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この国は『生産性』から逃げ続けてきた

・「生産性と効率性の混同を止めませんか?」
・「その無自覚な混同は、社会を殺しませんか?」
・「この国の医療制度こそが、その混同を助長していませんか?」
という問題提起が、この文章の主旨です。

改めまして。乾雅人と申します。
前作『もし君が総理大臣なら、医者をどうする?』に、考えの大枠を記載しました。
本作は、その続編です。
ビジネスパーソン向けの内容と思いきや、一般の方向けに書きました。
医療と無関係でいられる人はいないのですから。

目次(ではなく、考えて頂きたいリストになりました、またしても)
・そもそも、生産性とは何?
・生産性が低いと、社会は、私は、どうなるの?
・どうして、生産性は上がらないの?
・生産性を上げる為に、自分に何が出来るの?

では、早速、本文です。


「あと数年のうちに、国民一人当たりの生産性が韓国に追い抜かれる。」
年末に衝撃的なニュースを読みました。
日本のGDPは世界3位とは言え、人口があってこそ。一人当たりの生産性は、先進国40か国中で24位と凋落の一途です。今後、人口が減少し、一人当たりの生産性も伸びないのであれば、日本国全体の生産性、国力も低下の一途。人口が減ることが前提ならば、一人当たりの生産性を上げるしか、活路はありません。それにも関わらず、何故、この国の『生産性』は伸びないのでしょうか。


日常生活で、どれだけの人が『生産性』を意識しているでしょうか。
意識しているよ、という方の大半が、実は『生産性』と『効率性』を混同しています。

両者の違いは何なのでしょうか。
それは、評価をする主体の違い、です。
・効率性=自分が決める
・生産性=相手が決める
『効率性』と『生産性』は、評価する主体が別です。

具体例を挙げます。
・痩せたらモテると思い頑張った。でも、全く関係なかった。
・漢字ドリル試験対策を頑張った。でも、学習範囲を間違えていた。
・皿洗いを時短で頑張った。でも、アワの付着があり、やり直した。
など。

これらは、確かに努力を伴っています。その中には効率性の追求もあったかと思います。でも、相手に価値を提供出来ていなければ、生産性はゼロです。寧ろ、マイナスにすら成り得ます。「ありがた迷惑」、「親切の押し売り」という表現を聞かれた方も多いのではないでしょうか。


『生産性』を上げる為には、どうしたらよいのでしょうか。

いたってシンプルです。
先に、聞けば良いのです。努力の方向性が合ってますか?と。
まず、『生産性』があるかどうか、相手に確認する。
次に、『効率性』があるかどうか、自分が追求する。
この順番です。

では何故、この国では、全く別物の二つが混同されてきたのでしょうか。


歴史的な背景があります。

人口ボーナスの時代。ジャパン・アズ・ナンバーワン。
需給バランスは、『需要>>>供給』でした。
メーカーは何も考えず、作れば、売れたのです。
この時代、『効率性』=『生産性』でした。
途上国から先進国になる過程では、この文脈が成り立ちます。

でも、人口ボーナスはいつまでも続く訳ではありません。
人口ピラミッドはやがて、人口オーナス(重荷)期に突入します。
すると『需要<供給』となり、いつしか『需要<<<供給』となります。
何を作っても、売れないのです。
『効率性』≠『生産性』の時代の到来です。
だから、市場調査が必要になる訳です。
顧客へのアンケート調査が必要になる訳です。

『生産性』の追求は、相手に応じて、自分が変化する必要があります。
『効率性』の追求は、相手に応じて、自分が変化する必要がありません。

気を抜くと、ついつい『効率性』ばかりを追求してしまいがちです。

『効率性』=『生産性』が成立した時代の成功体験を、『効率性』≠『生産性』の現代で妄信するのは、自殺行為です。

そろそろ、神話を終わらせませんか。
今日、このnoteを読んだ、私たちの手で。
『生産性』から、逃げるな。


『生産性』はこれまでも、語られてきました。
だれが、意識すべきなのでしょうか。
私の答えは、個人も、企業も、国家も、全員です。
より踏み込んで言えば、そういう『空気』になることが重要です。

『生産性のない努力を無くす。』

これだけで、どれだけ多くの人が救われるでしょうか。
教育現場や、PTA活動、家事など。
無意味な資料作成や、会議の為の会議など。
生産性がないのであれば、すっぱり止めるべきです。

「それ、生産性と効率性と混同していますよ?」

の一言が、日常的に飛び交うと、我々の余暇が生まれるのではないでしょうか。

個人の『生産性』を高める人が、良い指導者です。
企業の『生産性』を高める人が、良い経営者です。
国家の『生産性』を高める人が、良い政治家です。

もし君が総理大臣なら、『生産性』をどうやって高めますか?


