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Monologue #06 “祖母の戦争”

終戦記念日もとうに過ぎたが。
占守島の戦いが終わったのが今日だから、今日にしようかと。

私自身は、戦争廃墟が好きで、戦争に関する本も定期的に読んでいる。
ミリタリーマニア、とは言えないけど、私の戦争に関する関心というのは、“好奇心”という意味だ。

私の祖父母は戦争を体験した世代だった。

でも、そんな身近に戦争を体験した人間いても、私は本人に自分から戦争体験を聞く勇気はなかった。
それが、好奇心だと知っていたから。
私にとっては、データであり、歴史の一部であり、共感ではなかったから。

私が知っているのは、祖父母が自ら、何かの折にふと語った話だけである。

その中で印象的だったのは、母方の祖母の話である。

私自身は関東の出身だが、母は福岡の出身で、夏休みのほとんどは母の実家である福岡で過ごしていた。

そこから、母の姉とその従兄弟たちと、更に祖母の実家である鹿児島へ2週間ほど行くのがお決まりのパターン。

祖母の実家である鹿児島は、小さな漁村で、当時はコンビニすら見当たらない田舎だった。 

もう誰も住んでいなかった(おそらく祖母の実家)家に、祖母と母と伯母と私たち姉弟、従兄弟たちで2週間寝泊まりして過ごした。

海が近く、朝は帰ってくる漁船の音で目を覚ますような場所。

あんなに何度も行ったのに、何をしていたのかはあまり覚えていない。

その家に、1枚の額装された写真が飾ってあった。

戦艦の写真に、まるで卒業式に欠席して付け足して貼られたような、丸く、くり抜かれて貼られた男性の写真。

何のタイミングかはわからない。

でも、子どもたちはたくさんいたはずなのに、そこにいたのは私と祖母しかいなかった。

弟も従兄弟たちも、外で出て遊ぶのが好きだったので、私だけが家にいたのかもしれない。

その額装された写真を見上げて

「船が沈没して、みんな海に飛び込んだんだって。その飛び込んで泳いでいるところを、アメリカの兵隊さんが鉄砲で打ってきたって。

隣を泳いでいた人は助かったけど、この人は撃たれて死んじゃったって。

運がなかったねぇ」

“運がなかった”

この言葉が印象的だったのだ。
戦争で、殺した相手が存在したはずなのに、運がなかった、なのか。

母からその後、祖母の話を聞いたことから判断すると、その男性は祖母の弟で、曾祖母にとってはたった1人の息子だったと言う。

運がなかった、か。
運か。そうか。

息子を生んで半年ほどたった時、これが生きて祖母に会う最後になるのだが、祖父母に会いに福岡へ行った。

祖母が席を外した時に集まっていた母、伯母、従兄弟にこの話をしたことがある。

祖母本人に聞く勇気はなかったが、もう少し、詳しい話を知りたかったのだ。

しかし、皆、「その話は知らない」と首を傾げるだけだった。

驚くことに、祖母の娘(母たち)、孫の中でこの話を覚えているのは、私だけだったのである。

その後、祖父母が亡くなり住む人がなくなった為、取り壊すことになった祖父母の家にあるものを処分する、となった時に「何か欲しいものはあるか」と仕事中に母から電話がかかってきたことがある。

一縷の望みをかけて、祖母と見たその写真の特徴を詳しく話し、あるならば譲って欲しい、とお願いしたが、残念ながら見つからなかった。

あの写真は、鹿児島の家から祖母の手には渡らなかったのだろう。

もしかしたら、鹿児島の祖母の親戚の誰かが、持っているのかもしれないが。

私の身内では、この話は私の頭の中にしかないものになってしまった。

そして、何十年後かには誰も知らない話になるんだろう。

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