2023

なんとまあ、年末である。

去年のわたしと今年のわたし

去年のわたしと今年のわたし、去年のわたしのピュアさが眩しく感じる。

今年はそれこそ何したっけか?というような怒涛の一年であった。そして去年のわたしが残した「節制」というワードに年末の今ぶん殴られている。あの頃のわたしは理解していたではないか。

そう、先日胃腸炎にかかった。理由は明確である。不摂生、脂のとりすぎ、食べ過ぎ、辛いものなど刺激物の摂取である。「もう食べ物でストレスを発散できるような歳ではないし去年お前自身でわかっていたことだろ」ということだ。

モデルさんのような野菜生活、スープ生活、消化に良い生活を強制されたあと、白米中心の生活に切り替えている。

我がアイデンティティ

1月、大阪

2023年の年始はお仕事で大阪にいた。関西ローカルの洗礼なのか、お好み焼きやさんやバス乗り場などで集団で会話が始まる場面に数回遭遇した。

さらに。バスを待っていて、自分と違う方向に列ができ始めたので並び直そうとすると、前を並んでいたお兄さんがくるりとふりかえり、「お姉さん先に並んでたんだから堂々としとったらええんです」とさすがツッコミの文化。面食らう事件などもあった。年始のバスセンターでバスが満席になった連絡で、ぐいぐい詰める感じと、右左あさってから「なんでや」「まだか」「どないするんや」みたいな声が出てきて、"これが…関西…!!!"と文化を浴びたのである。

自分はこの地方の人間ではない、福岡の民なのだとあらためてアイデンティティを感じることとなった。

2月、3月、映画

2月、3月は映画の記憶しかない。エゴイスト、RRR、エブリシングエブリウェアオールアットワンスとかを見たはず。

5月にスペインに行くことを決めた。

4月、停止

とにかく体調が悪い月で、朝が起きられないときもあり、病院に病院でなにかと手痛い月だった。スペインにいくことを決めてお金を払った後で、キャンセルするか悩んだ。

5月、スペイン

人生初の海外生活。スペインはバレンシアにて3週間ほど過ごした。本当はもっと長く、2〜3ヶ月は滞在すべきだよな、と思っていたものの、初めてのヨーロッパ圏とスリに怯え、この短期間になった。

初めての長時間のフライトは、窓際に座ってしまったため大変後悔した。トイレが近い人間は通路側か、真ん中のエリアに座る必要がある。

さらにスマホのSIMカードを変更するのに手間取って隣の韓国のおじさんに予備のSIMピンを貰う始末。このおじさんは面倒見が良い人でフライトアテンダントの人に、ちゃんと説明してあげないとわからないからうんぬんで、私に先に聞くように誘導してくれた。韓国の人はコミュニケーションが自然だと思う。

さて、滞在はバレンシア。バルセロナの空港からバレンシアへはバス移動。鉄道はあってないような時間だったのでバスにした。

バスセンターをあとにし、現地の語学学校のアパートメントに向かう。日曜日だったので鍵の受け取り場所が別だった。

アパートに着くと、ドアの開け方がさっぱりわからない。鍵を開けても扉が開かない。SIMカードが変わっていないので、調べることさえできない。ドアノブはカギをさしたまま開けなければならなかった。

階段を登り部屋番号のドアに行くと、なんと鍵が入らない。上の階から降りてきてくれた同じ学校のスイス人の子に助けてもらった。初めて見る日本人が汗だくでキレ散らかしてて、日本の変なイメージをつけたらほんとごめんなさいという思いだ。パンフレットと書類を見せ、どうにか彼たちのアパルトメントのWi-Fiを繋げさせてもらってことなきを得た。

しかし、噂には聞いていたがシャワーのお湯は水になるし、洗濯機は3時間かかるし、シャワールーム内は電話ボックスみたいで人間が入ることを想定していないだろうと勝手の悪さと不便さ…。ジャパンは本当に便利である。とにかく日本製製品と匠を呼んで欲しいと何度も思った。

気候は30度とかになるが、湿度が全くないので暑くない。むしろ寒い。体感17度くらいだった。初日に寒すぎて、歩き回ってフードのパーカーを買った。さらに空気は乾燥しており、40%くらいだとGoogleが教えてくれた。見えないところで攻撃を受け、自分は高温多湿地帯のアジア人なのだと思い知らされる。

