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あれから

昨夜、床についてから眠りに落ちるまで、自分にとって3月11日はどんな意味を持っているのかあらためて頭を巡らせた。自然に考えてしまった、というべきか。

僕は被災時、東京の職場にいた。そこでこれまでにない揺れを経験し、その後も余震や原発の風評、また計画停電などに緊張を強いられた日々ではあったものの、直接的な被害に生活や生命を脅(おびや)かされたという訳ではない。それでも、あの日を境に僕の生きる道筋が大きく変容したことは事実だ。

あの出来事は、「日々を悔いなく生きなければいけない」というメッセージを、これまでにない痛切なリアリティを以て自身に投げかけた。そして僕は仕事を辞め、ずっとやりたかったことに専念した。そしてそこから色々な選択を経て、今は医師になろうとしている。もしあの日のことがなければ、きっと僕は今もあの職場に通い続け、結局夢に挑むことの出来なかった自分自身へかける言葉も見つからぬまま、すっかり生きる動機を失っていただろう。もしかすると、生きることを辞めていた可能性すらゼロではなかったと思う。僕の中で、人生とは「あの日以前」「あの日以降」で決定的に区切られている。

けれど、僕はこの「自分が直接的な被害・苦しみを受けた訳ではない」、というところにはずっと引っかかっているものがある。多くの犠牲者を出し今なお苦しんでいる方々がいる出来事について、いち傍観者としてしか立ち振る舞えない自分が「涙が溢れて止まらなかった」「心が動いた」「生き方が変わった」ということを口に出すことへの大きな違和感というか、申し訳なさというべきか。

あの出来事はけっして架空の映画でもドラマでもなく、今も続く圧倒的な現実であり、そこから自分というひとりの人間がどのような影響を受けどのように行動を変えたかなんて、つまるところそれを聞いたところで誰も少しも救われることはない。むしろ、それをこうして表現することは、単なる能天気な自己満足以外の何者でもないのではないか?

昨年の終わり、とある中学校にお邪魔して自分の半生についての話をしてきた。そこでもやはり震災のことは言及せざるを得ず、「それが自身にとってどれほど大きな出来事となったか」を声高に繰り返した。けれどその自分の声を聞きながら、冷静にどこか違和感と虚しさを感じるもう一人の自分。当事者ではない以上、それはどうしても本来の意味で自身の体験とはなり得ず、そこに触れている自分自身がとてもおこがましくすら思えてくる。

震災後には二度、ボランティアとして東北へ伺った。当時その凄惨な光景を目の当たりにし、ただただ愕然とするばかりだった。その時に与えられた作業に黙々と取り組んではみたものの、それによって自分の傍観者としての感覚を和らげることは出来ず、むしろ「できることなど何もないのでは」と、被災地の方々との距離が一層色濃く浮かび上がってしまった気がする。それ以来、東北へは足を運べていない。

8年前の今日という日について、僕には今後、いま抱えているこの靄(もや)がかった感情を前へと進められる時はおとずれるのだろうか?

それは誰にもわからない。けれど今、何は無くとも今の自分にできることがもしあるとするなら、やはりあの日から受け取った僕個人へのメッセージを忘れずに実践を続けていくことなんじゃないか。それがたとえ自己満足に過ぎないものであったとしても、自分にはそれしか出来ないのではないか。そう思うに至る。

日々を悔いなく生きていこうと思います。

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