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【第7話】妻とビールと

今回の3分で読める1500文字小説は、一見冷えかけているようにみえる夫婦関係がテーマです。他人がひとつ屋根の下で生活することは楽なことではありません。今回の主人公は、どこにでもいる夫であり父です。たまにやってくる今日は家で晩酌をしようかなと思う日。冷蔵庫には好きなビールが冷えていない。そんなよくある一日の出来事です。



1500文字小説

 結婚生活という海をどう乗り越えるか、あるいは船から降りるか、これはお箸で大豆を一度に2粒つかむくらい難しい。私の妻は専業主婦で毎日子育てと家事にてんてこ舞いだ。ただ本を読んだり映画を見たりする時間はたっぷりあるように見える。家事は洗濯した服を干すこと以外は嫌いなようで、ずっと家にいるのになんでやってないんだ、ということはたくさんある。

  一緒に生活していると小さなことがよく目につく。例えば、何度言ってもハサミを所定の位置に片付けないことがあり、使いたいときにいつも探さないといけない。すごいストレスだ。一緒に住み始めた時は、よく口に出して指摘していたが、じゃあ言わせてもらいますけどね、と水かけ論に発展することがしばしばだった。


 困ったことに、最近の女性活躍の話も家に持ち込み、女の人が家事を全部する時代じゃないの、あなたのお母さんでも家政婦でもないのと言って私に家事を押し付けることを正当化している。例えば、私の服のアイロンがけはしない。自分のことは自分でしろ、ということらしい。ずっと家にいて家事を私に押し付けて生まれた時間でドラマを見ているじゃないか、これが女性活躍の姿であるはずがない。


 今じゃよっぽどじゃないと口には出さないし、気になることは自分でやる。妻がやれという家事も黙ってやっている。ハサミとかの共有物も自分専用の物を100均で購入して使っている。時にカチンとくる妻の小言や、ねぇ聞いてるのという罠も一切反応せずただ終わるのをただ無心で待つ。これが今の私の処世術ならぬ処妻術だ。


 そういえば子どもが生まれて2年ほど経ったころに、よく当たるという占い師の所に興味本位で行ったことがある。その時に言われたことは「奥さんはガーっと言ってきがちだけど、口ごたえせずに聞いておくのよ。言い終わったらそれで満足するから。あなたはそれが苦なく出来るはず」だ。まさに実践している。


 時間をかけて育った我が家のルールのおかげで、仕事終わりの晩酌用のお酒も自分が買っている。私はビール党でこだわりは殆どなく、スーパーで売っている発泡酒なり第3のビールにだいぶとお世話になっているが、冷蔵庫のストックは切れている日のほうが多い。毎日飲まなくてもいいのだが、今日は飲みたいなという日は波のように定期的にやってくる。今日はそういう日だ。冷蔵庫を開けてみたがビールは冷えていない。あー、今日もないのか。
「ちょっと、ドラッグストア行ってくるわ」
「何しに行くのよこんな時間に。もう夜も遅いし、こんな時間にパパどこ行ったのって子どもも心配するから行かなくていいでしょ」行動すらも自由がない。勝手に外出すると後々うるさいので、これはやめている。
「いや、お風呂あがりのビールを買ってこようかなって」
「なにそれ。食器棚の一番下の引き出しをあけてごらん。買ってあるから」半信半疑で開けてみると、なんと各メーカーの発泡酒や第3のビールがある。ビールもある。めっちゃビールがある。選び放題。荘厳な光景が狭い引き出しの空間のなか一杯に広がっている。
「どうしたのこれ?」
「安かった時に買っておいたのよ。それを飲んだらいいでしょ」
「あ、ありがとう、こんなに買ってるなら教えてくれたらいいのに」
「いっつもちゃんと話きかないじゃない」そう言って妻は椅子から立ちあがり2階の寝室に向かった。
お風呂上りに、冷凍庫で冷やしたので超キンキンになったビールをありがたく飲ませていただいた。気のせいかもしれないが、いつもより泡が踊っているように見える。今晩はめずらしく明日も頑張ろうという気力がわいていた。






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