学校自体はいきなりA1のレベル8(レベル10がマックス、A2、B、Cと上がっていく)にぶち込まれて、現地のスペイン語が全く聞き取れず、ポカンとした。同じクラスにいたドイツ人の子がクラスを変えてもらったというのを聞いて、「私は文字は読めるが聞き取れないのでレベルを落として欲しい」と直談判しに行った。海外で主張しなければいけないと聞くのはこういうことかと理解をした。

「オッケー、そしたら明日からこのクラスね」とメモを渡され、学校のアプリも次の日から新しいクラスに変わっていて、こういう部分はめちゃくちゃスムーズだなと、人に頼らないソフトなシステムでてきていた。先生も明日からバカンスや、といって全然別の先生に変わるけど、教材がよくできているのでどんな先生でも50点くらいの授業はしてくれる。上手な先生はところどころゲームを入れたりして、めちゃくちゃ優秀な人は飛び抜けて優秀だなと勝手に思っていた。

スペインの生活のリズムはとても好きだった。

食事の時間が5回あり、彼らの優先順位は食事と生活で好感を持った。チーズは安い。パンは水分含有量が少なく、日本人のもちっとやわらかパンとは違う。3日目のフランスパンかという硬さがざらだった。それにあたたかいスープが存在しないことは大変なショックだった。冷たいスープしかない。結構寒いのに。大変驚き。

外食も楽しかった。接客のレベルはとても高い。接客がだいすき!って感じで、ほっこりした。

バルでもパエリアでも、まあ気軽なレストランではあったけど、差別されたり冷遇されたりとかは全然なく、「テラスにする?中で食べちゃう?」だったり、私の選んだチョイスに対して「完璧なチョイスね!」「めっちゃいい!」みたいにノリよく返してくれたり。

日本から初めて海外で暮らしてみて、いかに高温多湿で喉に優しい環境だったかと、見えないところで当たり前に染まっていたことにたくさん気づきました。

それに、最後の最後に空港のバル兼お土産屋でブチギレしたのはいい思い出。自分でももっと上手にできたかもしれないとは思うんだけど、まあ慣れてない。

彼らは自分の好きな仕事を優先させるらしい。

おみやげの会計を待つこと15分。
後ろにヨーロッパ系の人が並んでも一向にお土産の会計はせずに「今日のワインは赤、白、ロゼもあるよ!」とか接客を優先していた。別の人にお願いしても、彼女しかレジはさわれないと言う。私の後ろにいたヨーロッパ系の人たちは、持っていた商品をレジの前にドンと置いて立ち去った。

流石に私も待てなくなってきたので、近くにやってきた彼女に3回「Hey」と声をかけて、最後の一回かなり低めのHey,pleaseが出た。

その声色の低さに驚いたらしく、彼女はかけよってきて、「Sorry, pero…,porque…」、人が足りなくてー、お客さんも多いしー、と言い訳してきたので、「I see.」とずっと低い相槌をしていた。

高速でお土産を包む彼女の手を見ながら、「すぐできるんかい」と、気の利いた感じでリクエストできるアメリカ人マジすごいよな…とイライラしながら考えていた。

総じてカルチャーショックを受け、乾燥地帯には二度といかねえと思ったのでありました。サグラダファミリアは見れてよかったよ。

6、7、8月、とにかくはたらく

3週間のお休みを取り戻すべく、とにかく駆け抜けた3ヶ月。あまり記憶はなく、ようやく厄祓いに博多の若八幡にいったくらい。スペインの出費ののこりと病院代がぴよぴよと飛んで行きました。

よく使った!(小泉純一郎風)えらい!と思いながら、自分のざるどんぶりを猛反省。

あと、スパイダーバースを見た気がする。

ムンバッタンのスパイダーマンが「chai tea??? chai means tea!!! you say tea tea or coffee coffee!?!?」みたいなキレ方するのがとてもよかった。言語は英語だけど各国のなまりが聞こえてよかった。特にスパイダーパンクが反骨精神強くて好き。はやく続きがみたい。

