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やるしかないよね

そういえば先日、ライブで東京にいった。
ライブ前日夜行バスに乗って翌朝東京に乗り込み、東京駅で支度を済まし、スタバで殿堂入りし(ポケモン)、ほんでライブを済ましてメンバーの車で帰ってきた。

東京の滞在時間は実に7時間で、弾丸にも程があるスピードで帰ってきた。
私は車の免許を持ってはいるものの、最後の運転が1年半前の卒業検定以来というペーパーっぷりなので、そろそろ運転の練習しないとな〜と思い続けてたら今年も終わりそうで途方に暮れている。

最近はライブで精神的なコンディションを整えるために、ライブ直前に結構な負荷をかけてジョギングをしている。そうすることによって、変な緊張感で変なプレイをすることがなくなって、程よい緊張感を維持してライブに臨める気がするし、現にジョギングを初めてからだいぶ精神的に安定するようになった。

なので夜行バス→スタバ→リハ→走り込み→本番
みたいな感じで怒涛の時間を過ごし、ライブ後本当に体力がなくなってしまったので、帰阪の際に同伴させてもらったメンバーの機材車でこれ程かッッッてくらい眠りこけてしまった。

途中の足柄SA、メンバーは晩御飯を食べに車から降りた。
しかし、私は体調が絶望的に優れず、動けなかったので車にいることに、した。
少しするとどこからか殴打のような音がした。
機材車がボコボコにされていると思った。
ついに、我のバンドにも車上荒らしがやってきたのかと、寝ぼけまなこの重い瞼を微かに開けながら周りを、見渡した。

窓の向こうで花火が上がっているのがみえた。殴打だと思った音の正体は花火が打ち上がる音だったのだ。
花火をみたのは今年初めてで、おそらく、今年最後だろう。
フジファブリックが頭の中に流れる隙もなく、花火が何発も空に放たれる。
なんでこんな時期に?こんな状態のときに?こんな1人の僅かな間に?と色々な想いを巡らせたが、きっとこれは夢だから、そっとこの記憶は心の中にしまっておこうと、思った。

すると、向いのガレージ、臙脂色の軽自動車の隅に人影がふたつポツンとみえた。おおきいのとちっさいの。
1発ずつ花火が打ち上がる度にちっさな影は体全体を飛びあがらせながら、ちぎれるほどに拍手を送る。花火の光が反射し、やがてその影は親子連れであることがわかった。

母親と子供。
母親は花火をたまにみながら子供の様子を窺ったり周りを見渡したりしている。一心不乱に花火に拍手を送る子供。
なんだか心があったかくなった。
何処か見知らぬ土地で、ふと遭遇した花火が、全く知らないその親子の心を動かし、それをみた自分の心がぐらついたのだ。


ついこないだ、自分のバンドが一歩前進し、事務所との契約が決まった。
その一発目のライブの帰りがこれだった。
この花火は祝砲のようにみえたかもしれない。
それはつかの間。

自分の思いがけないもの、ことで誰かを鼓舞し、それがまた誰かの心を潤す。
ぼくは音楽を通して、それをできる可能性があるわけで。
その可能性を以て、ぼくたちの音楽に思いがけず出会った人がふと拍手を送りたくなるような、そんな音楽をしたいと思った。
やるしかないよね。

自分たちの活動を良い意味で認めてくれる人や求めてくれる人が、僅かながらも現れている状況、突如遭遇した花火をみてそんな風に思ったのは人生はじめてである。

花火が終わったあと、子供は時が止まったかのように微動だにせず、じっと煙の流れる夜空を眺めていた。
何を思っていたのだろう。
まるでライブのダブルアンコールがないとわかっていながらも終演後のステージを見つめるファンのように、じっと煙の流れる夜空を眺めていた。

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