うさぎの森には帰れない

嗚呼、白くてふわふわのうさぎ。
赤い目をしたうさぎ。
お耳をぴょこんと立てて、寂しいと死んでしまう。
嗚呼、かわいいうさぎ。
こんなにもうさぎのことを考えたのはいつ以来だろうか。初めてかも知れない。

話は遡り半年ほど前だろうか、僕は久しぶりに秋葉原で用事があり、秋葉原へと向かった。
用事は確か7時からだったと思う。だけども僕は3時間前に秋葉原へ着いた。

秋葉原。あまり好きではない街秋葉原である。
オノデン坊やが空を飛び、人口の半分がアイドル、もう半分がロボットの街。そして絵を売る謎の美女。そんな「好きなものがないならここに来るな」と言われているかのような高圧的な態度の街。それが秋葉原だ。

僕はそんな秋葉原と仲良くなろうと、用事の3時間前に着いたのだ。着いてまず目に入ったのが今まさに絵を買おうとしているいかにもな田舎青年。
君は何を言われてそのイルカの絵を買うんだ。本当にその絵が気に入ったのか?その絵をどこに飾るつもりだ?上京した四畳半のアパートにそのサイズのイルカはきっと似合わない。ラッセンラッセン。

だけどこれでいいんだ。これが秋葉原なのだと自分に言い聞かせ、絵やメイドのお誘いを断りながら街をずんずん進んでいった。
疲れた。人が多い。とりあえず人が少ない方へ行ってみよう。と、路地に入った。路地から路地へと、さっきのビカビカの街はどこへ行ったのかと思うくらい錆びついた道へ出た。
裏秋葉原と僕は呼ぶことにした。壊れたロボットたちがここへ捨てられ、使用済みのアイドルや高額な絵を買わされた青年たちが行くあてもなく彷徨う。ここは裏秋葉原だ。派手な街の裏にはこういう錆びた街もあるのだ。疲れた。なんだか汚いものを見た気がする。やはり僕には秋葉原はまだ早かったのだ。
そんな時あるお店を見つけた。

「うさぎの森」
森のうさぎではなく、うさぎの森だ。
うさぎの森は裏秋葉原の錆びた路地、古い建物の地下にあった。路地にひっそりと、A4サイズの看板が出ているだけだった。
「うさぎの森、、」僕は小さく呟いた後に、古いプリンターで印刷したであろう看板の文字を読んでみた。
「うさぎの森はうさぎさんたちがやっている喫茶店です。美味しいご飯や飲み物を飲みながらうさぎさんたちとの楽しい会話に癒されてください。」
癒されたい。僕はその時とても疲れていたのだ。秋葉原という街に。そこで出会ったのが「うさぎの森」である。
ヘンゼルとグレーテルが森の中でお菓子の家を見つけたときの気持ちだった。涙が出そうだった。
ああ、こんな街で見つけた、たった一つの楽園だ。
おすすめメニューには「ふわふわ空とぶハンバーグ」と書いてあった。

僕は心を決めて森に入ろうと階段を降りた。森の前まで来た僕はドアに手をかけようとしたその時、森から一匹のうさぎが出て来たのだ。
「あ、一名様ですか?」

赤い目をしていないメイド姿のうさぎは僕にこう聞いた。
僕はそのうさぎの妖精を見て「あ、えっと、あー、ちょっとすいません、一回電話してからまた来ます」と言い残し、小走りで階段を駆け上った。

僕は怖かったのだ。
秋葉原で唯一見つけた楽園「うさぎの森」
そこがただのうさぎの耳をつけた雑なメイドのコスプレ喫茶であることが。
彼女たちはうさぎの妖精だ。そう書いてあったじゃないか。わかってる。雑なコスプレ喫茶なんかじゃないことは。わかってるんだ。事務的な傘立てもカモフラージュなんだろ?
そう思い込み、僕は用事までの残りの時間をドトールで過ごした。

これが約半年前に僕がうさぎの森に出会った時の話だ。それからというもの事あるごとに「何故あの時うさぎの森へ行かなかったのだろう」と後悔していた。
うさぎの森へ入ればなにか変わったかもしれない。偽物なんかじゃないということがハッキリとし、ふわふわと空をとぶハンバーグを見て驚いたかもしれない。きっとうさぎに癒されたに違いない。何故あの時うさぎの森へ行かなかったのだろうか。

そして遂に今日、僕はついにうさぎの森をネットで調べてみた。
調べて僕は愕然とした。

「うさぎの森 閉店」

そう、僕が半年前に見つけたうさぎの森は「閉店」したのだ。森を「閉店」と呼ぶのかはわからないが、僕はとにかくショックを受けた。
いつか、いつか行こうと思っていたうさぎの森が閉店していたのだ。
呆然としながらうさぎの森の食べログを読んで見た。そもそもうさぎの森に食べログがあったのだ。

高評価が多い中、僕は気になる一文を見つけた。
「うさぎの森は心の綺麗な人にしか見えないらしいです」

そうだったのか。
僕にはたしかにうさぎの森を見た。それは心が綺麗だったからだ。
そして、ただのコスプレ喫茶ではないかと疑念を抱いてしまった。だから僕は森へ入れなかったのだ。僕の心はあの疑念の瞬間、汚れてしまったのだ。うさぎの森はもう何処にもない。あったとしてもそれは偽物のうさぎの森なのだ。
あの時のうさぎの森の住人は、今どこで何をしているのだろう。
寂しくて震えてはないだろうか。
今もひっそりと秋葉原で生きているのだろうか。
うさぎたちにとって秋葉原は住みにくい街だろう。
どうかどこか違う土地で新しいうさぎの森を作っていておくれ。そこでまたハンバーグをふわふわ飛ばしていておくれ。笑顔が絶えない森を作っていておくれ。

だけれど僕にはもう入ることができない。

うさぎの森はもう、二度と僕の前には現れてはくれないのだ。

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