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Monologue #03 “ジェネレーションギャップ”

新入社員が、研修に来た。

恐ろしいことに、自分の子どもであってもおかしくない年齢の人たちが新入社員として来るような年になってしまった。

20歳も年が違えば、“ジェネレーションギャップ”というものを、ひしひしと感じる。

研修に来る側の新入社員の人は想像もしないかもしれないが、受け入れる側のオジサンオバサンも、仕事の話ばかりでは面白くないのではないか、恋人の有無はセクハラになるからダメだ、親の年齢なんてあちこちで聞かれてウンザリしているんじゃないか、とあれこれと悩んでいるのである。

そうなると、流行りのモノの話題はどうだ、とグーグルで検索してみたりするのだ。

大抵、答えは出ないのだが。

ところで、この自分たちの行動から、我々(およそ80年代前後の生まれの人間)は、“人は何かを好きだ”と、思い込んでいることがよくわかる。

それは本なのか、アニメなのか、音楽なのか、スポーツなのか、映画なのか、何でも良いのだが“何かは好きだろう”と勝手に思い込んでいる。

だから、“ジェネレーションギャップ”というのは“好きなものが違う”ということである、と思っていた。

しかし、推測でしかないが、それは大きな間違いのようだ。

少なくとも我々の“若い頃”というのは、インターネットもまだそれほど普及してなく、大人になる頃、ようやっと個人が電話を持ち歩くようになった時代だ。

メジャーなメディアはテレビくらいしかなく、かと言って常にテレビが自分の好みの内容を放送しているとは限らないので、暇を潰すためには能動的に動かざるをえなかった。

しかし、今、新入社員研修に来る人たちは、スマホがあり、パソコンがあり、すぐに何かにアクセスでき、更にその履歴からおすすめまでしてくれる。

暇つぶしがある程度、受動的でも成り立つのだ。

そうなってくると、娯楽に対する姿勢が根本的に違ってくる。

どっちが良い悪いという話ではない。

根本的に、違うのだ。

多分、何もかもが。

確かに我々の世代にもテレビを何となく見るだけで、特に趣味というものを持たなかった人もいるし、今の若い人にもどっぷりと好きなものに浸かっている人もいるだろう。

しかし、“自分たちの延長線上の、ただモノが違うということがジェネレーションギャップである”というのは、大いなる誤解だと感じる。

彼らは我々とは違う尺度で、違うものを見ている。

それはまるでバベルの塔の崩壊のように、同じ場所にいながら、違う言語を喋りだした人たちのように。

どうにかして、その言語を理解して、自分の知らない世界を覗き見てみたいと思うのだが。

その行動すらもまた、“何か違う”のかもしれない。


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