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美術館に行くと、今までと違うものが見えるようになるか?その12

「円山応挙から近代京都画壇へ」展 東京藝術大学大学美術館 2019年9月18日(水)

江戸時代中期の絵師、円山応挙と、応挙に影響を受けた京都の絵師たちの美術展。

今日の一枚は、円山応挙「松に孔雀図」。兵庫県の日本海側の香住町にある大乗寺の孔雀の間の障壁画(襖絵)です。この美術展の目玉です。

金地に墨で描かれた松と孔雀。金地ですから豪華絢爛なのですが、とても落ち着いた静かな佇まいです。

眺めていると、松葉がうっすらと緑色であることに気づきます。ところが、近寄って見直してみると真っ黒です。ぼやっと薄墨が引かれているので、なんとなく緑色のように見えるのかもしれません。

この事は、音声ガイドでも触れられていました。音声ガイドでは、大乗寺の副住職が障壁画の見所を説明しているのですが、松葉は緑色に見え、孔雀の羽は青く見えると言っていました。

円山応挙が、光沢など特徴が異なる墨を使い分けて、そう見えるように仕組んいるのだそうです(緑や青の墨を使っているのではない)。白黒のモノトーンしか使っていないにも関わらず、鑑賞者の目が (脳が) 緑や青を補って、緑や青に見えているのだと。

そう言われて孔雀を見ると、まあ、そんな気もしてきます。羽の模様の丸い部分が青く見えるとか、特定の部分が、というのではありません。目の焦点があっているポイントとはちょっとずれた部分に、何か色がついているような気がします。改めて近寄ってみると、やっぱり真っ黒い墨で描かれているのですが。

また、孔雀は阿弥陀如来を暗示しているという話も知りませんでした。

大乗寺客殿の仏間には十一面観音が安置されていますが、十一面観音の頭には阿弥陀如来があるそうで、阿弥陀如来の乗り物が孔雀なのだそう。そういえば、東京国立博物館で開催された「仁和寺と御室派のみほとけ」展で、孔雀に乗る仏様を見たような気がします (あれは阿弥陀如来ではなく孔雀明王だったかも)。

そんなことを知っていると、孔雀の障壁画を、安置されている仏様と一体のものとして理解できると思いました。

それだけにとどまらず、大乗寺の客殿は、仏間を中心として障壁画で表現された立体曼荼羅であり、四隅には四天王を暗示する襖絵が描かれているのだそうです。

教養がないと読み解けないと思いますが、教養とは果てしないものだと、改めて感じました。

木島櫻谷の屏風も心に残りました。この絵の解説を音声ガイドで聞いて、「情感あふれる」という言葉を覚えました。(言葉自体は知っていましたが、使える語彙ではありませんでした)

最近感じるのですが、自分の感動を表現する言葉が、スゴイとか、美しいとか、そんな言葉だけだったのですが、アートを見ることによって語彙が増えてくるような気がします。

言葉とは、情報伝達手段ではなく、その人の理解そのものであるという話があります。美意識にかかる語彙が増えるのは、自身の美意識が深まっていることと関係があるのかもしれません。そうだと良いのですが、果たしてどうでしょうか。

東京藝術大学大学美術館で、2019年9月29日(日)まで。

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