コミュニケーションツールの「互換切り」が失わせた絆

 いわゆるガラケーがスマートフォンに置き換えられ、「ケータイ」という語すら消えかかっている今、日本では携帯電話におけるコミュニケーションは LINE が一強となっている。それまでの、携帯する電話、電子メールという段階から更に発展を遂げ、短文かつ即時性のある手軽なツールとして人々の生活にあっという間に根付いた。その遠因となったもののひとつに、10年末に我が国を襲った未曾有の大災害があるという言説を聞いたことがある。

 しかしながらこのツールには、下方互換性が無い。

 筆者は約12年間同じ携帯電話、いわゆるガラケーを使い続けている。 docomo 製のそれに搭載されている「iモード」のブラウザは既に SSL 認証が無効化されているなど、その機能が大幅に制限されている。そのような技術的な問題からガラケーで使用出来なくなったサービスに LINE も含まれている。2018年3月、ここに、コミュニケーションツールの互換が切られたのだ。電話と電子メールができる端末で使えていたツールが使えなくなり、進んでゆく時代にひとり取り残された。

 パソコンでも使えるという声が上がるであろうことは重々承知だが、パソコンで連絡を取るならば、より便利な Discord などの代替ツールが存在する。また、登録時に電話帳を参照し、とにかく友達候補として全方位的な繋がりを提案されるのも苦手だったため、今更登録したいとも思えないのが現状。サービス終了とともに「連絡の取りにくい人間」となってしまった私の元へは、欠席に丸をつけるような同窓会の案内状すら届かなくなった。あの頃、「次は◯年後かな~?w」みたいに笑いあった彼らが、よくつるんでいた友人たちがいま何をしているのかさえ、わからない。互換切りによって生まれてしまったその距離を埋める一歩を、彼らも、そして私もまた踏み出せずに、時間だけが過ぎていってしまった。

 この全国的な異常事態となった世の中、もう一度連絡を取りたいと思ってもその一歩がなかなか重い。 Facebook を見ても特に更新が無いし、情勢的に向こうが大変だったらと思うと腰が引けてしまう。「今更メールか?このご時世だぞ?」という考えだって脳裏をよぎる。しかしながら、こういった状況になったからこそ、技術が引き裂いた絆を再び手繰り寄せたいと思うようになった。手を取ってほしいと思う気持ちもそうだし、君が辛いなら、私で良ければ...と思えるようになった。

 時代が、心を変えた。それはきっと、技術によって開けられた溝だって超えられるはず。そう信じて、私は「ケータイ」を手に取ろうと思う。

文字通り生きる糧になります!