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大学同窓ソーシャルバーでの出会い

 四半世紀にわたる海外暮らし、特にアメリカには20年以上暮らし、二年前に日本に戻って来たが、ここへ来て、とても息苦しさを感じるようになった。日本で働く外国人と深い話がしたい。あちこちにアンテナを張りたくても、どこに行けばいいのかわからず、うろうろ・・・

 どこへ行けば、対等な立場で自由に会話ができるのか。心が軽くなれるのか。序列やジェンダー、年齢、相手との比較で自分の出し方を変えて会話を進める日本社会に疲れてしまった。

 そんな時、大学の同窓会が主催するソーシャルバーに参加した。そこで出会った元留学生の在留外国人仲間は、誰一人として、ストレートに日本で生きる道を選んだわけではなかった。高校や大学時代に交換留学で日本にやって来たことをきっかけに、その後、母国と日本とを物理的・精神的に行き来しながら醸成。そして、覚悟を決めて日本の大学院に来ている。その途中で、ないしはその後にコロナ禍になり、諸々の事情で母国へ帰る機会を逸し、そのまま日本に残留。その間、日本とのネットワークを築き、日本人個人や企業から信頼関係を勝ち取った結果が永住権取得か。

 中学時代に父親の仕事(大学客員教員)の関係で、日本の公立中学校に通ったことが、日本とのつながりを持つきっかけだったというモンゴル出身のAさん。母国で大学を出て、通信社に勤務し、その後来日。大学院で学んでいる。私は勝手に想像を膨らませた。そして、起業家として日本で稼ぐようになるまでの苦労を察した。けれど、予想外の返しが。

 日本とアメリカだと、文化も言語も異なるから大変だろう。でも、僕の場合、日本語と同じアルタイ語族のモンゴル語でしょ。言葉を覚えるのはそんなに大変ではなかった。顔つきも同じだから目立たないし。それに、府中の中学校での経験が大きかった。

なるほどねー。そういう返しが来て、改めてアメリカ時代を振り返る私。

 でも、あなたの家族はどうなのよ。奥さんや子供は、日本でどういう暮らしをしているの?奥さんは孤立していない?子どもの日本語ボキャブラリーは?夏休みをどう過ごしているの?

 自分がアメリカで経験したいろんなことを思い出し、彼らと重ね合わせてみる。そして重ならない部分を知って、さらに自分を掘り下げる。それを繰り返すのか。そうすることで、日本が見えて来て、アメリカをより深く知って、そして世界が見えてくる。その先に、自分が明らかにしたい「アイデンティティ」の問題が言語化できるようになるのかもしれない。

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