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タイトルほどはポルノでもない古い映画

「ポルノグラフィックな関係」

50代はどのくらい若く、どのくらい老いているものなのか、どう振る舞うべきなのか、良いモデルが見つからない。40代は切れなく多忙で、私生活でも仕事でも飛んでくる球をガンガン打ちかえすだけで精一杯、何がなんだかわからないままだった。
たまに渋谷のとあるアパレル店で天井まで5面鏡のあるフィッティングルームに入って試着をすることにしている。チェックをすると、いつもは見えないような背中の下の鞍肉のような肉の塊が見える、愕然とする。
そんな肉、年齢とともに定着し、いまや完全に私の一部、とれやしない。もう背中のラインをつくることは不可能、鏡にどやされる。

女は正直何歳まで有効なんだろうか。老化現象におびえ、もう新しい服を買うのをやめようと思った。鏡に映るばあさんが自分だという事実から目を背けたい。老いと向き合うにはどうしたらいいのか、見当がつかない。
 
内面はまだ活力がある、生きている分だけ少しずつましな人間になりたいと思っている・・・たとえ独りよがりの錯覚でも。幸い私は独房で発狂しないタイプの人間なのだ。だから頭さえ無事なら、周囲に誰もいなくても、愛がなくても、まだまだ楽しい人生は続くだろう。

しかし見た目の若さは主観的な基準ではない、他人が思うこと。だから自分ひとりでやきもきしても、あなたが思うなら、私はばあさんなのだ。気に障らないように、放っておいてもらえるように、それらしく振る舞う方が賢い。だからどこかにお手本を探す。まだ若い30代の頃、ばあさんになったときの心得として役立つだろうとメモっていた映画がこれだ。
 
なんて不調法な邦題だろうと思ったけれど、他にどうしもようもない、原題の直訳だから。中年の男女が出会い系サイトで知り合い6か月、体だけの関係をもつというお話。6か月後に2人がそれぞれインタビューで秘密の関係について回想するドキュメンタリー風のスタイルで展開する。90年代の終わり、ベルギーの監督が撮った本作、熟年男女が延々全裸ですごすにもかかわらず、裸で話をするから、深い話になるのかも。初めて見た30代、50代になるのも悪くないかもしれないと思った。裸の付き合いはともかくとして。

男が言う「彼女は美しい良い体をしていた。きっと子どもを2人くらい産んだことがあるんだろうな。」へえ、言うね。場合によっては女が考えるよりも男性の審美の許容範囲が広いものなのだろうか。2人も生んだ体が美しい確率は低いように思うのだ。臨月には1メートルくらいに膨らんで、お腹の皮はタプタプになるし、クリームを塗っても急激に膨張する後半のお腹は少なからず皮膚が凸凹になる。産後に体形が戻ったにしても、一度膨れてしぼんだお腹の皮が完全に復旧することはないんじゃないだろうか。それを2回も繰り返すのだから無事なわけはない。中には完璧に戻る人もいるんだろうけど、多分。ベルギー人特有の感覚なのか。東洋の、特に日本の男は若鮎のような女ばかりが好きじゃないの?

もっとも演じる女優ナタリー・バイはとても美しい。でもハリウッド女優にあるような異常な若さを保っているわけではない。年齢相応のどっしりした体つきで、もろ中年女だ。そういう自然体でヌードがちなこんな映画によく出たものだとは思う。女優だもの、お金をかければ若い女のようなラインにもできただろうが、鍛えてしまっては意味がない。あえて中年の体で脱がなくてはならない映画だから。盛りをすぎた男女がこっそり逢引するという物語、未来がないもの悲しいムードのためには腹筋が6つに割れていてはいけない。クルーガーの男漁りに見えないようにゆるいあの体が必要だった。

現実にもそういう年齢の女は、女性でなくなる恐怖から、ホルモンのためにとりあえず男と関係をもとうと思うかもしれない、ホルモン剤よりナチュラルだし、思い詰めればやりかねない。モラルよりも、危険よりも、ホルモン、ありえないことではないと思う。割り切る人はいるだろう。
6か月、どうだろうなあ、6か月たつと習慣化するだろうなあ、離れがたいと思うのか、面倒だから切ろうと思うのか。変容する大人の関係がユラユラと描かれる。男女間の緊張はセックスの駆け引きに起因しがちだが、そこを無視していいんだから、あけすけに気持ちを言ってしまうかもなあ。密室で二人きり、服着てないだけで脳の働きもいつもとは違うのかも、まさに裸の付き合いというやつだ。他人だからこそオープンに話ができることもあり、危険だと思うこともあり…そういう相手ってハイブリッドに得難いかもしれない。肉体と精神、世間の三つ巴。二人は6か月で関係を解消する、何もヒントを残さない。冒険は終わった、切ない余韻を楽しみたいってことか。

年齢を重ねることについて、ネガティブな不安しかなかったが、過ぎてきた時間があり、地層のように小さな物語が積み上げられている。まだ生きていく予定だから、これから新しく出会う人とも、ひとつひとつ違う物語が生まれるといい。時間がもたらすものは、ラインが曖昧な背中だけではない。人は熟しただけミステリアスで複雑になれる生き物ということなのだ。

…さていよいよ終わりという瞬間、どれだけ面白みのある過去を持ってあの世にいくか、弔問客の数よりも大事なことかもしれない。