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創作について

いつか読んだ音楽情報誌で、とあるアーティストがこんなことを言っていた。

「認められたいために音楽をつくるのか、ただつくりたいから音楽をつくるのか。この辺りは自分で早めにわかっておくと、楽かもしれない」

確かピチカート・ファイブの小西康陽氏による言葉だった気がするが...まったくうろ覚えだ。当時おそらく高校〜大学生の頃(いや中学生だったかも)、その言葉を自分に当てはめた時に「前者だろうな」と思った。当時から薄々と気付いていたことだが、僕は間違っても作品のアイディアがひとりでに湧きカタチに出来るような類の人ではない。それでも創作に対する憧れや、自分の発したことが誰かの何かに触れる可能性、そんな可能性への魅力に抗えず、ずっと「つくる」ということに片足を突っ込んでおきたい今までだった。と思う。

ただ多くのクリエイター予備群が嵌っていることだと勝手に思っているのですが、「誰かに認められるために何かをつくるって、しんどいな」ということを直ぐに感じるようになる。認められるためにつくるとなると、当然、認められそうなモノだけをカタチにしたくなるし、認められなさそうなモノには一寸の価値も見出せず、カタチにしたいとは到底思えなくなるわけで。

音楽や文章、その他あらゆる創作について、頭の中では「これはおもしろいぞ」なんてアイディアをこねくりまわしても、いざ作業に取り掛かると「全然大したことないわ」なんて、最初は全く思うようにいかない。アイディアをカタチにするのは、多分に技術と経験が影響してくるからだ。きっと多くの人が、頭に描いていた理想と形になってゆく現実とのギャップに少なからずがっかりする。

そこできっと、作業そのものを楽しめている人は次へ次へと、試行錯誤を繰り返していく。その中でガシガシと必要な技術と経験を蓄積していき、ついには自分のアイディアをカタチにできるレベルへと到達するという訳だ。

逆に、「認められるためにつくりたい人」、しかもちょっと完璧主義的な性質を持ち合わせてしまうと大変で、最初のギャップに打ちのめされると「どうせいいものにならない」という感覚に襲われたまま、作業は楽しいものにならない。そしてつくる作業から次第に距離を置くようになり、ある時ふと、創作に手も足も出せなくなっている自分に気がつく。当然、創作に必要な技術や経験はいつまでも得られず、しまいには脳内でアレコレ妄想だけしておくことが最も心地の良い状態となり、「自分だってやろうと思えばできる」みたいな境地へと...あぁ心が痛い。(もちろん、「認められたい」という気持ちをエンジンに大成した人もいる。あくまで、自身を含めこんな人も少なくないのではという一つの示唆です)

と、思えばあらゆる分野でそんな創作の悪循環に呑み込まれ続けてきた自分だけれど、「ものを書く」という作業については少しだけ、恵まれた環境に身を置いていたと感じる。「やっぱり創作ってこういう姿勢がいいよね」と、今になっても僕にポジティブなメッセージを与えてくれる経験をしたんだ。

(つづく)

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