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京都芸術センターで見るミャンマーの現実|「当意即妙」展で人々の顔に触れる

【約1,200文字】

「当意即妙ー芸術文化の抵抗戦略」展に行ってきました。ミャンマーのクーデターで亡くなった人々の顔をかたどったマスクが展示されていると聞いて、どうしても気になったからです¹。

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 会場は京都芸術センター。元々は廃校になった小学校で、戦時中には軍事施設として使われていたそうです²。アートは戦争の記憶や歴史を再構築することができるのでしょうか。少なくともこの展覧会は、武力弾圧の経験や影響を記録し、伝えようとしています。

 会場内の北ギャラリーに入ると、まず目に飛び込んできたのは、白を基調とした空間に、黄色い光が柱のようにあるインスタレーションでした³。 その光の中に、紙で折られたマスクが並んでいます。
 それぞれのマスクには、黒目が描かれています。黒く塗られた目は、はっきりとこちらを見ているようでした。スポットライトが顔に優しく降り注ぎ、天使のように見えました。

 中央には、大きな紙で湖が作られ、願い舟という折り紙が置かれていました。簡単に折れると説明にあったので、私も一つ折ってみました。
 指先に力をいれる塩梅を忘れているのでしょうか。数十年ぶりの折り紙は、折り目がズレてひどい有様でした。ただ、紙を触っていると、マスクと同じものを作っている、触れている、そう思えてなりませんでした。

 マスクの下にQRコードがあって、読み取ると、どういう状況で亡くなったのか詳細を知ることができます。
 赤いリボンをつけたマスクもありました。私の娘と同じ、10歳くらいでしょうか。ご両親は、どうされているのでしょう。このリボンは、誰かのプレゼントだったのでしょうか。何が好きな娘さんだったのでしょう。残念でたまりません。

 最後まで、マスクの黒目は、どこを見ているかわかりませんでした。でも、こちらを見ているようで、私の内面まで見抜かれているようで、うつむいてしまいました。

 私は、彼らに敬意を表したいと思います。

 一体、アートとは何なのでしょう。芸術は物質的には生存に必須ではないにもかかわらず、あらゆる時代のあらゆる場所において実質的にすべての人類集団が絵画を創ってきました⁴。
 きっと、芸術は、芸術家と鑑賞者が交流し、創造的な過程を共有するために有益なのでしょう⁴。

 この展覧会を見て、悲しみや怒り、無力感や希望など、さまざまな感情を味わいました。ですがそれは、マスクの作り手をふくめ、ミャンマーの人々に近づくために必要だったのです。

 アートは、私たちに何を感じさせようとしているのでしょうか。アートは、私たちに何を行動させようとしているのでしょうか。
 アートは、私たちに、今、生きていることの意味を問いかけているのかもしれません。

¹: マガジン「当意即妙―芸術文化の抵抗戦略 @ 京都芸術センター - ART iT(アートイット)」  (https://www.art-it.asia/top/admin_ed_pics/242669/)
²: 「沿革|京都芸術センター」 (https://www.kac.or.jp/about/history/)
³:カミズ「Masking/Unmasking Life(死から「生Life」へ)」アーティストステートメント(https://www.kac.or.jp/events/34900/)
⁴:著:エリック・R・カンデル 訳:須田年生、須田ゆり『芸術・無意識・脳―精神の深淵へ:世紀末ウィーンから現代まで』九夏社,2017

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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