イルカ師匠

これは僕とイルカ師匠のお話。

僕には去年の夏からあるブームが来ていた。
それはイルカブームである。

僕のイルカブームの発端は今思えば2年前。
品川にあるアクアパーク品川という水族館に行ったときからだ。
僕はそれまでイルカをほとんど無視していたと言っても過言ではない。
「イルカなんて居るか?」という「喪主に向かって言ってはいけないダジャレベスト100」に10年連続ノミネートされているであろうダジャレのために生まれてきた生き物とすら思っていた。しかし、そんな考えも打ち砕かれた。

品川にあるEPSONアクアパーク品川という水族館は都心にある。狭いながらも(新江ノ島水族館や八景島シーパラダイスに比べたら)照明や水槽の作りがとても良く、俗に言う「インスタ映え」する水族館なのだ。
そしてイルカショー。
ここのイルカショーはプールを囲むように円形の客席があり、そしてプールの天井には大きなフラフープのようなものが張り付いていて、そのフラフープから円形の雨を降らせることが可能なのだ。そしてその雨は自由自在に動き、螺旋状や、市松模様の雨が降り注ぐのだ。

僕は偏差値が0.02の近所からサガミオリジナル高校と呼ばれていたような高校を出ているので語彙力の少なさから想像しづらいと思うので、ホームページを見てほしい。
とにかくすごい演出効果を生み出しているのだ。さらにはその雨にプロジェクションマッピングをしながらイルカショーをしてしまうような、とにかくそんな「映え」る水族館なのだ。

僕はとにかくそのイルカショーの完成度。そしてイルカの可愛さに取り憑かれてしまい、年間パスポートを買ったのだ。
それからというもの。2週間に一度くらいのペースでルパン言うところのかわい子ちゃんたちに会いに行っては一人でニコニコするという生活を2ヶ月ほど続けていた。

そんなとき。
イルカ師匠と出会ったのだった。

その日もクラゲやカワウソやペンギンを華麗にスルーして僕はイルカショーの会場へと向かった。僕は決まって正面の一番後ろの席に座る。
特等席だ。

ピンクのリュックを持った制服の女子高生が僕の左前の席に座った。
リュックを隣の席に置いたので最初は友達か彼氏と来たのかと思った。もしくは意中の彼かもしれない。とにかく青春真っ只中。私今青春してます!行かないでアオハル!そんな風貌の女の子だった。
しかし、待てども待てどもその女子高生は1人なのだ。そしてついにリュックを椅子の下に置いたのだ。
これが何を意味するか。そう、彼女は1人でイルカショーを見に来たのだ。平日の夕方から、1人でイルカショーを見に来る女子高生。うん。不思議じゃない。しかもここは「映える」水族館。おそらく親の仇のように写真を撮るに違いない。と、思っていたのだが、彼女はイルカショーが始まるまで30分。まったくスマートフォンを見ないでウォーミングアップをしているイルカたちを凝視していたのだ。
まあ、まだショーは始まっていない。始まったらきっと村の生き残りの如く写真を撮るに違いない。と、思っていた矢先。彼女は驚くべき行動に出たのだ。
そう、彼女はイルカショーで最も濡れるDブロックの最前席に移動し、席に座ったのだ。
彼女はピンク色のリュックから45Lのゴミ袋を出した。そして穴を開け、お手製のポンチョを作り出したのだ。もちろん、スマートフォンを濡れないようにリュックに入れて。
彼女は写真を撮るつもりなんてさらさらないのだ。
開演まであと10分。
彼女はインスタイマドキ女子高生の皮を被ったイルカ凝視女子高生だったのだ。
同じびしょ濡れゾーンに座った子供に話しかけられている彼女がイルカの話を楽しそうにしている。僕は女子高生への固定概念がとても情けなくなった。

そして、ついにショーが始まった。
アクアパーク品川の平日のイルカショーは人がまばらだった。おそらく一割も埋まってないだろう。
あぁ、イルカよ。僕も舞台に立ったことがあるからわかる。お客さんが少ないと悲しくなるよな。しかしそんなブランクを感じさせないイルカたちの演技。彼らにはここが日本武道館での満員のライブだと思ってショーをしているのだ。
「ライブハウス水族館へようこそ!」客を煽る訓練されたイルカたち。その日も素晴らしいショーだった。
そしてついに水浴びせコーナーに入った。
人が少ない時は濡れたい人を一箇所に集めてそこを重点的に集中攻撃するのだ。
もちろん、指定された場所は彼女のいるDブロック。誰もDブロックに移動してこない。何故だろうと思って客席をよく見ると、そもそも、どのブロックの濡れたい人ゾーンに人がいないのだ。つまりこの回のショーで濡れるのはさっきの女子高生たった一人。

