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昨日、2024.3.11。
『3.11』から13年が経ちました。

昨日、14:46。
職場にて、放送のもと、職員一同で1分間の黙祷を行いました。

東北へ向かい、目を閉じ、1分間の記憶の回想をしていました。

13年前、突然の大地震。
対数で計算するマグニチュードも飽和してしまうほどの大規模なものでした。
大津波警報。

テレビで流れる映像は現実のものと思えませんでした。

それから直後、九州から現地へ、陸路で3日かけて行きました。
当時のことは、様々な場面を切り取りながら、よく覚えています。

記憶を思い出す、覚えている「シナプス」っていうのは、何度もそこを通っているうちに、定着していくそうです。

昨日の1分間、目を閉じているうちに、いろんな場面が走馬灯のように、次々と思い返されました。
どのシーンも、何度もぼくの頭のなかを回想したんだと思います。自分でも驚くほどに、多くの場面のそれは鮮明なものでした。


北九州のみんなが心配してテレビを見上げていました。

週末も心配でテレビにかじりついていました。

突如、北九州の部隊も現地へ行くこととなり支持をうけたとき。

みなが心配そうに見送ってくれたとき。

長い車列をなして延々と現地へ向かう高速道路。

途中で野営をした体育館。

原発が爆発して立ち往生になった浜松。

「オレの分までお願いします」と缶コーヒーを渡された静岡。

緊急車両のみしか通れない、現地へと向かう所々割れた道路。

報道のとおりのガレキの山。

いや、その向こうには、無限の水、遠くに見える海。

気丈に振る舞う、ボロボロの防火服を着た現地の消防職員。

家族とは連絡が取れないしずっと家に帰っていないと言っていて、涙ながらにぼくたちを出迎えてくれた署長さん。

家の基礎部分しか残されておらず田園のようになってしまった住宅街。

とおくに積み上がるガレキ、ひっくり返った家。

ガレキの山のてっぺんに居た、亡くなられた方。

木にひっかかって亡くなられた方。

水路で転覆していて、中で亡くなられていた方。

どなたも、着の身着のまま。その時まで普段と変わらぬ命がありました。

無残にも散らかる様々なもの。

ひっくり返ったアンパンマンのおもちゃ。

歯抜けのように所々が破壊されている巨大な防波堤。

凍えながら寝ていた電車の駅舎。

氷点下になり水が凍っていた朝。

自然の猛威に、力の無さを感じるぼくたちに、差し入れをしてくださった現地の方々。

人命救助という目標を達成できずに下を向いて帰ってきて、とんでもない数の人たちが待っていた北九州空港。

迎えに来てくれた家族。帰って食べた、久々に食べたレトルトではない温かいカレー。


1分間の黙祷のなかで、様々なことが思い出されました。

これは、ぼく本位の、ぼくなりの3.11。

亡くなった命は、およそ22,000人。

できることは少ないし、とてもとても力が及ばないのですが、
「思いを馳せる」。
気持ちだけでも向けて。
想いだけでも寄り添って。
そんな気持ちが大切なのかもしれません。


もう少し詳細に記載した昨年度の記事です。
ぜひ、こちらもご覧ください。


3.11の後、大好きな紫川沿いに、桜が咲きました。
どんな社会のなかでも、きっちりと季節が訪れることを、何だか悲しみも抱えた複雑な思いで見ていました。
でも、やっぱり桜はキレイ。
川は上流から下流へ静かに流れます。

ぼくの大好きな生まれ育ったまち。
この桜の季節の移ろいと、水の流れとともに生きています。

その後に生まれた命に、「春」と「河」という名前をつけました。

その子も、桜が咲いたらもう中学生です。
ぼくにも追いつくかというほどデカくなっています。

この13年間の時計の針が進んでいることを感じます。


今日もご覧いただきありがとうございます。

冒頭の写真は、マツリョウ|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。



<1年前の”今日”の記事★>


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