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Monologue #08 そんな教育、受けたか?

来年のPTAの選出準備をしている。
私はPTA役員をやると決めた時点で2年間やる、と自分で決めていたので悩むことはなかったのだが。

今年、私の所属するPTAでは選出方法を大きく変えた。

ネット記事などでもよく見かける、くじ引き制を辞めて、立候補制に。
役員を多く確保して、各イベントの参加や手伝いを割り振るのではなく、都度ボランティアを募集する形で役員の数や、業務も大幅に減らした。

が、それでも人はなかなか集まらなかったらしい。

まあ、それは仕方ない。

考え方や、環境は人それぞれだし。

1つ気になったのは、「くじ引きで当たったらやったんだけど」と、言われた役員が意外と多かったことだ。

くじ引きで当たったらやる、と思うこと自体がわからないのではない。

私も、役員をやるまでは「くじ引きで当たったらやる」だった。
それは、「自分のタイミングでやりたいけど、なり手がなく自分がやることになったらやる」という意味で、だ。

結局、くじで役員になることはなく、立候補したのだが。
ある程度、腹積もりが出来ていれば、仕事の両立の目処も立ちやすい。

しかし、「くじ引きで当たったらやる」と口にする人の真意は、どうも「言われたらやるが、言われなかったらやらない」という意味のようだ。

別にPTAなんぞ、やってもやらなくても良いのだ。
今回話題にしたいのは、PTA云々ではない。

私を驚かせたのは、その「受け身」の姿勢だ。
更に驚いたのは、同じ役員からの

「私たち(この場合、女性)はそういう教育を受けてきた」

という言葉だ。
物事に対して、受け身なのはそういう教育を受けてきた側面もあるから仕方ないけど、という言い方だったが。

受けてきたか?
私たちはそんな教育受けたのか?

「女性は前に出るべきではない」という考え方があるのはもちろん知って入るが。

どれがそれだったのか?

勉強の時に教わる内容に差があったためしもないし、私自身ではないが、小学校の時ですら女子の生徒会長がいたりもした。

社会人になったって、逐一指示をくれるような優しい人なんていなかった。

子どもが出来れば「お母さんお願いします」とまず自分にオーダーが入るので、それを自分でやるのか、夫や、協力してくれる義母の誰に振り分けるのかジャッジするのは自分だった。

出来ません、と待っていれば誰かが何とかしてくれたんだろうか。

仮に何とかしてくれたとして、それは自分に都合のよい結果だったのだろうか。
でも、私には放っておけば自分が劣勢になるだけに見えたが

仮に、誰かが助けてくれたとして自分で決断する以上に、誰かが良い決断をしてくれる訳がない、とも私は思っている。
近寄ってくるのは味方ばかりではない。

もちろん、大変な方を取って、楽な方を私に渡してくれる優しい人がいることも知っている。
が、その場合、私も同じように返すように努力する。そうでなければ、その優しい人は私から離れていってしまうと考えているからだ。
打算的かもしれないが、自分の近くに、その優しい人にいて欲しいから、私の為にやっている。
純粋に助けてよかった、と思ってほしい、というのもあるが。

結局のところ、答えはよくわからない。

私は、「女性だから」と一歩下がることを求められたと感じたことがない。
というか、自分が「女性」だと強く意識したこともない。

それは凄く恵まれたことなのかもしれないけど。

やっぱり、よくわからない。



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