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アート作品を売る(思い出話)

おはようございます。

タカシです。

先日アルバイトの面接に行ってきました。

心を病んでから避けていた教育系の職場の面接でした。

「おまえトレーナーやろ?」

って言われそうですが移動動物園のアルバイトや娘から聞く小学校の話などで感じた事危機感など、「思っているだけではどうにもならない、岡目八目やから言える。もう一度入って問題に向き合ってみたい!!」と言う思いがふつふつと再燃してきたので「受けるだけ受けてみよう!」と面接に行きました。

「自分の考え思い過去(病歴)など全部さらけ出してみて落ちるなら落ちる」と開き直って面接を受けました。

約2時間面接官と話をし、よいお話をたくさん聞けました。

それがきっかけにつらつらと出てきた僕の思い出話をしたいと思います。

お付き合いいただければ幸いです。

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ー面接からー

思い出には最近過ぎるのですが、先日の面接で面接官の思いを聞いたとき今まで感じていた「?」が繋がった気がするのでそのお話から。

「noteに載せていいですか?」と聞かなかったのでどんな内容だったかは書けませんが教育・福祉・支援すべてを含めた人間育てへの熱い思いがありました。

その方の考え方は「環境を作ってあげるだけで誰でも獲得できるスキルがある。」「日本ではそのスキルを持っている人は優秀扱いされるがただのコミュニケーションスキル」「それを獲得させることで対象者の世界が広がる」「特別なことではない」と言う考えでした。

正直求人を見た時は「子供たちを集めるためのツール」としてスキル獲得を売りにしているぐらいにしか思っていませんでしたが、すごく熱い思いを持っていました。

この方とお話していた時に福祉施設にいた時やカフェにいた時持っていた「?」が繋がりました。


「うちの子もあれぐらい書けるわ~w」

「あの子の作品を置いて、なんでうちの子のはおいてくれへんの!!」


これはカフェで言われたセリフです。


前者はカフェで障がいのある子ども達の書道展をした時の保護者さんの言葉です。

ダウン症の書道家がいます。

僕自身、書についての審美眼は一切ありません。

すごいのか?ただの殴り書きなのか?

差がわかりません。

ただ彼女は書道家として生活が出来ているので凄いと思います。


彼女の影響か?書道教室に通わせる親御さんが増えた気がします。

なにも悪いとは言っていません。


僕は「うちの子でも~」「あれぐらい」と言う単語に食って掛かっています。


彼女は書道家として依頼を受けています。

うちの子はツテのツテでうちの店で書道展(グループ展)をしています。


しかもうちの店はドッグカフェです。


障がいのあるなしではなく、彼女とうちの子にはそれだけの差があります。


正直僕にとっては管理しなければいけないものが増えるので書道展をすること自体どうでもよかったです。


自分の子供が彼女のようになれること、得意なことで経済的な自立が出来ること。

親御さんなら当然可能性を広げてあげたいと思っているでしょう。

可能性を広げるるため色々な教室に通わせるここともいい事です。


ただ、書道家の彼女の作品の良さがわからず「あれぐらい~」と言う感覚。

彼女が認められるまでの苦労を想像できない頭。


そしてグループ展を開くのであれば普通は店の都合に合わせて展示や準備に来るであろうこと、見に来てくれた人へ書の思いなどをアピールするため展示期間は誰か担当者がついておくべきでそれを店員に任せていること、色々な面での不備。


「うちの子でもあれぐらい~

と言う言葉にすべてが濃縮されているような気がします。


もう一つ


「あの子の作品は展示して!!」


これに関しては今の支援者・親の悪いところが出ています。


カフェでは色々な小物を委託販売していました。

基本的には何を売るか決めるのは僕の仕事でした。


カフェで、さおり織の小物や服を売っていました。


きっかけは母の知り合いの子どもが「展示会で賞を取った」と言う報告をしに来てくれた時に母が「じゃあカフェに置いてみる?」と言ったことですが持ってきた作品でどれをメインにおくかなどは僕が決めていました。


僕は彼女の織物が芸術的にいいかどうかはわかりませんが、かわいくて商品になると思ったので展示販売していました。

僕のために作ってくれたマフラーはいまだに使っています。

僕個人(カフェマスター)が好きだったから置いていました。


障がい者支援をしている方には有名だと思いますが、さおり織は結構やっている子や作業所が多いものです。


どこかで店でさおりを置いていると聞いたのでしょう。

突然店に売り込みに来た人がいます。

「さおりを置いているって聞いて~」

「うちの子もやってるの」

「置いて」

と。


さも置いてくれることが当然のように話し出す母親にムッとしながら「ここの店内に置くものは僕がいいと思ったものです」「彼女のさおりは僕がいいものだと感じたから置きました。」「一度作品を見せてください。」とお話させていただきました。


「うちの子は高島屋のイベントでも売って~」

など言いながらなかなか見せてくれません。

言葉をまとめると「置くって言わなければ車から出す手間や開いた作品を直す手間が嫌。。。」「てか普通置くやろ?」が見え隠れします。


結局ぼくはその子の作品を見ていません。

「見ない事には何とも。。。」

「え?あの子の作品はおいてうちの子はおかないの!!」

軽く切れられました。

とっても理不尽な思いをしました。

「差別するんか?」

とっても気分悪い一日でした。

「店には置きません!!」

僕の結論です。


書道家の彼女も

さおりの彼女も

障がいがある無しではないんです。

僕のように「好き」と言う人がいるから認められるんです。


健常域でどれだけの割合アートで認められる人がいますか?

障がいのある人の中でどれだけの割合アートで認められる人がいますか?


統計は知りません。

ただおんなじぐらいだと思います。


そしてアートの世界は障がいのあるなしではなく作品で勝負できる世界です。

「障がい者だから」

「健常者だから」

と言う色眼鏡を取り一緒くたに評価される数少ないバリアフリーな世界だと思います。


僕が好きだから、僕の管理している店に置く!!

健常かどうかはどうでもいい。

好きか嫌いか。

それだけが基準です。


自分の子供がかわいい事は僕も親なのでわかります。

でも作品も見せずに「置いてくれ」「うちの子も障がいがあるの」「少しでも収入源を増やしてあげたい」と押し付けないでください。

障がいがある前提で彼女・彼等の作品を売らないでください。

「障害があるのにすごいね~」

って言われて買われることに慣れないでください。

いいものはいい!

悪いものは悪い!

それだけです。


作品を見せてから僕を否定してください。


「この良さがわからんなんてw」

「芸術的センスないよねw」

って小ばかにしてください。


相変わらずわけわからない文章になりました。

長々と駄文にお付き合いいただきありがとうございました。



2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです