発明家 Ricky

こちら「ソウゾウ」のアカウントでございます。 普段は好奇心と探究心に身を任せ、想像と創…

発明家 Ricky

こちら「ソウゾウ」のアカウントでございます。 普段は好奇心と探究心に身を任せ、想像と創造の循環の中、21世紀のダ・ヴィンチを目指しております。 発明家であり科学者、その本質は冒険家。その思考の過程、「ソウゾウ(想像と創造)」の産物を共有していきます。

マガジン

  • STARTUPS

    • 225本

    DMM.make AKIBAで活動するスタートアップの皆さんの活動をご紹介しています。

  • 発明論

    発明とは何か。発明の意義を考察する。

  • 風土をゆく - 文明論的紀行 -

    日本を代表する小説家・司馬遼太郎の『街道をゆく』にならい、私がフィールドワークを行なった地域の文明論的考察を行う。と言いつつも、そこまでたいそうなものを書くほどの腕前はないので、単なる紀行になるかもしれない。

  • ゆらぎと混沌

    • 0本

    言語化・記号化などのあらゆる限界を超えでた新時代の思考を啓蒙。

  • 【東西の対話】慶應SFC井筒俊彦研究会

    <東西の対話:エラノス会議と井筒俊彦> 「Genio Loci Ignoto: Toshihiko Izutsu ex Eranos」はCreative Week 2022にて展示した作品から始まったプロジェクトです。慶應SFCの井筒俊彦研究会での研究活動などを報告していきます。

最近の記事

  • 固定された記事

【慶応SFC流】『休学のすヽめ』 学生よ、休学せよ。 #0

「休学のすヽめ」を編纂しようと思った理由は2つある。一つは自分も休学しようとしていること、もう一つは休学に関心がある人たちの声だ。 自分も休学をしてみたいと思ったが、それらのハウツー的な記事はあるものの体験記のようなものは見つけられなかった。そこで今回、自分が休学を検討する上での相談と休学経験者の体験のインタビューを兼ねて記事としてまとめることにした。 それがこの「休学のすヽめ」である。 モラトリアムの時期にある学生にとって休学は自分を見出す絶好の機会と言える。海外では

    • 【雑記】セイレーン型AIのメモ

      美しい美貌によって海中に引き摺り下ろし航海士を喰らうセイレーン。あるいは提灯で惹きつけるチョウチンアンコウ。動物や植物の擬態。ある対象の共感を呼び起こして、自身の生命の永続化を図るその仕組みをなんて呼ぶのかと思った。 うるおぼえだが、確かユーザーインタフェースの部類でもアニメキャラのアイコンによって悲しんでいる様子を映せば解約率が下がるというものがあったはず(この現象の名前がわからない)。またこのようにして、AIも人が共感することさえ喋ってれば良いとするものがあったはず。人

      • 【雑記】普遍的人間としての發明家とその可能性

        2024年のはじめに書いたこの文章を補足する。 ここで私はブルクハルトのルネサンス的人物像である万能人(あるいは普遍的人間)を發明家モデルの元型として位置付けた。それは専門分化に対抗する、パラダイムの創出者としての発明家像である。その代表例として、レオナルド・ダ・ヴィンチについて科学史家・下村寅太郎を例に取り上げた。 ここにさらに付け加えなくてはならない。發明家モデルの拡張性を下村寅太郎への井筒俊彦の推薦文を引用して展開していこう。 万能人はこうして完璧な人、全人へと拡

        • 【雑記】内側に入り込む、あるいは成り切る

          没頭するということ、三昧であるということ。それらはチクセントミハイによってフローなどと呼ばれたりする。あるいはゾーン。しかしそのような心理学的な枠組みとは別に、仏教、特に禅においてはシンプルに「なりきれ」とよく言うものである。あらゆる煩悩の透き通った世界がそこに現象する。 禅における無字の公案では無に成り切れと言われる。成り切るとはどういうことか。孫引きになるが、山田無門老師の言動を引用する。 以下は、参考記事。 人は何にでも「なりきる」ことができる。それこそが意識の原

