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美しきもの の記憶

日常の記録のためにカメラで写真を撮る人は今、ちまたに数多くいる。スマート・フォンのカメラ機能や手軽なコンパクト・カメラを使っている人たちがほとんどだが、その仕上がりに満足できず、一眼レフ式のカメラを用いて本格的に撮るようになったという人も中には沢山いるだろう。一眼レフ・カメラには、交換のできる様々なレンズが揃っており、写すことのできる範囲や画像の拡大性能によって「広角・標準・望遠」などと大別され、好みや用途によって撮影者はそれらを使い分ける。
レンズにはそれぞれに特性がある。たとえば、ひとりの人物を主題として撮るときは、人間が何かを注視した時の視野に近い自然な撮影画角とされている「標準レンズ」よりも、画角はもっと狭くなるが、被写体となる人物が少し遠くにいても画面の中に大きくとらえることのできる「中望遠タイプ」のレンズのほうがよいとされている。たしかに、このレンズを使って、5メートルほど離れた地点から撮りたい人物に向かってカメラを構えると、その全身を画面に大きく収めることができ、且つ、レンズの特性上、ピントの合う範囲が狭いので、被写体を場面の中で浮き立つように表現することができる。


あるひとつの光景が「彼」の記憶の中に残っている。


それは写真によるものではない。それは実際に肉眼で彼が見たものである。しかしながら、それはまさに、中望遠レンズを使って切り取ったような光景だった。
今から40年前。あれは、彼が10歳だったころのことだ。


水田信一は、小学校の5年生だった。
学校からの帰り道にある空き地で友だちと野球をするのが、彼にとっての放課後の楽しみのひとつだった。その場所は、かつて製薬会社の倉庫があったところで、おそらくその社名がもとになって、学区のだれもが「南陽倉庫」と呼んでいた。野球場の内野がすっぽり収まるぐらいの広さがあって、マンションと大きな屋敷の壁に3辺を囲まれており、通りに面しているところには大人の胸の高さほどのフェンスが張られていた。地面の土も固く平らにならされていて、野球をするのに丁度よかった。
1980年代の前半だったあの頃は、社会のルールは今よりも全般的に寛容で、空き地とはいえ、そこはれっきとした私有地だったが、フェンスの端の隙間から入り込んだり、あるいはそのまま乗り越えたりして、彼らは遊んだ。なにも、真剣に野球をしようというのではなかった。帰り道が同じ連中が集まって、空き地の近くに住んでいるやつらが先に帰宅してバットとボールとグローブを持ってくる。ピッチャーとバッターと、守備が3人か4人 ― そんな程度の「野球あそび」だった。


夕方の5時30分。
いつものように南陽倉庫で野球あそびを終え、友達と別れたあと、自分の家に向かって信一は歩いていた。中通り商店街を抜けて、洋食レストラン「アントニオ」を通り過ぎ、「新栄(しんえい)市場(いちば)」の前を通って家に帰る。
そこで、ひとりの人物を彼は、見た。
新栄市場の前は広い路ではない。買物客の出入りが頻繁にあって、出入口の脇には自転車が十数台とめてある。往き来のできる道幅は車一台がやっとといったところだ。
その路の、市場の出入口まであと5,6メートルという地点で、のちに、自身の記憶に固着し続けることになる人物の姿を、彼はとらえた。
ライト・グレーの羽織を着たひとりの女性が、買い物かごを腕から提げて市場から出てきた。羽織の下には、模様の無い薄紅色のつやのある着物を着ていて、明るい茶色の草履を履いている。信一のほうに向かって来るのではなく、反対の方に彼女は歩き出した。つまり、 市場の前から二人は同じ方に向かって進むことになった。 
新栄市場を通り過ぎ、まっすぐ歩いて2つ目の角を右に曲がったところに彼の家はある。毎日通るこの道で、和服姿のひとを見たことは信一はたぶん一度もなかった。だからこの女性に、彼は少しだけ興味を持った。
歩き出したこの女性との距離はおよそ5メートル。市場から路に出てきた時に横顔を見るチャンスがあったはずだが、和服の美しさに気をとられて、信一は見逃していた。間隔を保ったままで、彼女の後ろ姿を追うかたちで彼も歩いていく……
市場を過ぎて最初に出てくる四つ角の手前に彼女が達したとき、一台の軽トラックが信一の後ろから近づいてきた。通行する市場の買物客により路は狭くなっていた。はやく通り抜けようと、運転手はクラクションを鳴らす。その音に反応して、彼女は斜め後ろを振り返った ―


