上記はSFC30周年の時に三田評論に挙げられた連載記事のひとつである。脇田元環境情報学部長の鋭い指摘が記載されている。
「SFCはキャンパス革命だった、それは正しい、なぜなら過去形だからだ。すでにデジタルは普及し、多くの大学で当たり前になっている。次に何を仕掛けるか考えなくてはならない。」とSFC創設者のひとり井関先生は2000年のインタビューで答えた。
2010年に刊行されたSFCの意義を問うた『未来を創る大学』で熊坂先生はSFC3.0の必要性を述べた。
そして改めて、初代学部長・カトカンの言葉を振り返ってほしい。「SFCよ、はばたいてくれ。」と。
少なくともSFCは改革のためのキャンパスだったはずなのだ。
そして改めて脇田先生の論考に戻ろう。1990年の設立当初の思いは、2000年のインタビューで成熟しており、2010年には悪く言えば低迷、2020年は混迷したと言えるのではないだろうか。それでもSFCが生き続いているのは初代の影だけがひたすら権威性を増しているからこそだろう。
だから面白い人はSFCという場所で暇つぶしをし、SFCの外でやりたいことをやる。そこにこれからのSFCを象徴するカルチャーの光はない。すでにそれは形式としてのSFCであり、道具としてのSFCなのだ。
Covid-19中に1期生とこのことをクラブハウスで話していた。そこでの総意はスクラップ&ビルドだった。今のSFCはあまりにも全てが整い過ぎている。いや、時代がそうなんだろう、あらゆる都市は動かなくても完結する。だからそこに創造性の種はない。建築物が、虚構が、人工物が、ますます権威を帯びてきているのなら、破壊するしかないのだろう。
見誤ってはいけない、我々はSFCのためでもなく、慶應のためでもなく、世界を変えるために行動しているのだと。
だから私はこれ以上、水増し作業をする必要はないと思うのだ。すでに動かなくなった車でいくら排気ガスを出してありし日を語っても害でしかない。ここは潔く、記録に残して閉じようではないか。役割は果たしたのだと。
SFCが破滅する時、SFCに魅了されてきた人たちはついにSFCから解放され、世界へと羽ばたくのだ。それはSFCではないかもしれないが、少なくともSFC以上のものなのだ。
<参考文献>
<関連文献>
・「フツーになった慶応SFC “異分子集団"は今や昔」東洋経済、https://toyokeizai.net/articles/-/558441
・「慶應大学湘南藤沢キャンパス(SFC)とは何だったのか」日経ビジネス、https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/070200076/
・「慶応SFCは二子玉川に移るべきか?」、https://agora-web.jp/archives/1657487.html
・「「慶應ブランド」が早稲田に劣勢の理由、SFC改革精神の喪失と不祥事連発」、https://diamond.jp/articles/-/259292
・「SFCの転落が課題の慶應」、https://gendai.media/articles/-/67879?page=6
・「慶應大を襲う「SFC包囲網」青学・立教・横浜国立の新学部が脅威になる理由【文理融合系54学科10年間の偏差値】」、https://diamond.jp/articles/-/332467
・「慶應SFC30年、立命館APU20年――日本の大学をどう変えたか」、https://www.asahi.com/edua/tag/%E6%85%B6%E6%87%89SFC30%E5%B9%B4%E3%80%81%E7%AB%8B%E5%91%BD%E9%A4%A8APU20%E5%B9%B4%E2%80%95%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E5%A4%89%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%8B/2
・【セッション】SFCこそが慶應のあるべき姿である 「未来創造塾の挑戦 / SBC出張カンガク会議」、https://sfcclip.net/2015/11/22107/