この国の保険診療は素晴らしいものです。
しかし、同時に、『生産性』と『効率性』を混同させる強力なシステムでもあります。

父親と私は、同じ呼吸器外科医でした。
場所こそ違うものの、同じ時代、同じ診断名の病気、同じ治療法で、肺がんの手術を担当してました。当然ですが、医師歴30年の父親と、医師歴10年弱の私で、上手さは異なります。

それにも拘わらず、公的機関が定める『診療保険点数』=『売上』=『生産性』は一緒です。構造的に、1件あたりの『売上』=『生産性』を上げる努力は、全く評価されないのです。こうすると、案件を増やして『売上』=『生産性』を上げるしかありません。
こうして、『効率性』の追求が、結果的に『生産性』を上げることに繋がります。
医療従事者、患者の双方が、このことに自覚的ならば、トラブルは少ないと思います。

リッツカールトンでコーラを注文して、「値段が高い」と怒る人はいないでしょう。
価格に対する、正当な付加価値がありますから。
嫌なら、選ばなければ良いのです。

一方で、保険診療の医療はどうでしょうか。
価格が既に決まっているのです。そこに対する付加価値=生産性も同一です。
そして、「医療には十分にお金を掛けたいから、多少高くとも安心を買いたい」という方に、選択の余地がないのです。
逆に、「医療にはそんなに期待していない(宗教ふくめ、死生観は人それぞれ)から、安い方がいいや」という方にも、選択の余地がありません。

保険診療では、「値決め(プライシング)」が公的機関によって決定されるので、一般の方々との設計が異なるのです。
『効率性』と『生産性』の混同が、起きやすい業界なのです。


そんな医療業界には、プロ経営者が必要だと考えます。
医療の現場の大半の人は、善良で、一生懸命に働いている。
現場の負担をこれ以上増やすのではなく、経営の力で『生産性』を上げませんか。更に踏み込んで、

『医療業界の中から、プロ経営者を育成する必要がある。』

と考えます。何故でしょうか。


プロ経営者の明確な定義があるわけではないです。
でも、「ゴッドハンド(神の手)」などの様な、業界のコンセンサスというものがあります。
経営者の間で、「あの人なら、どの業界にいっても、経営者として通用するよね」という評判の人物、とでも思って頂ければ。
では、カルロス・ゴーンの様なプロ経営者は果たして医療業界に来るのでしょうか。
(※人物面の評価は除外しています。あくまでも能力面での話。)


恐らく、来ないと思います。
来たとしても、継続する動機が乏しい。

経営の最も神聖な「値決め(プライシング)」が奪われているのです。
付加価値を上げる=『生産性』を高める評価が、認められない『不自由な』世界ですから。
もっと『自由な』世界で、結果を出し続ける方が承認され続けます。

加えて、医療業界の人は、事業の理屈だけでは決して動きません。
他業界で結果を出してきた『プロ経営者』ならば、何故に医療業界の人は動かないのだ、と考えがちです。

医療が対象とする方は、患者であり顧客である、という『二重性』が理解できないのです。これは、美容医療であっても同様です。

目の前の方を『患者』として扱う時、父性の様な厳しさが必要です。
目の前の方を『顧客』として扱う時、母性の様なサービス精神が必要です。

どちらも、必要なのです。

更に。医療には、金銭面だけでは測り切れない『無形資産』があります。
この評価は、医療を皮膚感覚で捉えたことのない方に、測定可能なのでしょうか。

「数字に出来ないものは改善できない」

どんな形であれ、数字に落とし込むことは大切です。

でも、その数値化の精度、温度感は、医療そのものに対する深い洞察が必要不可欠です。

これが、私が『医療業界の中からプロ経営者が育つ必要がある』と考える理由です。

産官学が組織的に『医学部教育の中で、事業総論について取り扱うべきだ』と考える理由です。


如何でしょうか。異論、反論、大歓迎です。
読者の方々との対話から、より健全な医療観がクリアになってきます。
皆さまからのご意見次第で、内容を変更していきます。
続編を記載するモチベーション維持の為に、興味を示して頂いた方は『シェア』や『良いね』を頂戴出来ますと幸いです。『コメント』を頂けると、泣いて喜びます。

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