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『赦しへの四つの道』(アーシュラ・K・ル・グィン=著)

友を得るには300年必要

新刊『赦しへの四つの道』(アーシュラ・K・ル・グィン=著)にA Man of the People(同胞)という短編がある。主人公はマチンイェヘダルヘッドデュラガマラスケッツ・ハヴジヴァという少年。僻地の星から選ばれて高等教育を受け、長じて宇宙を仕切る組織エクーメンの使節になり亜光速で星間移動をして仕事をしている。移動に80光年かかってしまうので、旅行中に親兄弟も自分の子どもさえ死に絶えてしまうという。

この「ビジネストリップ」と「血縁の死」はあっさり数行で語られるが、それについてハヴジヴァがどう思ったかは書いていない。選ばれた一握りになることの責任と名誉は肉親への親愛よりもはるかに重いのだろうか。家族を捨てて次のステージに上る意志が想像できない。戦時ではない今の日本で生きる自分の家族への執着に気付く、永遠に家族と離れて、私は平静を保てるだろうか。ル・グィンの宇宙の孤独は半端じゃない。さらに別の経緯で彼の恋人が「テラ」に就職したら二度と会えない、彼もテラに派遣されるしか再会の方法がない、というくだりもあった。人との別離の度合いが凄まじい。

一方で奴隷制が残っていたり戦争が常態だったりする未開地では生まれた星で生きる他に選択肢がない集団もある。それらの星を改革しようとするエクーメンの組織の星間移動を続けて都合数百年生きる階級との社会格差は天文学的で、宇宙人クラスの知識や経験と、それ以外の集団の隔絶は想像を絶する。前提が違いすぎて、言葉が通じてもほとんど分かり合えないだろう。真理や正義のサイズ感は、経験や知識を踏まえた前提の違いによるから、コンテクストの違いをすり合わせるのは乱暴でさえあるし、面倒臭い。

派遣先の星で表面上は使節として優遇されながらも、命を狙われるようなこともあり、ずっとアウェイな環境で生きていくのだが、バランス感覚が優れ、派遣先のヒエラルキーを尊重しながらも、影響されずにうまくやっていく。その点がエクーメンからも評価され、既存の支配階級よりも、新しい世界に順応性が高い奴隷や被差別民からこそ同胞を発見し、コーチし、共に大事を為すに至るのだ。故郷を捨て、新しいステージで同胞を得るのに都合300年、真の友足りえたのは選ばれしエクーメンのメンバーでもないし、ローカルの支配者層でもなかった。

早熟な子どもだった作者は成長しても「ハンドバックを振り回して怒る」フェミニストだったから、デフォルトで孤独だったかもしれない。特に男性の同胞を得るというのは難しかったのかもしれない。だからル・グィンはフィクションで性を超えた友情を実現したかったのかもしれない。どうだろう。彼にはモデルがいただろうか。彼女自身がハヴジヴァなのか。

分かり合うってなんだろうか、私はいまだにわからない。分かり合っている人たちは、実はほぼ「ふり」をしているのではないかと疑っている。リーダーに追従する人は、実は自分の動機や目的は適当で、声が大きい人になんとなくついて行っているのでは。分かり合ってからなんて、無理では、と。

それでも私は何度かハヴジヴァのような人と遭遇している。バランス感覚にすぐれ、周囲をコーチして大義を為すような。でも私自身の軽薄な失敗が原因で縁が繋れずにいた。もしあと300年成長する時間があれば、誰かの同胞になれるだろうか。今度の船はどうだろう?6年前にテラを去りどこかの星に旅立ったル・グィン先生が残した言葉に助けを探しながら、できることを全部やって、あとは運命の好転を願うしかない。