        • 固定された記事

        【慶応SFC流】『休学のすヽめ』 学生よ、休学せよ。 #0

        マガジン

        • STARTUPS
          225本
        • 発明論
          9本
        • 風土をゆく - 文明論的紀行 -
          1本
        • ゆらぎと混沌
          0本
        • 【東西の対話】慶應SFC井筒俊彦研究会
          1本
        • 【SFC研究会】SFC革命物語
          5本

        記事

          【雑記】断絶された無意味が意味を生み出す

          無意味性についてはこちらを参照。 上記にて無意味から意味が生まれることを述べたがそのことについて追記する。 この無意味は否定における意味ではない。だから物語Aを否定して物語 not Aをつくりだすわけではないのだ。本源的な無意味性。それは物語とnot 物語が分けられるさらに前の世界である。 無意味性の次元においてはあらゆるものがありつつないのだ。全ては透き通る透明なガラスのように、ありつつもないのである。これはイマージュとして提示したものであるが、そのことすらも意識しな

          【雑記】断絶された無意味が意味を生み出す

          【雑記】無意味性を擁護する

          あらゆる物事に「意味」を求められる時代。人々はそれらの意味が<見出す限りでの意味>あるいは<与えられた意味>でしかないのを知っていながら、意味を求める。 実存主義から何年経っただろうか。人間はついに意味から解放され、自由を手にしたにも関わらず、自ら意味によって自身を規定しようとする。それは意味の後ろに広がる社会という広大な物語に自分を位置付けようとするためだ。すなわちそれは社会にとって意味があることを求めているのである。 無意味であることは多くの人にとって恐ろしいことであ

          【雑記】無意味性を擁護する

          慶應SFC破滅論・序説

          上記はSFC30周年の時に三田評論に挙げられた連載記事のひとつである。脇田元環境情報学部長の鋭い指摘が記載されている。 「SFCはキャンパス革命だった、それは正しい、なぜなら過去形だからだ。すでにデジタルは普及し、多くの大学で当たり前になっている。次に何を仕掛けるか考えなくてはならない。」とSFC創設者のひとり井関先生は2000年のインタビューで答えた。 2010年に刊行されたSFCの意義を問うた『未来を創る大学』で熊坂先生はSFC3.0の必要性を述べた。 そして改めて

          慶應SFC破滅論・序説

          学校で我慢することは社会に出るための修練ではなく、教室は監獄であり、眼差しは凶器である

          まるで不思議の国のアリスのように私は戸惑った。他者は社会秩序に従順である。なぜ疑問を持たないのだろう。手で掴めば砂のように崩れ去っていく。現実世界がホログラムのよう。アリスこと私はここは自分の本来いた場所とは異なるのではないかと感じるわけだ。 大学という社会認定機関だけにとどまらず、義務教育も高校も社会規範の養成装置に他ならない。なぜ我々がこぞってそこに通うのかといえば、これは一種の通過儀礼だからである。 恐怖というのは空気のようなもので、それ自体は見えないのだが、そこに

          学校で我慢することは社会に出るための修練ではなく、教室は監獄であり、眼差しは凶器である

          飛行機を運転したいのに車の教習所にいる

          飛行機を操縦したいのに車の教習所にいるような感覚がずっとある。 理想を手にするためには理想の環境にいなくてはならないはず。車の教習所にいてもいつか飛行機が運転できるようになるとは限らない。これは祈りに近くて、ある日突然車がなくなり飛行機しかない世界になったとか、教習所の教官の伝で飛行機を運転できるようになったとか、そういうものの祈りに近い。 しかしその実は牢獄みたいなものでそこから脱出しなくてはそれを実現する新しい素材はやってこない。スプーンがないと牢獄を脱出できないのと同じ

          飛行機を運転したいのに車の教習所にいる

          【雑記】技術を考えるー人が技術を作るのか、技術が人に強いるのか

          技術というと、人間が作った人間から離れたものを想定するはずだ。パソコンでもスマホでも半導体でも良いのだが、テクノロジーと呼ばれるそれらは、人間から離れているようで、実際には人間との接続でしかその価値を顕現させない。 技術とは事物と身体の接続を表すのだろう。 例えばサッカーボールの本領というのは高い技術を持ったプレイヤーにしか再現できない。この時、サッカーボールを使ったあることの実現はサッカーボールが意図していたことなのか、プレイヤーが創ったことなのか。 これはUI/UX

          【雑記】技術を考えるー人が技術を作るのか、技術が人に強いるのか

          【雑記】身動きが取れなくなって...

