見出し画像

つらつらと

おはようございます。

タカシです。

5:30出発が当たり前のアルバイトが終了しましたが、相変わらず早起きです。

本日は自分の頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かび。

いつまでたっても消えることのない僕の考えを聞いてください。

39歳の今でも消えない子供の想像です。

裏付けも確信も何もない戯言です。

バカと言われ続けた保育園児・小学生が大人になるまで考えていた妄想です。

画像1

絵をクリックすると僕のホームページに飛びます

ー宗教?死ぬの怖いー

しょっぱなから怪しいこと書きますw

僕はいつ頃からか?地獄に落ちる夢を年1回は見ていました。

保育所の頃には見ていたと思います。

小学校の低学年の時テレビで「蜘蛛の糸」の人形劇を教室で見た時、大泣きし教室からいなくなりました。

いまだに笑い話として言われる時がありますが泣いた事にはこんな理由があります。


夢はいつもリアルでした。

前回見た夢と同じく閻魔さんの前に行くところから始まります。

「おまえは前来た時も『二度としません』と言ったことをまたしたな!!」

「今度はコレもしたな!!」

と言われ地獄に落ちます。

そして細い綱を渡らされます。

なぜかそこで夢だとわかります。

落ちると現実に帰ってこれない、渡り切れば夢から覚める。

と、思い込んで進んでいきます。

風が吹いたり、

綱が揺れたり、、、。

風を吹かすのはその年殺してしまったインコだったり。

綱を揺らすのは友人だったり。

僕の心に「悪いことしたな…」と引っかかっているモノが邪魔をしに来ます。

渡れたか渡れないかはいつも覚えていません。

大泣きして目覚めます。


細かい部分は違いますが毎年こんな夢を見ていました。

眠ることが怖くてお寺さんからもらった小さな仏像(お守り)にお願いして眠っていた時期もありました。

そんな夢を見なくなりました。


宗教に惹かれる人間の心に興味を持ち、本を読み、頭の中に漠然とこんなことを思い込むようになった時期からです。


「輪廻ってあるやん?」

「俺は俺が出会った全てのモノ(人も動物も植物もetc.)に生まれ変わるんだ!!」

「俺がしていることは、俺の生まれ変わりにしているんだ!!」

「だから出来るだけ俺が嫌なことは俺にせんとこ。」

「今残酷に弄んでいる虫も俺なんだから、苦しめて殺すぐらいなら。。。」


こんな妄想に縛られています。

ただ、これが僕の行動規範になっています。


僕が僕に痛い事やつらい事を押し付けたくない。

ただそれだけです。

ほんと自分本位な考え方ですね。


だから僕は死ぬのが怖いんです。

神様や仏様じゃない僕は気づいても酷い事ばっかりして生きています。

いつか僕はされた立場に生まれ変わるんじゃないか?

それが怖いんです。


ー2種類の動物好きー

「おまえらは動物に逃げているんだ!!」

高校の頃に大っ嫌いな教師が吐いた暴言です。

まあ、その通りです。


「動物好きには2種類ある」

この考えが言葉になったのはホント最近です。

漠然と思っていたことが先日のアルバイトで言葉としてまとまった感じです。


動物と関わることでしかプライドを保てない僕は「同じ動物好きなのになんでこの人とは合わないんだろう?」と思っていました。

動物が好きで、やさしくて、、、。

でも考え方の根っこが全然違うんです。

人と自分が同じなわけないですから当たり前なんですけど。


初めて感じたのは小学校の飼育委員の時でした。

飼育委員=動物好き。

じゃあ僕とおんなじちゃうん?

え?全然違うやん!!

あ。その感覚嫌い。。。

なんでやろ?


この「なんで?」にずっと縛られています。


先日イベント会場へ動物を連れていきお客さんと触れ合ってもらっていた時に答えっぽいことが出てきたので言葉にしてみます。


小さな動物園のような場所でふれあいのお客さん(特に子ども)がケガをしないように動物にストレスがかからないように見ているアルバイト中でした。


ふと学童保育職員の時に感じたような空気を感じました。


なに?って聞かれると「空気」としか答えることが出来ないんですが、一人の子供からその空気を感じたんです。

いや~な空気と言うかアブナイと言うか、ものさみしい夕方のような空気です。


気になったので子供に近づき声をかけて触りたい動物のところへ連れていき。

しばらくするとその子は僕にくっついてくるようになりました。

「今度は何を触りたいん?」と聞きながらその場所へ連れて行きました。

でもその子の欲しい答えは多分違うんだろうな?とわかっていました。


察しのいい方ならオチが見えてきたと思います。


そう、この子は一人でふれあいゾーンにいたんです。

親御さんが買い物などしている間そこで待っていたんです。

その子が「動物のとこ行きたい!!」と言い、親御さんが「じゃあ一人で入る?」「待ってられる?」と話し合った結果だと信じています。

でも違うんです。

その子は当然動物が好きだと思います。

ただ、大好きな親と「触れた!!」「かわいいねぇ~」って時間を共有したかったんです。

僕の思い込みだと思います。

ただ、触れた時に笑顔を見せる相手がいるお客さんがたくさんの中でその子の雰囲気が気になったんです。


そしてその子の求めていた答えは「次なに触る?」ではない事、「触れた?すごいやん!!」「どう?かわいかった?ふわふわ?」つられ笑顔だった事に気づいていたのに正解行動をとらなかったのは僕自身です。


アルバイトごときが深くかかわる問題ではない!

ここにかかわってしまったらまた病んでしまう!

と自己保身に走りました。


今思えばどっちにしても心に引っかかるのなら一瞬でもその子の笑顔をむける相手になってやればよかったと後悔しています。。。


ちょっとわかりにくい話に脱線しましたが、何が言いたかったか。

ここなんです。


愛情を受けて笑顔を向ける相手がいる。

それが当たり前の動物好き。

笑顔を向ける相手がいない、自分を好いてくれる人を探す。

それが当たり前の動物好き。


動物好きには2種類いるんじゃないか?と言うお話です。


人間を2つに分けることなんてできないんであくまで大雑把な感じですが。

この両者にはわかりあえない壁があるんです。

動物に対する考え方の根っこが違うんです。


「かわいい~」

「大好き!!」

「私がこんなにも好きなんだから、この子も私のことが好き!!」

と思える人と。

「ちょっといい?」

「かわいいよね~」

「私の事好き?ありがとう!わたしも大好き!」

と思う人と。


言葉にすると全然ちがう考え方なんです。

だから僕はあいつらとはわかりあえないんですw


わけのわからない長文にお付き合いいただきありがとうございました。

まだまだ言葉にならない事たくさんあります。

バカはバカなりにこんな考えに縛られて生きているというお話でした。


2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです