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Monologue #09 衣食足りて幸福を知る

休日の午後。
出かける為に、電車に乗った。

乗る直前にハンドクリームを塗ってしまったので、手を揉みながら空いている座席に座った。

クリーム塗れの手でスマホに触るわけにもいかず、しかも然程長く乗るわけでもなかったので、ぼんやりと周りを見ていた。

周りにいる乗客は、皆、一様にスマホを見ながら俯いている。俯いているせいか、その顔はどことなく暗く見える。

いつもは、私もその一員なのだが、その輪から外れると、何だか不思議な気分だった。

スマホは見ていないものの、耳にはイヤホンが入っていて。
その不思議な光景を眺めながらも、私に聞こえるのはご機嫌なパレード音楽だった。

ぼんやりしながら、ふと気がつく。

少なくとも、恐らくここに衣食住に困っている人はいない。
私もそうだ。

そして、私を今、幸福な気分にさせているのは、耳から流れるパレードの音楽だ。

生活基盤がおぼつかなくては、何事も霞んでしまう。
 
だが、そこから先は、他者と比べても、他者から施されるのを待っても、得られるものではないのかもしれない。

恐らく、自ら喜びを得られるものを見つけ出すことでしか、幸福感は得られないのだ。

勿論、欲しくても全てが手に入るわけではない。

しかし、手の中にあるもので、手が届く範囲から喜びを見つけられなければ、無い物ねだりばかりで時間が過ぎてしまう。

恐ろしいのは、過ぎたものを欲しがった為に、手の中にあったものさえ失ってしまうことだ。

一方で、それが自分にとって“過ぎたもの”であるかを見極めることも難しい。
指し詰め、有島武郎の『生まれいづる悩み』か、イソップ童話の『犬と肉』といったところか。

答えはない。

しかし、小さな幸せを毎日1つずつ窓辺に並べるような生活だって、充分に幸せなはずなのである。
仮に他者から不幸に見えたとしても、自分自身が幸せならば、人生はバラ色なのである。

だから、自分の物差しで他人の幸福を計るのも馬鹿げたことなのである。

肝に銘じておこう。

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