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絶滅してくれ単二電池

先日アマゾンで、安いミニアンプを購入した。ベースの個人練習用として、ちょっと音がなればいいかくらいの気持ちで購入。価格は1000円ほどだった。

そのミニアンプは、電池でも動く仕様になっていて、僕は電池で使うことを想定して購入していた。電源ケーブルでももちろん音はなるものの、ケーブルがごちゃごちゃするのも煩わしかったので、電池を入れて使いたいと思って、このミニアンプを買っていた。そしていよいよミニアンプが到着し、電池ボックスを開けた時、僕は叫び声をあげる事となった。


なんと、単二電池が三本必要だったのである。


でっけー電池代表の単一電池でもなく、やたらと大量に消費させる単三電池でもなく、まさかの単二電池が必要というのだ。単二電池なんて、あるわけがないではないか。こちとら一般家庭だ。実家がエディオンの奴以外、単二電池なんて持っているわけがないではないか。

そもそも単二電池ほど、何のために生まれて、何をして生きるのか、わからないまま終わっている、ものはないと思う。やなせたかしも、単二電池がアンパンマンマーチの歌詞通りの残念な存在とは気づいていないはずだ。

そもそも単一と単三で、何が違うかいまいちよくわからないが、でかいということは、なんかすげぇところがあるというのは想像ができる。容量がでかいとか、電力が強いとか、食べ物を残さないとか、でかいだけの何かしらのメリットがあるのだろう。さすがにそれもなしに、でかい電池を使う理由がないとは思う。

そうなるとデカければでかいほど、容量が大きかったりするのだろう。だから単一の電池が必要な場面があることはわからなくはない。ただ、今はどんどんものが小さくなっていっているので、単三・単四が主流になり、ボタン電池などのもっと小さい電池にシフトしていっているというのも理解ができる。だから常備はしていないが、もしこれがボタン電池が必要であれば、まだ納得のしようはあったかもしれない。

ただ今回必要なのは、単二電池なのである。あの、一番でっかいわけでもなく、ご家庭によくあるサイズというわけでもない、あの絶妙な大きさの単二電池をわざわざ使うということが、解せない点なのだ。だったら単一でよかったではないか。

さらに問題はこれが3個というところにある。そもそも電池を3個使用する機器というだけで、電池なんて偶数個がセットで売られているので、かなり面倒な中で、単二を3つ用意しろと言ってきているのだ。「単二」を「3本」だ。「逃走用の車」くらいたちが悪い要求だと、商品企画部は思わなかったのだろうか。


これも、単二電池という存在が令和の世の中でも存在していることが諸悪の根源である。

これから先、単二電池が自然な形でこの世からいなくなることを、僕は説に願っている。

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