何十人がいる中で、たった一人の女子高生が今からイルカたちにびしょびしょにされる。
「たくさんの人の前でイルカにびしょびしょにされる女子高生シリーズ」が発売されてもおかしくない程のことだ。いや、ひょっとしたらもうあるかもしれない。膝を2時間舐め続けるAVもあるくらいだ。世の中は広いんだ。


ショーが終わった。
そこにはびしょ濡れの女子高生が一人。満足そうな笑顔で先程までショーをしていたイルカたちを見ている。
「イルカに乗った少年」なんて比べ物にならない。彼女は「イルカに濡らされた少女」だ。城みちるが見たらなんというだろうか。

敗北だった。彼女へのイルカへ対する思いは僕のそれなんか比ではなかった。彼女は濡れることでイルカと1つになっていたのだ。

そしてさらに追い討ちをかけるように、彼女は次のショーが始まるまでの1時間。濡れた体で水槽を見続けたのだ。

イルカ師匠だ。
この女子高生はイルカ師匠なんだ。

僕は彼女をもう女子高生としてみるのをやめていた。「イルカ師匠、弟子にしてください」
僕は心の門を心で叩いて心の弟子入りをした。

彼女はこの世で誰よりもイルカを愛している。
おそらく一番前に座ったのだってイルカたちに「私は見てるよ!」と伝えたかったのだ。濡れることも厭わずに。

師匠のようになりたい。
僕もイルカをそれほど愛したい。
イルカの力になりたい。

それから約一年が経った。
月に一回。多い時は月に5回ほどアクアパークに通っている。イルカ師匠をあれ以来見かけていない。僕は決まって正面の一番後ろの席。だけれどイルカショーを見る時はいつも心の師匠に問いかける。
「師匠。僕の愛はイルカたちに伝わっているでしょうか」師匠は答えてくれない。

2週間ほど前。
時間が空いたのでフラリとアクアパーク品川へ寄った。
その日はいつもに増してガラガラだった。
開演五分前。ふと気がつくと誰一人濡れるゾーンにいないのだ。
ポンチョを着ている子供はいるが、怖いのか、または誰も前に座っていないから恥ずかしいのか、濡れないゾーンに座っていた。

師匠、こんなとき、あなたがいてくれたら。
最前席に座ってイルカたちを安心させてあげられたのに。
開演3分前。
あぁ、師匠。僕は無力です。人の目を気にして濡れることができない情けない弟子です。どうか破門にしてください。そんなことを思っていたとき。

(パシャ)

イルカが水をかける音ではなかった。
それはiPhoneのシャッター音。
僕の前に座っていたカップルの女性が撮った写真の音だった。
師匠の存在で忘れていたがここはインスタ映えする水族館。水をかける音よりもシャッター音が響き渡る。パシャパシャ。パシャパシャ。
そしてカップルはインカメラにして二人の顔を撮った。そこにはもはやイルカなどいない。なんなら僕のTシャツが写ってる。
パシャパシャ、パシャパシャ、パシャパシャ、パシャパシャ、、、、、

ショーが始まった。

パシャパシャ、パシャパシャ、イルカパシャパシャ、インカメラパシャパシャ、、パシャパシャ、、、

その日。イルカたちは完璧な演技をしていた。最高のショーだった。もしかしたら今まで見たショーの中で一番だったかもしれない。
僕は最前列でびしょ濡れのTシャツをスタッフさんに借りたタオルで拭きながらそう思った。

拝啓、イルカ師匠。
あじさいの色が美しく映えるころとなりました。お元気ですか?身体など悪くされていませんか?あなたのもとへ弟子入りしてからもうすぐ一年が経とうとしています。
この前初めてイルカショーを一番前で見ましたよ。それはそれは素晴らしいものでした。イルカの声が、少し。聴こえたような気がします。
師匠から教わったことは数え切れません。今までありがとうございました。これからも師匠の魂を受け継いで、イルカ達との関係を築いていきたいと思います。それでは、師匠。また会う日までお元気で。
梅雨に入り鬱陶しい季節になりました。季節の変わり目ですので、お体ご自愛ください。ちなみに僕はイルカに濡らされた後、バイクで帰り軽めの風邪を引きました。敬具

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