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艱難 汝を玉にす


とかくこの世は思うにままならぬモノ。

ちまたには呆れるほど図々しい奴がゴマンといます。

他人のことは重箱の隅をつつくが如くやかましい奴が、自分のこととなると大甘の極みの如く振る舞うなんて当たり前のように見かける光景です。

他人を攻撃することにしか人生の愉しみを見いだせない人々を観る度に切ない気持ちと怒りが込み上げるもの。

夏目漱石の「草枕」ではありませんが、「とかく此の世は住みにくい」のです。

仏教の教典のなかに「涅槃で1000年修業するよりも此の世で100年修業した方がタメになる」という意味の言葉があるそうですが、まさに此の世は道場。

道場にぶち込まれた以上、キツくて辛いのは当たり前と思わなければなりません。

ならば、どうしてこんな苦悩ばかりの世の中に魂は輪廻転生を繰り返さなければならないのかというと、あらゆる宗教が「それは魂の修業に(此の世に)来るからだ」と表現しているのが共通しています。

嫌な奴だらけの世の中で魂の心理を追求しなさいと神仏は我々を此の世に送り出すらしいのです。

そして泣いたり、笑ったりしながら寿命を全うする。

すなわち修業を全うしなさいと神仏は願っているらしいのです。

なぜなら「艱難(かんなん)は我々の魂を玉にする」から。

辛い此の世の修業とは災難だらけの此の世を生きることによって、魂を研くこと。

それを神仏は願っておられるのではないか。

なんとも残酷な話ではありますが(笑い)。

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