萩尾さんと、日常と脳内宇宙の境目について

萩尾望都さんの講演会に行った。
一生に一度は萩尾さんを拝んでおかねばならないと思い、たまたま見つけた女子美での講演会の予約をとった。
今日はだいぶ春めいた日。
私は冬も寒いのも大好きだが、世の人は寒いと元気がなくなるので、この会を心待ちにして今日出向く人々のことを思って暖かくてよかったねと思った。大切な日でしょうから元気なほうがよいです。

ものを作っていると、
「影響を受けた人は?」「尊敬する人は?」と聞かれることがたまにある。
直接的に影響を受けた人はいつもあまり思いつかなくて、
たまに「この人なんかもちろん好きでしょう!」と人から言われる方のことはわりと知らなかったりする。
ホドロフスキーやルネ・ラルーなどもそうです。
たびたびそう言われることがあると気になってきて作品を観たりしています(そしてたしかに好きになる)。
『愛しのダディー殺害計画』を公開した時にも、『ひなぎく』の影響でしょう!とたまに言われたけれど、全然知らなかった。
どうやら登場人物の名前も近いらしい?こちらはまだ観られていない。

しかし何からも影響を受けていないわけではきっと全然なく、
むしろ小さい頃から文化だけはたくさん床に転がっていた家だったので、
ごちゃ混ぜすぎて個別の影響をうまく認識できていないだけだと思う。
でもその中では珍しく、影響を受けてきたとしっかり自覚できるのが萩尾さんの漫画なのだ。

漫画界に「花の24年組」という言葉がある知ったのはだいぶ後で、
ただただ生まれた時から我が家には萩尾さんや山岸涼子さん、大島弓子さんらの漫画がわんさかあった。すごい。これは両親の功績。本当にありがたい。
家の中に金塊がゴロンゴロン転がっていたようなものだ。
文字が読める年齢になったら、そりゃ家にあるのだから泥遊びの代わりに金塊で遊ぶことになる。
もちろん連載リアルタイムではないから、同級生とそのあたりの漫画の話はできない。
自分たちの世代の漫画ももちろん好きだったけれど、それはまた別物だった。
(中高生の時に好きだった音楽も、同級生たちの趣味とまったくかみ合わなかったので、そういう運命なんだと思う)
私の皮膚の外にいる友達とその話はできないけれど、萩尾さんや山岸さん、大島さんや名香さん、陸奥A子さんらの漫画は、私の内側ではうるさいほどの存在感だった。キラッキラに光る内臓のような、鳴り止まないファンファーレのような。

萩尾望都作品の影響は、よくも悪くも(?)ある。
日常と脳内宇宙がなめらかにつながりすぎるのだ。
日常と詩も一緒くたになる。
近年私が作ったショートフィルムを観た人に、ファンタジー作品だと言われたことがある。(おしりが主人公だったり、神様たちが主人公だったりする)
「ファンタジー作品」と聞いて私は驚いたわけ。全然気づいていなかった。自分の作品がファンタジーにも含まれることに。
なんならファンタジーは苦手だと思っていた。
観る側としても、都合よく魔法が登場するのは好きじゃないし、”生々しくてつらい人間ドラマ”が好きだと思っていたから。
ところがどっこいです。
日常とファンタジーの境目が私の脳内ではとろんとろんに溶けていたのです。
けっこう自分のこと、現実主義で合理主義だと思ってたんだけどな。
現実主義者だけれど、昔からテレパシーが効くタイプの人間だったのでそれも現実としてとらえてきたという節もあります。
たしかに私の中では、目の前の横断歩道と、古代ギリシアの回廊も宇宙センターの通路も、あまり違いがない。
手の中の小銭と、脳の中で踊る光や骨も、あまり違いがない。
これは自分のもともとの性質にプラスして、相当に萩尾作品のせいだと思います。ありがとうございます。

結局自分のものづくりの(つまりほとんど生活の全部の)ルーツをたどると、
漫画とダンスに繋がりやすい。
好きな作品や作家はたくさんあれど、影響があったとたしかに思う萩尾さんを拝めて今日はとても良い日だ。
お洋服もグリーンのコーディネイトでとても素敵だった。
萩尾作品に出てくるキャラクターの衣装デザインがすばらしいのも首がもげるほど頷ける。
そしてお話は上品かつパンクだった。

ああもっと遠くにいきたいですね。
作品で、です。
映画なのか、絵なのか、服なのか、違う何かなのかわからないけれど、たとえ今私の手の中にあるコンビニのフレンチトーストを描くにしたって、
渾身の力で深く鮮やかに、そしてはるか遠くまでいきたいのです。
まだまだだ。もっともっとだ。

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