そのとき、彼女の横顔が見えた。


信一は、それを見たとき、すぐにわかった。
自分の母親だった。
着ている着物や羽織におよそ相応しいとは思えない、洒落っ気のまったくない銀縁のメガネをかけたいつもの母の顔だった。ツヤのない、肩までの長さのボブ・スタイルの髪は整えられておらず、ボサッとした感じを受けるのも普段どおりの母だな、と信一は思った。腕に提げている買い物かごは、本物の籐(とう)で編まれたものではなく、プラスティック製の模造品だ。色も薄緑色で、よく見れば、いつも母が使っている買い物かごだった。
いつもなら、横顔はもちろん、後ろ姿だけでも直ちに母親だと気づくことができただろう。だが、着物を着ているということだけで、こちらのほうを振り返るまで信一には気づくことができなかった。
彼女のほうはまだ、信一がいることに気がついていない。クラクションを鳴らした後に、通行人を除けながらゆっくりと走ってくる軽トラックのほうを見て、ただ立ち止まっていた。
信一は声をかけようと思った。
(お母さん…! )
だが、呼びかけることはできなかった。そして彼もそこに、立ち止まってしまった。


美しい。信一は思わず息をのんだ。目の前にあるこの光景を、彼は綺麗だと思った。
通りに斜めから差し込む夕方の光が彼女を照らしていた。普段着で歩いている他の人たちの中にあって、和服姿の母だけが際立って見えた。まるで、 カメラの「中望遠レンズ」を使って切り取ったかのような光景として、信一は見ていた。霞んだ背景の前に浮き立つように、 美しいものとしての、母の姿があった。
垢抜けしない銀縁メガネ。ボサッとしたボブ・ヘア。安物のプラスティック製の買い物かご ―  それら全ては「美」についてのプラスの要素ではないはずだ。しかし、それでも信一の目には、その姿が、たまらなく美しく映っていた。


軽トラックのクラクションの音によって後方を振り返っていた時間は10秒もなかった。信一の母は、またすぐに前方に向き直し、四つ角を渡って歩いていった。
彼女は信一に気づかないまま、こうして、この光景は終わった。


以来、折に触れて信一は、この光景を思い出すことになる。だが、いくら月日が経っても、信一には、あのときの   ―  銀縁メガネのボサボサ髪で、安物の買い物かごを提げた和服姿の母親をなぜ「美しい」と思ったのかが理解できなかった。でもそれは、甘く美しく、そして「何か良いもの」として、彼の記憶の中にただ、存在し続けている。


40年の時を経て、水田信一は今いちど、あの光景を思い出している。
あのとき見た母は、やはり美しかった。夕陽の差し込む市場の前の路で少し佇む和服姿の母は、やはり良かった。

[英語の beauty = 美しさ] の語源は…
ラテン語 bene (ベーネ)+名詞化の接尾辞 ty
bene は「良い」という意味。
bene – ty が変化し beauty になったといわれる。

美しいものは、良いものなのだ。


≪タンスを整理してたら、若い時に買った着物が出てきたんで、今日一日だけ、ちょっと着てるのよ≫
あの日、家に着いた信一は、先に戻っていた母から、和服姿のことについて、そう説明された。


私 ―  水田信一は、あの日に見た光景を超える美しいものに、まだ出会えずにいる。

     (おわり)


お読みいただきありがとうございました。
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