見出し画像

潮干狩りをする甲子園球児たち 〜誤解・誤読・誤認は必ず起こる。報道写真に信頼性はあるのか〜

どこかの新聞に使われていた1枚の写真を題材にし、それに対して本来の扱われ方とは違う、ユーモアのあるコメントを回答者が思いつくまま発言するという「写真・大喜利」のようなテレビ番組を観ていました。

甲子園大会で試合に負けた高校球児たちが寄り集まって、グラウンドの土を記念に持ち帰ろうと膝をついてかき集めている姿のモノクロ写真が「お題」になっていて、メンバーの1人のお笑いタレントがそれに対して、
≪潮干狩りをしているP高校ナイン≫
という回答を発しました。

この答えはいちおう笑い(あるいはボケ?)として成立したらしく、他のメンバーやスタジオの観覧客にウケている様子が画面から伝わりました。けれど、映し出されたその写真を笑いながら見ることが、私にはできませんでした。

なぜなら、そこに映し出されたものは紛れもなく「潮干狩りをしている野球選手たち」の写真だと、私は思ったからです。
潮の引いたあとの浜辺で、膝をついて周辺の砂を手を使って掘りながらアサリを探している野球のユニホームを着た男たち — そのようにしか見えなくなり、私は戸惑いました。はじめは「試合に敗れた甲子園球児」だったものが、なぜいま「潮干狩りをする野球選手たち」として認識が固定されてしまったのか……

それにはいくつかの理由が考えられました。

  • 「お題」写真が新聞のモノクロ写真で、さらに画質も悪かった

  • 野球選手たちの背後に写っている球場の防球ネットが、日本の近海によくある海苔の養殖網(海苔そだ)に見えてしまい、浜辺においての写真だという認識が強化された

  • そもそもはじめは、この写真を真剣に見ていなかったので「潮干狩りをするP高校ナイン」という回答を突然に受けたとたん、そこから強いインストラクション(指示)を感じてしまい、影響された(あるいは誘導された)

以上によって「土をすくい持ち帰る甲子園球児たち」が「浜辺で潮干狩りをする野球選手たち」になったわけです。


この体験を少し深刻な表現で客観的に言い換えるなら、「撮影者が汲み取って欲しかったある写真の意図を、歪曲された説明を受けたことにより鑑賞者が誤認・誤解をしてしまった」
ということになると思います。

私の認識・理解が、どのように変化していったのか。では、その過程を辿ってみます。

写真から受け取ることのできた事実は、
≪野球選手たちがいて・野球場で・土をかき集めている≫
だけだったと思います。決して、
≪甲子園球場で・試合に敗れた高校球児たちが・記念として持ち帰るために≫
という情報を写真から得てはいません。
しかし、かつての甲子園・全国高校野球大会において、負けたチームの選手が試合終了後にグラウンドの土を出場のしるしとして持ち帰ることがよくあったという事実を知っていたので、おそらくそれは「甲子園で・高校球児が・持ち帰るために」だったのだろうと「想像」し、それを写真から読み取った情報に混ぜ込んで、最初の認識を私は作り出しました。

次に私は、言葉による
≪潮干狩りをする≫
という説明を受け取ります。
それによって、「試合に負けた甲子園球児たちが、グラウンドの土を持ち帰ろうとかき集めている」と一旦は定めた認識を「浜辺で貝を探している高校球児たち」に変えさせられてしまいました。
写真から受け取る事実を把握し、あるひとつの認識に至りながらも「潮干狩り」という説明を私が抵抗なく受け入れてしまったのには、素材の写真がモノクロで画質も悪かったということが原因として挙げられます。明瞭なカラー写真であったなら、防球ネットを「海苔そだ」と誤認することはなかったはずですから。


写真から情報を読み取る 〜 そして想像する 〜 それらをまとめて、ひとつの認識に至る — この意識の流れのどこに「潮干狩り」は作用したのでしょうか。

振り返ってみると、提示された写真からまず私が読み取った事実のうち「野球場で・土をかき集めている」の部分が正確性において少し怪しかったのでは?、と思います。写真には野球選手が写っていることだけは確かでした。けれど、それ以外の情報を、ほんとうに私は写真から事実として読み取ったのか?
野球選手が寄り集まっているから「野球場」に思えた。
野球場の地面で何かをかき集めているので、それは「土」だと想像した。
これが真相だと思います。

「野球場・土」すらも私の想像でした。この場合の想像は「憶測」と言い換えてもよいでしょう。

この2つの、事実と思いがちな憶測に「潮干狩り」は働きかけたのだといえると思います。


《潮干狩りをするP高校ナイン》。
私にとってこの「写真・大喜利」体験は、情報の認識過程について考える良い端緒となりました。それを与えてくれたこのテレビ番組と回答者に感謝します。

お笑いとしての評価は何点だったかは別として……


            (おわり)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
こちらも是非ご覧ください。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?