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砂の国の遠い声@シアターウェスト

こういう感じの演目を「ゴド待ち」と分類するらしい。客席ではあちこちで「やあ、来てたのか」とか小声の挨拶が飛び交っている、金曜のソワレ、HGっぽい空気。作家宮沢章夫氏を悼む追悼公演だったようだ。

申し訳ないくらい前情報がなく………ベテラン俳優が居並ぶメジャーっぽい箱に矢野昌幸氏が出演するので、愉快がって観に行っただけ。砂漠の監視員という仕事をする人たちのお話。千年一日の如く砂ばかりの土地を監視するという設定ですさまじく演劇的な人間たちが登場する。

コントのようにシーンがタイトルで切ってあるのが、すごく面白そうな感じがする。装置は人間がいる空間の天井の高さとか、堅牢さを感じさせる、砂の中にある固形物=拠り所というか。

砂というので、80年代にパルコ劇場で見た「死の教室」を連想して(舞台上の教室が本物の砂にうずもれていた、悲しい作品だった)恐ろしい宿命についての話かと思ったけれど、シチュエーションコメディだったようだ。

ツボが違った、笑えない。周りは爆笑しているのに。恐ろしいくらい笑えない、同調できなかった。会話劇で話がかみ合わないとか、自分の考えに固執してしまうとか、関係性で面白い状況を作っているけれど。

監視員は立場や給料は保証されているけれど、やりがいがあるような仕事は与えられず、存在していることが義務みたいな。正気なら本心退屈しすぎて、頭が変になってしまうかもしれなくて、変になってしまった人はもっとひどいかもしれない死の世界、砂漠にさまよい出ていく。声が聞こえたり、耳が別の生物かもしれなかったりする。人生ってほとんどそういう感じかもしれない。やるべきことをやって暮らすことは贅沢な身分なのかも。それはわかるっていえばわかるけど、気が付いてしまった気の毒な人や、言葉の行き違いは、困った状況ですよねと思うけど、笑うのは無理。感覚的に。精緻に構築された牢獄の退屈を共に味わう覚悟が足りなかったのかもな。

面白くなかったのではないけれど、笑えはしなかった。これって私のユーモアセンスの欠落なのだろうか。

ただ、相変わらず矢野氏の存在感、ベテランの個性派俳優のさなかにいてもとても異質で宇宙人ぽかった。爆発的だった。

耳から砂出して絵になる人ってレア。あの砂は全部ナノマシンで、砂漠は被支配地獄なのかも。  

瓶蓋ジャムとか、嫌いじゃないのだが、それなりに昭和は遠い砂漠の向こうに。