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追悼ナイスネイチャ

 重賞レースにいつも名を連ね、いつも好走するけれど勝ち切れず、有馬記念で3年連続3着という記録を打ち立てたナイスネイチャが亡くなりました。

 35歳という年齢は、人間にすると100歳以上ということですので、悲しむことはないでしょう。笑顔で「お疲れさま」と送ってあげたいです。ただ、ちょっと寂しいだけで。

 ナイスネイチャの同期は、無敗の二冠馬・トウカイテイオーです。翌年にはサイボーグ・ミホノブルボンと黒い刺客・ライスシャワーが淀で火花を散らし、その次の年にはBNW(ビワハヤヒデ・ウイニングチケット・ナリタタイシン)が三冠を分け合いました。

 アイドルホース・オグリキャップが火をつけた競馬ブームが、三冠馬・ナリタブライアンの登場に至るまで、競馬人気が過熱を続ける時代の中心近くに、ナイスネイチャはいました。

 競走馬としては遅咲きで、日本ダービーには間に合わず、初めてのG1挑戦は菊花賞でした。それから有馬記念で3回目の3着に入線するまで、G1とG2を合わせて14戦走り、勝利はG2を1度だけ。だがそれ以外で10回馬券に絡むという、惜敗続きの馬でした。

 トータルで重賞を4勝もしているのだから、G1級と評していい実力はあったはずですが、そういうことを言っていた人は多くなかったように思います。しかし、ナイスネイチャは、そこらのG1馬よりもよっぽど人気がありました。

 毎回のように大レースに顔を出し、一生懸命がんばって走るけれども、どうしてもほんのわずかのところで勝つことができない。そんなナイスネイチャの姿は、天賦の才で悠々と勝利する馬よりも、はるかにファンの共感を得ていたからです。

 時代を彩るスターホースに囲まれながら、それ以上の声援を集めたナイスネイチャは、身近で庶民的で親近感が沸く、まるでファンの代わりに戦っているかのような、そういう馬でした。

 勝ち切れないナイスネイチャの戦績に、思うようにいかない人生を重ね、「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせるように応援していた人もいたはずです。

 残念ながら現実は厳しく、ナイスネイチャは最後までG1を勝つことができませんでした。種牡馬にはなったものの、現役時代の地味な成績では花嫁を集められず、直後にサンデーサイレンスが日本競馬の勢力図をあっという間に塗り替えてしまったこともあり、後継を出すこともなく、これも引退しました。

 それからナイスネイチャは、生まれ故郷の牧場で、現役時代と種牡馬時代をあわせた時間よりも、ずっと長い年数を穏やかに暮らすことになります。その生活は、間違いなく幸せだったと思います。

 ナイスネイチャが再び脚光を浴びるのは、認定NPO法人引退馬教会が、彼の29歳の誕生日から開始したバースデードネーションでしょう。はじめの年は20万円ほどの寄付額だったものが、途中、ウマ娘による認知度の大幅アップもあり、35歳となった今年は7400万円以上もの寄付金を集め、ナイスネイチャは引退馬のシンボルとなりました。

 いま、ナイスネイチャは亡くなりました。現役時代G1は勝てず、後継種牡馬にも恵まれませんでした。しかし、彼が勝ち取り、生んだものは、競走馬が現役を終え、寿命を迎えるまでの長い長い年月のあいだ、その行く末を気にかけ行動するという、新しい時代の競馬ファンです。

 つまり、僕ら競馬ファンこそがナイスネイチャの子供なんです。だから、なにも悲しんでいません。馬の幸せについて少し考えるだけで、ナイスネイチャはすぐ傍にいるのですから。

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