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椿組「丹下左膳」@花園神社 感想文 生きる力を強制充電される鬼テント

ここは劇場だ神社の境内だ、中だ外だ、虚構だリアルだ、観客の意識は双方向に引っ張られている。劇は、鉄筋の骨組みと布で区切られた空間で進行している、通りを行く消防車のサイレンも、夜間工事の騒音も入ってくる。10トントラックが突っ込んできたら、消し飛んでしまうだろう。舞台上の演者は脆い虚構性を支え、気がそがれる現実と対峙し、客の関心を引き続ける…偉いもんだ。こっちをみろ!というエネルギー。

椿組に感銘を受けるのは、人間が充電するには他の人間のエネルギーをあびるにつきる、という事実。芝居を見に行こう、この世の憂いを吹き飛ばそう!踊れや歌えの乱痴気騒ぎをしよう!生ライブなテント芝居の魅力だ。

客席に座れば端席であっても、30人を超えるキャストがテンションマックスで演じ、踊り、歌い、エスカレートするエネルギーの渦に巻き込まれる。お決まりの悲運を背負った時代劇の登場人物たちが、私の代わりに笑ったり泣いたり叫んだり、怒り狂ったり、刀を振り回したり、血だらけになって悶絶したり、暴言を吐いたりしてくれる。観客の心はドラマティック一色!終演したら充電満タン、それに尽きる。

社会的テーマはどうか、筋書はどうか、後で資料を読んだりググったりして確認してもいいけれど、その場では頭はオフでいい、そういうことじゃないんだな、オペラと同じなんだ、ライブのバイブスにのるのか、のれないのか。

しかし、最近こんなに人間の太ももをみたことはなかったなと、かつての夏は太もも三昧だったのかもな、とは思った。着流しに褌だと、太もも出してて、猛暑も案外しのぎやすいかも、19世紀の日本列島は気温38度なんてことはなかったろう、今朝も4時ですでに30度を超えていて、厳しいことだ。

新田裏生まれ、花園神社は目と鼻の先だった。

交番がある通りから小学校との境目にあるコンクリートの急な階段を上ると神社の裏手に出る。お祭りも興行もない時の花園神社は森があるだけの静かな場所で、遊び場というにはそっけないが、近所に公園もないので、散歩に出かけたものだった。今は小学校もないし、ビルに囲まれて昼なお暗い境内、しかし森の様子は20世紀とあまり変わらない。鎮守の森でなかったら、とっくになくなっていただろう界隈唯一の緑だ。私がいた前世紀の花園神社界隈は、住所も歌舞伎町ではなかったし、飲み屋街はあるものの歓楽街ではなかった。当時から神社ではお化け屋敷などのお祭り興行のほかに、テントが張られて何かやっていることがある。それがあると、森の一部が切り取られてあそび場が狭くなってしまって、子どもは困る。またなんかやっている、石けりができない。忘れもしない、遊べないことがわかってがっかりした午後、テントの布の間から恐ろしい形相をした「鬼」が顔を見せた。ぎょっとして固まった私に向かって目玉をむいて「ぐおおっ」とうなった。あのテントの中には鬼がいっぱいいる…神社なのに、神社だから?

花園神社のテントには鬼がいる、まあ強ち間違ってもいないんだなあ、昨夜もそう思った。