んで、その後は

前に書いた記事で大人になる前の話をざっくり一通りした訳だ。日常的な虐待体験って何を産むと思う?

そう。まず自分の性格に必要以上の形で(所謂、陰キャ陽キャ以前の問題で)影を落とすことになる。

それは自分の能力を間違った形で認識することになるし、(過剰に評価したり、過小評価をしたりする)少しでも光を探そうとして昔少しでも楽しかったことに依存しようとする。
(そのせいでこの世界にもういないとある魂まで迷惑をかけてしまったのかもしれないと後悔している)

また、1番怖いのはトラウマが身体に染み付いて病気になることだ。

私の状態は病名で分かりやすく現すと

複雑性PTSD
適応障害
解離性障害

である。
ギリギリ障害者手帳が申請できるレベルのものだ。

ごめん、最近過去の話をするとしんどい身体になってきた。
ていうか、印象深いいじめやトラウマや出来事以外本当に20歳未満の時の記憶がない…思い出せない…


↑あ、この思い出せない現象はどうやら脳へのダメージが原因らしい。
最近まで親父が徐々に帰ってこない時期のことまですっかり脳から抜け落ちてたことに気付いた。

みんなの話を聞いてもおそらく思い出せない事が多いかもしれないけど許してくれ。


一番最初に異変に本格的に気づいたのは大学2年生の時(だったはず)

(前兆はあったのかもしれない。
肺に異常はないのにとても息苦しかったこと、突然辛いことを思い出して泣くこと、世界で1番大好きなオトカドールの曲を楽しんで聴けないどころか雑音に聞こえたこと。)

電車で突然倒れた。激しい腹痛と切れる息、立っていられないほどの目眩、死ぬんじゃないかと言う恐れの感覚。

最初本当に死ぬと思ったし、癌だと思った(笑)

それが1ヶ月に1回のスパンで起こった。しかも必ず気持ちが落ち着いている時だけ。
(最近気づいた)
北辰テストのバイトの時にも中学生の前でぶっ倒れた。

あと、他人を殺害するのではないか、私は死刑になるのではないかという妄想。
妄想の果てに道端で叫びたくなったこともある。
妄想だが、誰かを殺すのではという恐れの末に片腕が麻痺したこともある。

刃物も怖くてたまらなかった。今も怖いけど、大学に百均で売っている子供用のハサミを持参する事すら出来なかった。

しかも越谷にあるとある大きな精神病院に駆け込んだが、正常な診断は下されなかった。

それどころか倒れる現象は「風邪でしょう!」と言われた。その話をしたのは運悪くいつもの精神科の専門の先生でなく、小児科の救急の人。ふざけんなヤブ医者。
(これは後にパニック症状だと分かった。)

その「風邪でしょう」発言をきっかけに精神病院を信用しなくなってしまった。

今の先生に会えなかったら、おそらく私は一生自分のことが何もわからないまま死んでたと思う。

その後私はどうなったか。

大学4年生になった時、卒論が書けなかった。就活も出来なかった。金稼ぎが好きでやってたキャンペーンガールのバイトも全く手がつかなかった。

廃人みたいだった。
やる気はあるのだ。やる気はあるのに身体が全然動いてくれないのだ。就活しなきゃ。卒論を書かなきゃ。毎日毎日そう思ってた。でも身体は鉛みたいに動かない。「私は怠けているんだ」「頑張らなきゃ」毎日考えた。何も出来なかった。
自分が大嫌いだった。


怠けていたんだろう?と皆は感じるだろう。
普通感じると思う。私もそう思っていた。
だが、これは病的なものだと24歳になって初めて気付いた。
だって今まで単位を落とさないように授業に通い、キャンペーンガールのバイトも休みを削りながらやっていたのだ。
なのに突然出来なくなるなんてどう考えてもおかしくない?

この話の続きはまた今度しよう。
アディオス。

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