9月、多忙のピーク

すごく働いた。脳の負荷をものすごくかけた。普段はしないドーピング(チオビタ)をした。ドリンク系は前借りでしかないので、後日疲労が一気にくる。でもそれでも、チートにしないと乗り越えられなかった。自分の今のレベルでできることを振り絞った感じ。これ以上はもう絞れません、という気持ちで仕事していた。

アウトプットをするにはもっとインプットしなければと思う反面、いま自分がやっている趣味のほとんどが仕事のためのインプットな気がしてきて、その事実が怖くなった。仕事につながってしまう趣味の代わりに、ひたすら寝ることにした。

こういう経験を越えると、去年よりも格段できることが増えたこと、仕事の基礎筋肉がちゃんと鍛えられたとはいつも思う。理想はチートせず自然と身につくことだけど、人生と一緒で一気にアクセル踏まないといけない時があるんだと、他人には強要できんけど…。と思いながら過ごした。

もう少しか弱さみたいなものが表に出ればいいのに、体型にはいつも反映されない。髪も黒々としている。ああいい肩してるな今日も、いい厚みだよ全く。と思っていた。そして内臓とか自律神経とかにくる。見栄っ張りなのか?

ピークの時に先輩が並ばないと手に入らないドーナツを差し入れてくれて、少年漫画みたいに泣けた。あれは人生で一番の差し入れだった。とても嬉しかった。

10月、少し落ち着く

自分の仕事は少し落ち着いた。9月に後回しにしていた仕事が本格的に動き出して、落ち着いたものの今度は違う頭を使うような感じだった。本当に記憶がない。

11月、伊勢に行く

長年行こう行こうと言っていた旅行の約束をようやく叶えることができた。名古屋セントレアで集合という、トレンディな待ち合わせである。

伊勢市は本当に静かで、ただあまりホテルがなく、古民家に泊まった。ちょうど寒波が来る日で、わざわざ、ガスヒーターを用意してくれた。置いてあった半纏は袖なしのタイプで、着た気がしないのに暖かいという、日本の実力を見せつけられた。これよ、これぞ匠のわざよ。紀元前660年建国(諸説あり)なめたらあかん!

1組貸切だったので、わりかし楽ちん。現地にいる先輩のお店に行き、お店に連れていってもらい。伊勢神宮へのお参り以外にも、伊勢牛もいいけど黒毛和牛がおすすめとか、とりやきがおすすめとか、あそこのコロッケが美味しいとか。

伊勢神宮の外宮と内宮をそれぞれお参りし、親への土産を買う。猿田彦神社でおみくじをひき、今の自分に適切すぎることばがでてきて、友と笑った。いい旅だった。

12月、胃腸炎になる

このコロナ明けの楽しみシーズンに胃腸炎になった。気合い入れて好きな焼肉定食を食べた後、胃腸がどんどん張っていった。仕事の資料は出来上がったものの、その夜4時まで吐いて水のようなアレでまあ散々。散々かつ惨めだった。次の日も腹痛は続き、病院で横にならせてもらって診察を待つくらいだった。

脱水もしてて、3日間は経口補水液とりんごをすりおろして片栗粉とろみをつけた何かを食べた。固形物なんておそろしくて食べれず、Amazonで参鶏湯とポトフのレトルトをストック用に注文した。

5日くらいして突然マックが食べたくなった。いや死ぬ、アホや、死ぬだろと我ながら思い、震えながら、Yahoo!知恵袋で同じような人の悩みを読み漁り気を逸らした。ビッグマックは消化に3日かかると言うとんでも記事をみて、マックは諦めた。しかし食べたい。

ふとすると胃酸が出る朦朧とする頭で「ケチャップではないか、食パンとケチャップ、チーズでハンバーガーっぽくなるのでは」と食パンを焼いてどうにか凌いだのであった。

クリスマスは野菜スープで、調子のってチキンナゲット食べてお腹痛くなりました。まだまだ。

2024

2024年は元気に健やかに、運動なんか始めて、白湯なんか飲みながら、まず身体第一、ご飯の勉強とかしようかな。ストレッチとランニングかな。映像よりも本を読む時間とラジオ聴く時間を増やそう。あとは英語かな。スペイン行って結局英語ばっかり喋らざるを得なかったし。

良い一年になるように。

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