          無に至ろうとして身動きが取れなくなる。全てに意味がないのならどうしようもないではないか。ニヒリズム。仏教の空想。無門関をみればわかるが、有無の無ではないのだ。だとしても難しい。禅の境地は二重の見。空と本質を同時に見るのだ。平等即差別。 野狐禅ならぬよう。 そんな時は中間計画。極ではなく中庸を決定してしまおう。

          【雑記】身動きが取れなくなって...

          【雑記】中間計画の目印

          遠く未来のビジョンに向かって、今自分がやっていることに集中する。だがこれだけでは不十分である。なぜならどちらも流動性を持つからだ。 登る山を決める。ひたすら登る。事態は単純に見えて単純じゃない。その間にはカオス的事態がある。だから欲に塗れてまだ良いかなと思ってしまう。 中間計画を固定せよ。よは目印だ。とりあえずあそこの岩までは頑張って登ろうという努力だ。この目印がなければ、山から大きく外れる可能性がある。もしくは途中でこの山じゃなくてあっちの山が良いかもしれないという変え

          【雑記】中間計画の目印

          【雑記】自覚せよ

          今あなたはスマホを触っている。無意識に。これを自覚せよ。あー、触ってしまっているなと。ここでリブート。行為の原初に立ち返れ。 次にぼーとするだろう。なんかなー。いやいや、何ぼーっとしているのだ。それを自覚せよ。そこでリブート。 そうするとあらゆる無意識の基盤がなくなり緊張状態に陥る。安心できない、どうしよう。すかさず自覚的に行為せよ。今やるべきことは何か。やりたいことは何か。 緊張感を保ち続ける。一所懸命に生きる。惰性以上の自由の境地へ。欲を自覚し飼い慣らせ。 臨済、

          【雑記】自覚せよ

          【雑記】思考状態の方程式

          ここで特に数式を書くわけでもないけれど、そのような方程式がある気がしてメモ書きをする。 思考というのは思考状態に従属するのではという考えだ。今あなたが考えていることは気分に即した考えであるはずだ。同様に寝起きの時の思考と勉強が進んでいる時の思考には思考の幅とでも言うべきような対象に向いた思考の持続性が、思考状態というものに支配されていると考える。 「泣くから悲しい」というジェームズ・ランゲ説同様に、我々の気分などは環境に対する生体反応に依存する。家では集中できないけど、図

          【雑記】思考状態の方程式

          【雑記】アンチ日常

          自律した生活の実践。一所懸命に生きるために、自己を常に反省しなくてはならない。その前提には今の生活というものがあまりに自堕落で求めるものから大きく外れている、日常は非常に危険であるという緊張感を持つ必要がある。 緊張感とは生と死の脈動。飽きてはいけないし、忙し過ぎてもいけない。だから緊張する。サバイブする。サーフする。 釈宗演に今北洪川が送った言葉でも引用しよう。

          【雑記】アンチ日常

          【雑記】孤独はどこからくるのか

          孤独を感じる時、孤独はどこからくるのか。その感覚自体は内発的な緊張感に他ならない。だが身体が何か変わったわけではない。その起点は自分がそう感じてしまうこととメッセージを受け取る場合がある。 例えば何かしらの交流会やパーティーがあったとして、多くの人がペアやグループを作って話しているのに自分だけ蚊帳の外にいる感覚になる。緊張感が走る。なんとか輪に入ろうと声を掛けようと試みる。受け入れてくれるかという不安と向き合う。自然に人が集まる人間もいれば、全く無関心の人間もいる。これらの

          【雑記】孤独はどこからくるのか