも、一旦そういうものを味わうとピアノに戻ったときの感覚や聞こえ方が変わってくるんです。それで前とは違うアイディアが浮かんでくることもありますね。今回のアルバムにおいて特徴的なのは、スタイナーが僕と同じぐらいエレクトロニクスを用いているということ。彼は曲によってはベースにエフェクターを使い、それにより自らの個性やベースという楽器のポテンシャルをより引き出しています。そこは、今僕たちの刺激になっているところですね」
―こういう話を聞くと、ピアノ・トリオの表現の枠組みを自分たちなりに広げていると感じてしまいます。もともとECMのリーダー作に関してはトリオで始まって、そのあとアンサンブルやカルテットのアルバムを出して、また今ピアノ・トリオのアルバムに戻っているわけですが、あなたにとってピアノ・トリオはどういう位置にあるんでしょうか。
「僕にとってピアノ・トリオというのは全員の音がすべてきちんと聞こえる、理想的なコンビネーションです。小さなチェンバー・アンサンブル的な良さと、オーケストラと同じぐらいの音域と音のカラーを表現できる大きさを併せ持ちます」
―リーダー作に関してはずっとECMから出していますが、あなたの音楽は本当にECMと合致しており、ゆえにあなたのことを2000年代のECMのエースみたいな書き方をぼくはしていたんです。あなたにとって、ECMはどういうレーベルなんでしょうか。
「それは、とても大きな質問ですね(微笑)。歴史的に画期的な重要作品をリリースしてきたというのは、間違いありませんよね。とにかく、ジャズにしろクラシックにしろコンテンポラリーにしろ音楽という括りのもと優れた作品をリリースしており、その一部に自分がなることができているというのは光栄に感じています。今ECMはストリーミングにも対応していますが、携帯の小さなスピーカーから流れてくる音では味わえない作品を届けようというのがECMの姿勢ですね。それを情熱を持ってきちんとやろうとしているレーベルが今も存在しているということがすごくありがたいし、自分も大事にしたいな思っています」
―大学時代にはまず心理学を専攻し、そのあと音楽を学んで音楽家の道を歩んでいますよね。そういうキャリアを知ると、あなたの多大な余白や奥行きを持つ表現はそうした向学心も加味されて成り立っているのかなと思えたりもします。
「そう、おっしゃるとおりです。といっても、アカデミックな背景以前にずっと子供の頃からピアノで遊んでいたという言い方が正しいとは思います。だから僕の表現は、自分のなかにある子供のころの音楽に対するスポンテニアスな姿勢みたいなものと今の大人としての理路整然とした部分との、2つの自分の対話から生まれているのかと思っています。対話と言いましたが、僕はその2つを分け隔てて考えているわけではなく、それらは同居していますね。ちなみに、前に書いた心理学の論文は“サイコロジー・オブ・インプロヴィゼーション”という論文でした。音楽はやりつつ、心理学に踏み込むような論文でしたね」

『オープニング』
Tord Gustavsen Trio:Tord Gustavsen(p)
Steinar Raknes(b) Jarle Vespestad(ds)
[ECM 454243(輸入盤)]
[ユニバーサルミュージック UCCE-1193] SHM-CD

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