継ぎ接ぎの雲

僕は水だ。揺蕩い、やがて空気に還る。「貴方は雲のように掴めない人だ。」そう言われたことがある。その言葉の真意は理解できないでいた。澹という名前を使うほど落ち着いた、そして安らかな存在を望んでいる。しかし自然界に存在する水は循環する。気化し、雲になり、雨が降り水になる。「雲のように掴めない」それは水になってくれることを待っていたのだろう。理解しようとしてくれていたのだろう。しかし俺は雲である事を望んだ。それは承認欲求と同じように誰よりも高く、そして目立ちたいという欲求。それといつ消えてもおかしくない存在でいたかった。

僕は水になった。何故なら雨が降ったからだ。現実を見た。「ち」を知ったのだ。曖昧でいることはやめている。功利主義という鎖に身体を繋いで、止められてる風船のように繋ぎ止められている。いや、繋ぎ止めていると言った方が正しいだろう。

功利主義という鎖がなくなると僕はまた。そう。

自然界に存在する水が永遠と澹澹とする事はない。僕もいつかまた、雲になるのだ。


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